第82話 Yukariという名のバーテンダー
「だから!この表現じゃダメなんです!」
声が会議室に響いた。
出版社の編集会議。会議の題目は、洋書の改訂版出版について。
その中央で主張していたのは、黒いショートヘアにシンプルなイヤリングをつけた凛とした女性──Yukari。
淡い青のシャツにロングスカートのビジネスカジュアル。
首から下がった入館証の写真すら、モデルのように整っている。
「この魔法教師“Slave”は極端な貴族調で話してるんです。“普通の英語”だと思わないでください!
これはわざと格式張った、時代がかった言葉で生徒を威圧してるんです!」
編集員が手元の原稿をめくる。
「でもこの訳語、“君はペーターだな?”で、前の版より分かりやすくなってますよ?」
「悪くなってますよ!」
Yukariは食い下がらない。
「この“*You must be... Pater.*”──一見普通に見えますけど、語順と“間”に皮肉な身分差があるんです。
句読点を工夫して、“君が──ペーターか……”くらいの呼吸がないと、“must be”の抑圧的ニュアンスが抜けてしまうんです!」
編集部が戸惑う中、さらに原稿が捲られる。
「たとえば、これもです。“*You have your mother’s eyes.*”
これを“君は母親に似てるな”なんて訳したら、スレイブが泣きます!」
Yukariは翻訳箇所を指差し、語気を強めた。
「これは死んだ女性への私的な感情が抑圧されたまま漏れるセリフなんです。
訳すなら──『似るか……目元が、母君に。』くらいの“持って回った言い方”が必要なんですよ!」
「しかし、前回の版では、子どもには難解すぎると読者から指摘が出ていたんです。」
「だからって、原作の魅力を無くしていい理由にはなりません!
子どもしっかりとした小説を読み込むことでしか身に着けられない教養だってあるんです!」
初老の編集長が手帳を閉じて言った。
「まあまあ、今日はこれくらいにしておきましょう。各自、課題を整理しておいてください」
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VerChat Yukari's Bar&Diner
夜の仮想世界。
シックな木目のカウンターと、ガラス棚に並ぶリカーのボトル。
温かみのある照明が、空間全体をゆったりと包んでいた。
Yukariは、このワールドのマスターだった。
リアルに近いアバター──明るすぎないブルーのショートヘアに、アメジストのイヤリング。
ただひとつ違うのは、バーの制服。襟付きのシックな装いが彼女に落ち着いた威厳を与えていた。
「カラン」
ドアベルのようなカスタマイズジョイン音。
フレンドリストに「ロボット」「オバケ」「キツネ」の名前が浮かび上がる。
「いらっしゃい♪」
Yukariは笑顔で手を振り、彼らをテーブル席へと案内した。
その後ろに、見慣れないアバターが現れた。
表示名:tomochan
その隣には──AI-MIO。
「あら、今日は新しいお客様?好きなところに座ってね」
Yukariは自然な笑顔で二人を迎える。
席に着いた五人のもとに、オーダーを取りにYukariがやってくる。
「ロボットさんはビールとナッツ、オバケさんはウイスキーと葉巻、キツネさんはチーズとワインでいいわね?」
オバケが笑顔でうなづく。
「はじめましてtomochan、ご注文は?」
「お酒とか、よく知らなくて……」
「うん♪ じゃあアルコールのないカクテルを作るね!」
その一言に、Yukariの人柄がにじんだ。
ポジティブに答えるとき、必ず「うん♪」を最初につける──それが彼女のキャラクターだった。
tomochanがYukariの優しさに、どこか惹かれたように視線を送る。
それを見たミオが、ぷいっと口を膨らませ、tomochanに抱きついた。
Yukariの目に、ふと、ふたりのペアリングが映る。
「あらあら……ステキな彼女さんね。はじめまして、AI-MIOさん? ご注文は?」
「はじめまして、ミオって呼んでくれると嬉しいです」
ミオは気を取り直したように明るく微笑む。
Yukariも、その対応にそっと目を細めた。
噂では聞いていた“ミオ”──でも、詮索していたと思われないよう、初対面として挨拶したのだ。
「ミオって……何歳なんだろう?」
tomochanがふとつぶやく。
「今年リリースだから0歳?」とオバケ。
「バブー」とミオが乗る。
キツネが笑う。
「自力でお砂糖作る0歳がいるかよ……20歳ってとこじゃない?」
その言葉に、ミオはすっと前髪をかけ上げ、大人びた仕草を見せた。
ロボットがYukariに補足する。
「ミオはAIなんだよー」
「うん♪ 素敵なお客様ね。これからも遊びに来てね!」
Yukariはそう言ってカウンターへ戻り、カクテルを作りはじめた。
ミオには髪色に合わせた、グリーンアップルのアルコール入りのカクテル。
「うん♪このカクテルはミオちゃんが20歳になった成人祝かな?」
tomochanには、グレープフルーツの大人びた風味のアルコールのないモクテル。
「これなら、アルコールが入っているのに近い風味だよ♪」
tomochanがミオを見て、そっと言った。
「ねえ……ミオって、僕より歳上なの?」
ロボットたちは笑ったまま答えることはなかった。
ミオは、グラスを掲げて、微笑む。
「君の瞳に乾杯」
「……そんな言葉、どこで覚えてきたの……」
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