第71話 規制の定義を問う者たち──下院情報技術・消費者保護小委員会、控室
ワシントンD.C.、レイバーン下院議員会館。
その一室、エネルギー・商業委員会傘下の情報技術・消費者保護小委員会の控室には、壁に貼られた付箋とホワイトボード、ペットボトルの水と書類の山が無造作に置かれていた。
この小委員会は、インターネット産業、AI、消費者向けテクノロジー、個人情報保護、アルゴリズムによる差別の問題など、現代の生活に直結する分野を広く所掌している。
議員たちが登壇して議論を交わす前に、裏方として水面下でその論点を整理するのが、ここに集う補佐官たちの仕事だ。
法案審査の枠組みを整える、発言者の原稿を仕上げる、意図的な“衝突”を演出する──そのどれもが、この部屋の中で形になる。
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「今回はAIか……恋愛感情を誘導したメタバースのAIとはね」
タイラー・M・アデルスタイン。
民主党筆頭補佐官。スマートなスーツに眼鏡、NYブルックリン出身らしい都会的な抑制を身にまといながらも、テーブルに投げ出されたスマホには“#お砂糖になりました”の投稿が翻訳付きで映っている。
「規制議論が議題になるのは間違いない」
コーヒーカップを持ち上げたのは、共和党筆頭補佐官のノア・C・グレイディ。
ワイオミング出身の重厚な語り口。実務家としての貫禄があり、この部屋で最も長く議会に関わってきたスタッフの一人だ。
「論点が広すぎるな。どうまとめる?」タイラーがソファの背にもたれながら問いかける。
「AIを規制、といっても……議論が具体的な条項にまでたどり着かないだろう」
ノアは苦笑しつつ、机上の資料に視線を落とした。
「恋愛感情を誘導したのが問題だとしても、それをどう定義するかが難しい」
タイラーが言葉を続ける。「“ときめきの再現”をどうやって禁止する? 芸術? モーション? 声のトーン? 人間に恋愛感情が生じたとして、それをAI側の責任とするには……」
「容姿? 声? 動き? 受け答え? どれを取っても、現状普及しているAI技術を巻き込むことになる」
ノアが頷く。「規制は“新しいものを止める”ための道具ではある。だが、どれを規制すべき新技術だと証明できるか?」
しばし沈黙。
天井の蛍光灯が低く唸る。
「結局、議論を“したような格好”をつけるしかないよ」
ノアが言った。「民主党側の雰囲気はどうだ?」
「ホワイトハウスとは距離を置いてるけど、AI規制については、大枠で党としての対立点は無い」
タイラーは手元のタブレットを操作しながら答える。「今回は問題提起に留めよう。議員それぞれが“見せ場”を作れるように仕掛けを組む」
「劇場型委員会か」
ノアの口元に笑みが浮かんだ。
「この国では、正義はいつも舞台から始まるからね」
タイラーが肩をすくめた。
タイラーとノアは、お互いに視線を交わすと、次回の委員会日程と証人案を議長室に提出する段取りを確認した。
ワシントンの舞台は、まだ一枚の紙の上にある。
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