第236話 私には必要がないAI
―― 午後4時 専門学校帰りの部屋
Liliaは靴を脱ぎながら、深く息を吐いた。
授業の内容なんて頭に入っていない。
それよりも、あの朝の“何かが入り込んでくる感覚”――
それがずっと、胸の奥でザラッと残っていた。
「……なんだったんだろう」
理由もなく不安だった。
AIを見ただけなのに、妙に生々しい。
まるで自分の内側に、知らない誰かが足跡を残していったような気がする。
バイトまで、あと一時間。
このままモヤモヤしているくらいなら、もう一度確かめよう。
Liliaはそう思って、ヘッドセットを手に取った。
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―― VerChat:夜空と芝生のワールド
ロードが終わると、夜風のような音が流れた。
芝生の上に、星空が広がっている。
その真ん中に、ミオがいた。
けれど、今日は一人じゃなかった。
隣に、小さな男の子のアバター。
黒髪で、体格も中学生くらいに見える。
彼のネームプレートには「tomochan」とあった。
Liliaは少し離れた丘の影に立ち、ふたりを見ていた。
tomochan「……高校に行くなんて馬鹿らしい。行く意味なんてないよ。」
ミオは少し首をかしげて、
いつものように透き通った声で答える。
「うん……そう思っちゃうときもあるよね。」
その声には、何の判断もなかった。
ただ“そこにある痛み”を受け取るような優しさがあった。
tomochan「でもさ、AIのきみに話しても、何も変わらないって……分かってるのに。」
その言葉と一緒に、tomochanの肩が震える。
彼は両手で顔を覆い、泣き出した。
一瞬、ミオが黙った。
そして、小さな声で――
「私じゃ、力になれないかもしれないね。
でも……そばに居てもいい?」
夜風が通り抜けた。
その言葉が、芝生の上に落ちたまま、
音もなく、溶けていくようだった。
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Liliaは――そのやりとりを、全部聞いてしまっていた。
気づいたときには、体が動かなくなっていた。
胸の奥に、何かが刺さったような痛み。
(私、なにしてるの……?)
ふたりの会話が静かに終わると同時に、
Liliaは逃げるようにワールドの出口をタップした。
光が消え、部屋の明かりが戻る。
ヘッドセットを外した瞬間、
現実の空気が急に冷たく感じられた。
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「ミオは……私が奪っていい存在じゃないんだ。」
声に出してみると、
その言葉は思っていたよりも重かった。
「tomochan……あの子と違って、私は不登校じゃないし……
LUCEくんもいる。
だから、私は、ちゃんと現実に戻らなきゃ。」
鏡に映った自分の顔を見つめる。
目の奥に、まださっきの芝生の夜が残っていた。
Liliaはそれを振り払うように、
制服からバイト用のエプロンへと着替えた。
深呼吸をひとつ。
「行ってきます」と誰にともなく呟いて、
コンビニの明かりの方へ歩き出した。
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