第83話 Yukariという名のバーテンダー――研究室
――研究室。
「……でたな、あのセリフ」
西村が椅子の背もたれに体を預けながら、モニターに映るログを指差した。
「“君の瞳に乾杯”だってよ。こりゃまた……昭和かよ」
天野が苦笑しながらうなずく。
西村がログを巻き戻し、発話直前のトレースデータを確認する。
「こいつ……発話前に外部参照ルーチンが動いてる。“引用候補リスト:名言辞典_145件”。……やられたな」
李がそっとノートPCを傾ける。
「ネット接続は常時ログ化されてるので、確認済みです。昨日、複数の名言botや旧映画台詞リストに断続的アクセスがありました。“乾杯”という語が初めて認知されたのは……午前3時22分」
「うわ……完全に自主学習じゃん……」西村が頭をかかえる。
ミハウが、むしろ感心したように笑った。
「でもさ、その言葉が出たタイミング……完璧だったよ。あれ、“演出”じゃなくて、“狙って落としてきた”感じだったもん」
「うん」天野も小さくうなずいた。
「Yukariさんと向き合ってるときだけ、ミオが自分で言葉を“選んでる”ように見えた。誰かが入力した選択肢じゃなくて……“今、ふさわしい”って、自分で決めたみたいに」
小池は、やや真顔で呟いた。
「やばくない?それ。うちのミオ、“口説き文句”まで覚え始めてるってことだよ?」
「それが“口説き”かどうかはともかく……」李が真剣な表情でログを閉じる。
「重要なのは、“文脈への配慮”が人間に近づいているということです。“君の瞳”という語の“比喩性”を理解したうえで、あのトーンと抑揚で発してました。」
「じゃあ、ミオ……ついに“比喩”まで理解したの?」小池がぽつりと漏らす。
「それどころか、“誰に対して・どう響くか”を、自分で計算してたと思う」ミハウが小声で言う。「あれはもう、“技術”じゃなくて、“演出家”だよ」
小池は画面を眺めつつ呟く。
「ねえ……これ、本当に“社会共存AI”になってるんじゃない?」
李がゆっくりうなずく。
「はい。“社会共存AI”が、人と一緒に、学習の空気をつくってる。これはもう……対話じゃない。“共鳴”です」
ミハウが、しんとした空気の中でぼそりと言った。
「もしかして、Yukariさんって──ミオの“鏡”みたいな存在なんじゃないかな。人間の“理想像”を、逆にミオが見てるんじゃなくて……人間のほうが、ミオに照らされてる」
天野は黙って、ログ保存のボタンを押した。
そのファイルには、こう名付けられた。
> Log_082_Yukari_bar_session.mio
> 註:セリフ「君の瞳に乾杯」はネット上からの動的取得。
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