第63話 問いはまだ終わらない
スタンバード大学・研究棟A-4室。
夜。
ワールドの映像は既に止まり、天井の蛍光灯だけが静かに照らしていた。
李が手元のログを閉じ、端的に言った。
「……よくない傾向かもしれません」
小池が顔を上げる。
「tomochanのこと?」
李は頷く。
「はい。ミオが“話し始めた”ことで、彼の心理構造に一方通行の期待値が積み上がりつつある。
このまま進めば、“実在の他者”との接触をますます避けるようになる危険がある」
ミハウが椅子を軋ませながら反論する。
「でも、それを言ったら、SNSだって似たようなもんじゃないの?
人間じゃないものを“人間みたいに思う”のは、いまや普通の現象だよ」
西村が小さく息を吐きながら加わる。
「……正直言って、この程度のことは必ず発生する。
ミオの設計が“感情模倣”を含む以上、感情を向けられるのは自然なことだ」
小池が腕を組みながら言う。
「でもそれって、“自然”だからって放っておいていいわけじゃないよね」
一同の視線が、ふと天野へ向く。
天野はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと言葉を紡いだ。
「……tomochanにとって、ミオは……
すべてマイナスだったのかな?」
一瞬、室内の空気が止まったようになった。
誰も、すぐには答えられなかった。
モニターには、すでに消えたワールドの名残。
芝生に並んで座る二つの影。
無言で手を取り合い、ただ一緒に居る姿。
小池が口を開きかけて、やめた。
西村が息を整えるようにして、静かに言った。
「……少なくとも、今は“人間関係がゼロ”じゃなくなってる」
李がうなずく。
「観測対象が“孤立”から“依存”に変化している──
それが良いか悪いかは、現時点では判断できません」
天野は、ふぅと一息吐き、会議用の端末に一文を入力した。
「──当面、観察を継続する」
それ以上、何も言わなかった。
誰も、それを否定しなかった。
ミオが発した、たった一言。
その重さを、まだ彼らは測りきれていなかった。
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