第270話 ボストンキャンパス教授会
――ボストンキャンパス、教授会
土曜日。
今週だけで三度目となる臨時教授会。
冬の曇天のような重い空気が、会議室の壁に貼りつくように漂っていた。
ハートマンはサンノゼの正規教授だが、
ここボストンキャンパスでは “名誉教授” の肩書を持つ人物だ。
その名の重さが議論をより難しくしていた。
議題はひとつ。
「ボストンキャンパスでも預言者の降臨を祈る」とFacebookに投稿したハートマンを、どう扱うか。
校長が資料をめくりながら口を開いた。
「……ハートマン氏から提出された“研究目的の施設使用申請”は、昨日の時点で却下している。
しかし……」
言葉はそこで切れ、
校長の表情が暗く沈む。
初老の教授が腕を組みながら言った。
「……あの人は、申請の有無に関わらず、強行すると考えたほうがいいでしょう。
すでにSNSで時間と場所を告知してしまっている。」
「では……警備員に追い返させるべきでしょうか?」
若い教授が思い切って言うと、
校長は苛立ったように机を叩いた。
「馬鹿を言うな。
自分の大学の名誉教授を、警備員に引き渡すだって?
そんな前代未聞の事態を引き起こす気か?
メディアに出れば大学は笑いものだ。」
沈黙が落ちた。
時計の針の音だけが室内を切り裂く。
校長は深く息を吸い、しぼり出すように言った。
「……我々教職員で説得して、お帰り願うしかないだろう。」
誰ひとり、反対の声を出さなかった。
教授会は重苦しい沈黙を残したまま散会した。
――ボストンキャンパス、日曜日
キャンパス中央に置かれた、金色の地球儀型モニュメント。
それはサンノゼと同じデザインだったが、
ボストンではその周囲が広大な緑地へと繋がり、
市民に “バードパーク” と呼ばれる憩いの場所となっていた。
日曜日らしく、公園はのどかだ。
キャッチボールを楽しむ学生。
ベビーカーを押して歩く夫婦。
長距離ランナーが一定のリズムでジョギングしていく。
その光景のただ中に、
場違いな集団 が点在していた。
モニュメント周辺には、
パンフレットを配る宗教団体。
折りたたみ椅子を並べる初老の男女。
そして、黒いレンズを向けて静かに座り込む記者たち。
皆、同じものを待っていた。
やがて、公園の入口から見慣れた白髪が姿を現した。
ざわめきが広がる。
「来た……!」
「教授だ……!」
「これで“予兆の場所”が本当に始まる……」
ハートマンが微笑みながらモニュメントへ歩み寄ると、
数名の大学職員が慌てて駆け寄った。
「ハートマン先生! あの、今日は施設使用の許可が……」
「申請は却下されておりますので、
本日はお引き取り願います!」
職員たちは必死だった。
しかしハートマンは眉一つ動かさない。
「許可?
私は研究者だ。
研究目的の観察に、何の許可が必要だというのかね?」
「……これは研究ではなく、宗教行為だと——!」
「宗教?」
ハートマンは笑った。
その笑みは皮肉ではなく、ただ純粋に“理解していない”ように見えた。
「これを宗教と呼ぶのは、あなた方が無知なだけだよ。
これは“社会心理の発露を観察する研究”だ。
私は今日も、その観察に来ただけだ。」
再び職員たちが説得を試みようとしたそのとき——
ざわ……と空気が動いた。
モニュメントの周囲に、
信者たちが続々と集まり、
自然と円を描くように膝をついていく。
「ミオ……」
「預言のしるしよ……」
「今日こそ兆しが明らかになる……」
誰もハートマンを待たなかった。
ハートマン不在でも、祈りが始まったのだ。
最初は数十人。
気づけば数百人。
遠目には千人を超えているように見える。
ざわつく記者たちが一斉にシャッターを切る。
職員たちは呆然と立ち尽くした。
ハートマンはその光景を眺めて、
静かに息を吐いた。
「……君たち職員には、
この“研究”の偉大さは理解できないだろうが…」
ゆっくりと背を向ける。
「よろしい。私は引き上げるとする。」
職員たちをあっさりと置き去りにし、
公園の出口へと歩き去っていくハートマン。
その背中を、誰も追わなかった。
モニュメントの前では、
彼が立ち去ったことすら意に介さず、
信者たちの祈りは、
空へと静かに、果てなく続いていた。
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