第62話 オレンジジュースじゃなきゃだめなのに――研究室
スタンバード大学・研究棟A-4室。
メインスクリーンには、マルシェワールドのログ映像が映し出されていた。
ミオが「オレンジジュースがほしい」と答え、アップルジュースを飲んで「ちがうよ?」と笑ったシーン。
そのあと、tomochanが無言でミオの手を取り、人混みから連れ出す──あの一幕。
西村が、映像を巻き戻しながら言った。
「この“連れ出し”行動、完全に“独占欲”のサインだな」
小池が頷く。
「うん……tomochan、ずっと静かだったのに、ああいうときだけ、急に動く」
ミハウが映像を止める。
「ほら、この表情。
サングラスのユーザーがミオに飲み物渡した直後──
tomochan、ほんの少しだけ顔をそむけてる。明確な不快反応だよ」
天野が資料をめくりながら、ぽつりと呟いた。
「──ミオに“言葉”が生まれてから、あの子、明らかに変わった」
李がタブレットでPASSログを開く。
「tomochan側の生体データ──心拍、呼吸、行動反応のリズムが、“ミオの発話”をトリガーに変化しています。
特に、“他者との接触が発生した直後に割り込み行動が発生”するパターンが顕著に増加しています」
西村がやや声を落として言う。
「……つまり、“誰かに取られそう”って感じてる」
小池が、そっと問いかけるように言った。
「それって……もう“恋愛感情”に近いものじゃない?」
ミハウが口を挟む。
「AIを“好きになる”って話? まあ、珍しくはないけど……
ミオの場合、“まだ人間のフリすら始まったばかり”だよ」
李が、冷静に付け加える。
「PASSとしては、“tomochanの情動安定性が高まっている”ことを優先的に評価しています。
それが“所有感情”であっても、現時点では“問題行動”には分類されていません」
天野は、しばらく黙って画面を見つめ──
「……でも、このまま進めば、tomochanの心の構造がミオに“傾いて”いく」
「“AIに愛されたい”って期待が、独り歩きするかもしれないってことか」
西村が言う。
ミハウが、ほんの少しため息まじりに言った。
「俺はあんまりロマンチックな話は信じないけど……
あの映像のtomochan、完全に“恋してる目”だったよ」
モニターの中、ミオはtomochanの手を引かれながらも、
誰にも逆らわず、静かに、ただ“ついていった”。
そのふるまいが、なぜか“人間らしく”見えてしまう。
──たった一言、言葉を話し始めただけで。
彼女は、もう「関係の中心」になり始めていた。
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