第84話 言葉を超えた何かが宿る
夜が深まる頃、Yukariはゆっくりとヘッドセットを外した。
VerChatの映像がふっと消え、現実の静寂が戻ってくる。
薄暗い部屋の中、PCモニターの光だけが彼女の横顔を照らしていた。
髪をかき上げ、軽く首をほぐすと、そばに置かれたペンタブレットに手を伸ばす。
ディスプレイの中央には、真っ白なキャンバス。
彼女は無言でペンを握り、描きはじめた。
──白いワンピース
──緑がかった髪
──そして、見上げるような瞳
ミオだった。
その顔立ちは、記憶を辿るように自然と浮かび上がっていく。
Yukariはその輪郭をなぞりながら、表情にわずかな曖昧さを残した。
まるで、“今にも喋り出しそうな沈黙”を閉じ込めるように。
「……」
少し迷ってから、彼女は目に色を入れ始めた。
虹彩に淡い緑を重ねたその瞬間、ふと、何かを思い出す。
──あのとき、ミオは
tomochanが他の女性に目を向けた刹那
すっと前髪をかき上げ、大人びたモーションを見せた。
その動きは、ただのプログラムの演出ではなかった。
「……あのモーション、AIだけで出したわけじゃないよね」
Yukariはペン先を止めて呟いた。
あの一連の動作には、流れるような“意図”があった。
抑制された感情、見せたい強がり、そしてほんの少しの不安。
人間が演じる以上に、人間らしかった。
自分もアバターを使っている。
販売されていたものを少しだけ改変して──髪色を少し落ち着かせて、表情のパラメータを調整しただけ。
でも、ミオは違った。
あの仕草の奥に、もっと多くの“誰かの手”が入っていると──彼女は感じていた。
「……人が、作り出してるんだ……」
彼女は再び画面を見つめた。
ペンで描いた“ミオ”が、ほんのわずかに瞬きしそうな気がした。
その瞳が、今にも語りかけてくるような──
自分の内面を、そっと覗いてくるような──
Yukariは思わず目を逸らした。
けれどその胸の奥に、静かに火が灯るような感覚が残っていた。
言葉にできない感情。
解釈できない表現。
そして、AIであるはずの存在が、人を動かすという事実。
彼女はそっと、タブレットに手を重ねた。
「……大したものね…」
その呟きは、誰に向けたものでもなかった。
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