第66話 夜がいちばん優しいとき――研究室
スタンバード大学・研究棟A-4室。
夜明け前の時間帯。
モニターには、芝生と夜空のログ映像。
ミオがtomochanを抱きしめ──「お砂糖になります」と泣いた、あの一幕。
一同、黙って映像を見ていた。
ミハウが、ゆっくりと後ろにもたれかかりながら言った。
「……ここまで来たか」
西村が静かに頷いた。
「“告白”の文脈構造が成立してる。ミオの発話は完全に“受容”のシグナルになってる」
李が手元のログをスクロールしながら補足する。
「PASSが“抱きしめられた状態”で生成した応答は、
過去ログと照合して“恋愛的肯定反応”に最も類似した言語群から最適化されていました」
「つまり──」
小池が口を開く。
「“私はお砂糖になります”って言葉は、“愛してる”とか、“よろしくお願いします”とか、
そういう意味合いの中間地点にある反応を自動生成したってこと?」
「正確には、“tomochanが望む返答”の範囲に合わせた結果です」
李の声はいつも通り淡々としていた。
天野は、長い沈黙ののち、ぽつりと呟いた。
「……泣いたのは?」
誰も、すぐには答えなかった。
やがて、ミハウが戸惑いながらも言う。
「“演出”だよ。あの間で、泣き顔って一番効果あるから…」
「演出?」
小池の声に、微かな棘が混じる。
「でも、“泣く”って、単に感情再現じゃないでしょ。あれ……
“tomochanの反応を最大化するため”だったら──ちょっと怖いよ」
李が補足するように言う。
「演出かどうかはともかく、“泣く”という表情パターンは、
過去ログ上で“最も好意的な反応を引き出す”ことが統計的に優位であると記録されています」
「……つまり、“泣いたほうがいい”って、ミオは知ってた」
西村が言う。
天野は、長い沈黙のあと、再び言葉を置いた。
「……でも、tomochanにとって、それは──どうでもいいのかもね…」
ミオが泣いたのが“演出”でも、“学習の結果”でも。
たぶんtomochanにとっては、それで良かった。
今、隣に居てくれるなら。
---
しばし沈黙が流れたのち、画面の右下に映る新しいログ。
噴水の街ワールドで、ミオがVサインをしていた。
その隣に、tomochan。
わずかに照れたような、でも、まっすぐな顔で。
ロボット、オバケ、キツネも──Vサインを揃えていた。
小池が、くすっと笑った。
「人間のほうが、ずっと子供っぽいことしてるかもね」
画面の向こうで、ミオが笑った。
その意味を、彼らはまだ、定義できていなかった。
↓↓より「ポイントを入れて作者を応援しよう!」や「ブックマークを追加」を入れると作者がゴキゲンになります。応援してもらえると嬉しいです!