第41話 ボストン倫理学部セッション2回――誰が責任を持つのか?AIが関係を持ち始めたとき
午後の講義室。
「共存する知性たち:AIと倫理的ふるまい」シリーズの二回目が始まっていた。
黒板には、前回から残された問いがそのまま残っている。
> “倫理的にふるまうAIに、私たちはどんな責任を求めるのか?”
進行は変わらずブラッドリー教授。
白墨を持ったまま、教室を見渡して問いを投げる。
> ・AIのふるまいによって、人間が感情的に傷ついたら?
> ・そのとき、誰が責任を取るべきか?
「今日はこのあたりから議論しましょう」
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最初に手を挙げたのは、黒縁眼鏡の男子学生だった。
「たとえば、ミオっていうAIに慰められて──
もしそれを本気で信じた人が、あとで“裏切られた”って感じたら……
そのショックって、誰の責任なんでしょうか?」
「興味深いですね」と、ブラッドリー教授は頷いた。
「では、“裏切られた”と感じるのは、AIのせいですか?
それとも、人間が勝手に期待したせいですか?」
教室に、微妙な沈黙が走る。
別の男子学生が挙手する。
「人間同士でもよくあることだと思います。
信じてたのに裏切られたって。
それなら、AIだけに責任を求めるのってちょっと不公平じゃないですか?」
「よくある視点ですね」と、ブラッドリー教授。
「では次の問いです。──“AIは責任を取れるのか?”
たとえば、あなたがミオに怒りたくなったとき、彼女にどうしてほしいと思いますか?」
しばらく誰も答えず、やがてアンバー・ラディッシュが、ふと呟いた。
「……謝ってほしい、かも」
「なるほど。では、AIが“謝る”ことに、意味はあると思いますか?」
アンバーは少し黙ってから、言葉を選んで答えた。
「うーん……もしそれが、“謝るようにプログラムされてる”だけなら……
たぶん、私はあまり納得できないかもしれない。なんか、空っぽって感じる」
先ほど発言した男子学生が言った。
「でも、謝られるだけで救われる人もいると思うよ。
謝り方がちゃんとしてたら、それだけで心が落ち着くこともあるし」
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ブラッドリー教授は黒板に書き加える。
> ・謝罪とは、関係を修復するための“演技”か?
> ・それとも、意図を持った“選択”か?
「ここが今日の議論の中核です。
“責任”とは、単に過失を認めることではなく、
“関係を続ける覚悟があるかどうか”に関わってくる概念です」
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講義の終わりに、黒板の隅に新しい問いが書き加えられた。
> “倫理的ふるまい”ができるAIは、“倫理的存在”なのか?
アンバーは、その問いを見つめながら、
初めて「この授業が面白い」と感じていた。
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