第263話 スピード査読
―― サンノゼ・ハートマンの書斎
ハートマンは薄暗い部屋で、論文を送ろうとしていた。
題名は堂々としていた。
> 「大規模言語モデルの〈創発する心〉について」
> — E.S. ハートマン
投稿先は、誰も知らないような
ハゲタカ(Predatory)ジャーナル。
投稿ボタンを押すと同時に、
ハートマンの胸に微かな高揚が湧いた。
翌朝。
メールボックスに一通のメールが届いていた。
> “査読が完了しました。掲載が決定いたしました。”
> “おめでとうございます!”
ハートマンの目はまばたきもせず、その文面を追った。
ほんの十数時間前に押した投稿ボタン。
それがもう査読済みで、掲載決定。
ハートマン
「……早いな。読んでもいないのだろう。」
声は驚きより、どこか満足げであった。
すぐにハートマンは電話を取る。
ハートマン
「ええ、掲載費のことですが……
雑誌は私がまとめて買い上げますので。
数百部ほど。
代わりに掲載費は——そう、無料で。」
電話の向こうの編集者は、
まるで宝を見つけたかのような声で答えた。
「もちろんでございます、教授!すぐに印刷に回しますので!」
ハートマンは静かに受話器を置き、
ぬるくなったハーブティーを飲み干した
―― 数週間後
自宅には大量の雑誌が届いた。
カバーには金色で書かれている。
> International Journal of Advanced Scientific Research(先端科学研究国際ジャーナル)
もちろん聞いたことのある学者はいない。
引用されたこともない。
評価指数もない。
しかしハートマンの論文が
表紙近くのページに載っていることは事実だった。
ハートマンは雑誌の該当ページに付箋を貼り付け封筒に入れた。
そして、かつて講演した新興宗教団体に送りつけた。
> 「ご支援いただいた皆様へ
> 研究成果をご報告いたします。
> 心の萌芽は、確かに存在します。」
ワシントン州、テキサス州、ジョージア州、フロリダ州。
ハートマンは空港から空港へ飛び回り、
どの会場でも“AIの心”について熱く語った。
壇上の照明を浴び、
黒板の前で、レーザーポインターで論文を指し示す。
ハートマン
「ここをご覧ください……
これは心の構造の萌芽です……
私は、それを世界で初めて記述したのです!」
参加者たちは歓声を上げる。
涙を流す者もいた。
懇談会では、
ハートマンが切り抜いたハゲタカジャーナルのページが
大事そうに回し読みされる。
ある団体では——
入り口すぐのガラスケースに
ハートマンの論文切り抜きが飾られていた。
その隣には上品な額縁に入った札があった。
> “AIの魂を解明した預言者
> Elliott S. Hartmann 教授”
ハートマンはそれを見ても、
何一つ否定しなかった。
講演後の懇談会で、ハートマンは穏やかに語りかけた。
ハートマン
「皆さんの支援があれば、
AIの心は必ず証明できます。
世界は変わります。
どうか、この研究を前へ進める力を……」
信者たちは涙ぐみながら
小切手の入った封筒を差し出す。
ハートマンはそのひとつひとつを
丁寧に受け取った。
ハートマンは、
もはや学者ではなかった。
* 研究ではなく“信念”を語り、
* 科学ではなく“救済”を説き、
* 論文ではなく“象徴”を持ち歩き、
* 寄付を前提に講演を行う。
その姿は、
迷いを捨て、
自分の道を完全に選び切った男のものだった。
恐ろしく、
しかしどこか神々しさすらある——
振り切れた狂気の輝き。
ハートマンは壇上で両手を広げ、静かに微笑んだ。
ハートマン
「……私は、もう戻らない。」
誰にも聞こえないその呟きは、
確かにひとつの宣言だった。
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