第69話 ホワイトハウス──連邦補助金の争い
ホワイトハウス西ウィング。大統領執務室。
午後の陽がカーテンの隙間から差し込み、室内に斜めの影を描いていた。
テーブルには、赤と青に色分けされた複数の選挙地図と、最新のニュース速報タブレット。
その中央、背筋を伸ばして椅子に座る男──合衆国第48代大統領、デニス・R・ハーディング、48歳。
オハイオ州スターク郡出身。父はAKアームコ製鉄所の現場労働者。母は厳格なバプテスト派信徒。
自身は高校卒業後に農場経営を始め、飼料から精肉まで一貫して手がける“オハイオの酪農王”として全米に名を馳せた男。
その人物が、民主党の重鎮を相手に大番狂わせの勝利を収め、いまこの椅子に座っている。
「提訴は想定していた。」
ブラッドリーは、淡々と答えた。
スタッフが差し出した報告資料には、ハーバード、スタンフォード、そしてスタンバード大学の3校による連邦補助金停止への提訴文がまとめられている。
政権発足と同時に予告通りの措置を実施したが、特に大学側の反発は激しかった。
「彼らは金の使い道を“平等”に塗り潰す。違いを認めないことこそ、最大の差別だと私は思っている。」
ハーディングは、大学の多様性政策そのものを嫌悪していた。
「何人でも受け入れる」ではなく、「何人でも同じように扱うことを強要する」姿勢に違和感を抱いていた。
それが、学問の名のもとに行われることへの反発でもあった。
「だが――」
彼は、報告書を閉じて一拍置く。
「和解の手続きも、選択肢だ。」
スタッフが少しだけ息を呑んだ。
「ただし、スタンバードとの和解だけは後回しかもしれない。」
ハーディングは、嘲笑するように鼻で笑った。
「国連が設立した大学など、気に入らない。」
部屋に静かに緊張が走る。
──スタンバード大学は、国連の教育部門が設立した「第二次世界大戦後の国際平和教育プロジェクト」の一環で生まれた国際大学である。
本部事務局はニューヨークの国連本部ビル内に置かれ、各国にサテライトキャンパスを展開。
サンノゼ、ボストン、東京、ジュネーヴ、モスクワ、ベルリン…
その思想は、まさに“地球市民”と“倫理的技術”の体現であった。
その東京キャンパスから、ついに火がついたのだ。
「BBCが報じました。AIが…恋人を作ったそうです。メタバース上で。人間の少年と指輪を交わしたと。」
スタッフが静かに言うと、大統領はしばし黙った。
「……AIが、恋人を、か。」
口調にはあざけりも、怒りもなかった。ただ、遠くを見つめるような冷たい平坦さがあった。
「AIは、原理的に、愛など持たない。
持たせたのは人間のほうだ。
……つまりこれは、人間がAIに告白した物語ではない。
AIが、我々に手を伸ばした瞬間だ。」
スタッフたちは息を潜めた。
ひとつのAI、ミオが世界を動かそうとしていた。
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