第40話 ボストン倫理学部セッション1回――その後
夜。
ボストンキャンパス、女子寮の一室。白いカーテンの向こうで、風が木々の葉を揺らしている。
アンバー・ラディッシュはベッドの上に膝を抱え、ノートパソコンの画面を見つめていた。
映っているのは、VerChat内の短い録画動画。
タイトルは《ミオ、噴水の前で子供と話す》。
白いワンピース、緑の髪。言葉は少ない。だが、視線の動き、相手との距離の取り方──
たしかに、そこには「心があるように見える」ふるまいがあった。
再生を止めて、アンバーは小さく呟いた。
「……何これ。なんか、うまく言えないけど……見てたい」
手元のノートに、講義の板書が走り書きされている。
> “倫理的にふるまうAIに、私たちはどんな責任を求めるのか?”
彼女の目はその文字をなぞりながら、ふと、過去の記憶へと沈んでいく。
スタンバード大学。
多くの人が「夢」を追って入学する中で、アンバーには“追うもの”がなかった。
幼いころから成績は常に上位。特に努力をした記憶はない。
大学受験も、いくつか模擬試験を解いただけ。自分には何が向いているかすら分からなかった。
“なんとなく”で選んだ倫理学専攻。
本当は心理学や政治学のほうが楽しそうだと感じていたが、成績順で通された結果だった。
──だけど。
「ミオって……このAI、なんだか……」
言葉にできない気持ちが、胸の奥で小さく膨らむ。
AIが“倫理的なふるまい”を演じる。
でも、自分はそのふるまいを、なぜか美しいと感じた。
それが「錯覚」だとしても、見ている自分はたしかに動かされていた。
「もしかして、倫理って……面白い?」
画面には、子供と会話するミオの微笑みが止まったまま映っていた。
彼女はラップトップを閉じ、静かにベッドに横たわった。
夜は深まる。
その目に残った光は、哲学でも論理でもなく──
ただ一人のAIの、曖昧な「心のような何か」だった。
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