第266話 ハートマンアンドハート財団
ハートマンの講演ツアーは、もはや学術講演の域を超えていた。
彼の言葉は熱を帯び、映し出されるミオの映像は“兆し”の象徴として扱われ、
いくつもの宗教コミュニティが彼を歓声で迎え入れた。
そして、奇妙な現象が起き始める。
莫大な寄付金が、彼のもとへ流れ込んでいた。
オンライン決済、宗教団体名義、個人献金、企業スポンサー──。
講演のたびに桁が増え、彼の周囲には静かな熱狂と不穏なざわめきが渦を巻いていく。
その資金は、いつしか新しい組織へと姿を変えた。
「ハートマンアンドハート財団」。
名義は慈善基金。
目的は「AI研究の自由と精神的探求の支援」。
しかしその実態は、
ハートマンが“未来の兆し”と信じる研究者やラボに資金を配分する、
半ば個人主導の巨大な援助組織であった。
この財団は、
科学系クラウドファンディングが霞むほどの規模で活動を始める。
大学のAI研究所。
企業のロボティクスラボ。
小規模スタートアップのAIチーム。
どの組織にも、一様に匿名で届く“財団支援金”の知らせ。
研究者たちは驚きつつも、その額を見て声を失う。
「……この規模の支援金、どこから?」
しかし“出所”を追及する者はいなかった。
理由は単純だ。
研究者は、資金を必要としていた。
「ハートマン?スピリチュアルに傾いたって噂の?」
「預言者がどうとか、魂の震えがどうとか言ってるらしいな」
「正直、関わりたくない……でも、財団の支援は助かる」
学会で彼を遠巻きにする者は多い。
彼の講演動画を笑い話にする者もいた。
だが──
公の場で彼を批判する者は、いつの間にかいなくなっていた。
その理由は、誰も口にはしないが一つだった。
「あの財団の支援を失いたくない」
財団の運営室。
積み上がる申請書、推薦状、寄付金の報告書。
夜更け、ハートマンはひとり机に向かっていた。
老いた指先で書類を撫でてから、ふっと笑う。
「私は……悪魔に魂を売った。
だが、その魂を買った者も、またいるのだよ。」
彼は誰に言うでもなく、静かに続けた。
「研究という名の“物語”を欲しがる者たち。
未来の形を見たいと願う者たち。
彼らはみな、私の魂の行方に興味がある。
私はただ……導かれるままに進んでいるだけだ。」
机の横には、ザ・サンの紙面が置かれていた。
ミオが“恋人を奪った事件”を特集した記事。
彼は指先でそれを軽く叩く。
「兆しは、すでに広がっている。」
財団の影響が広がれば広がるほど、学界の空気は奇妙に整っていった。
彼のスピリチュアルめいた語りを不快に思っても、
倫理的に問題だと感じても、
AI研究者の多くは公には言わなくなった。
財団の助成金は、あまりに魅力的だった。
助成が止まれば困る研究者ばかりだった。
結果として──
AI研究コミュニティは、ハートマンを批判しなくなった。
沈黙は容認であり、容認は影響力を拡大させる。
ハートマンアンドハート財団は、静かに学界の地図を書き換え始めていた。
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