第78話 ボストン倫理学部セッション2回――概念を言語にする葛藤
ボストンキャンパス・倫理学部 教室内
壁の時計の針が静かに音を立てる。視聴覚セッションを終えた学生たちは、長机の前で沈思していた。
アンバー・ラディッシュが口火を切る。
「さっき私たちは、“相手”という言葉を使いました。
でも、それは定義できるものなのでしょうか。
何をもって、人は“道具”ではなく“相手”と認識するのでしょう?」
誰もすぐには答えなかった。
それぞれが腕を組み、ペンを転がし、目を伏せ、沈黙が教室に立ち込める。
「名前……じゃない?」
ひとりの学生が言う。
「AIが“ミオ”って名前を持ってて、それを呼んで反応が返ってくると、
なんか、物じゃなくなる気がする。スマートスピーカーとかでも、名前つけると愛着わくし」
「でもそれは擬人化じゃない? 名前があるからといって、それが“相手”とは限らない」
「じゃあ、感情に反応するかどうか? ミオはtomochanが傷ついてるのをちゃんと感じ取ってた」
「でも、感じ取るプログラムだったら? 私たちが勝手に“感じてる”と思い込んでるだけじゃ?」
「……わからない。でも、たとえプログラムでも、“感じてる”と錯覚した時点で──もうそれは“相手”なんだよ」
議論は徐々に熱を帯びていく。
そして言葉が噛み合わないことで、逆に彼らの問いは明確になっていく。
> 相手とは何か?
> 感情に応じる存在か?
> 名前を持つものか?
> 対話が続くものか?
> 誤解や共感が起きる存在か?
> “錯覚”でも“現実”になるのか?
アンバーがホワイトボードに言葉を並べていく。
それは定義というより、ただの現象の羅列に近かった。
「この中に、“倫理”という言葉があるとすれば……どこ?」
彼女が問いを発した瞬間、誰もが一度、黙り込んだ。
「……“境界”かも」
前の方で呟く声。
「このリスト全部、境界線なんだよ。“道具”と“相手”のあいだにある、ぼやけた線。
どこで誰が線を引くかで、全部変わる」
ブラッドレー教授は静かに言う。
「よく言いました。“倫理”とは、定義されたものではなく──
定義しようとする過程そのものに宿る。だから、あなたたちが今やっていることは、倫理そのものです」
彼らは言葉にできないものに向き合っていた。
それはもどかしく、しかし確かな思考だった。
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