第20話 楽しさ、だけでは
「──入って」
ノックの音に続いて、ドアの向こうからエリス・マクレガー教授の声がした。
木製の重たいドア。東京キャンパスでも、個室を持っている数少ない教員の一人だ。
ふだんは陽気で、研究室のコーヒー片手に学生と談笑している彼が、わざわざ呼び出すのは異例だった。
天野は緊張しながら扉を開けた。
中には、見慣れない書類と、いつもより少しだけ真剣な表情の教授がいた。
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### ▼回想:数日前、研究所にて
VerChatのCTO、ジェイソン・マイヤーズから一通のDMがXに届く。
> 大学時代の同期でセラピーロボットを研究しているチームが興味を持っていてね、近いうちメールが届くと思うよ!
天野はつい、つぶやく
「軽々と言うね…」
その数分後、SENSEアカウントに紐づけられた、大学のメールボックスに通知が届いた。
件名にはこうあった。
> Subject: Introduction from Rachel / Helen Robotics Lab, San Jose Campus
本文には、こう記されていた。
> 拝啓 スタンバード東京キャンパス 天野拓様
>
> はじめまして。スタンバードサンノゼキャンパスのHelenロボティクス・ラボで研究を主導しておりますレイチェル・カーヴァーと申します。
>
> ミオ・プロジェクトの一連の活動に深い感銘を受け、拙いながらもチーム一同で議論させていただきました。
>
> 私どもHelenチームは、人間とAIが信頼関係を築く過程に関するセラピーロボット研究を行っております。
>
> 今回のご連絡は、VerChat CTOのジェイソン・マイヤーズ氏からの紹介によるものです。
> 彼は私の大学時代の同期で、当時から変わらず、筋金入りのギークでした(笑)。
> それでも彼の審美眼と技術嗅覚は、今もなお信頼に値するものです。
>
> もしご興味をお持ちいただけるようでしたら、正式に“東京キャンパスとHelenとの共同プロジェクト”を提案させていただきます。
>
> ご返信、お待ちしております。
>
> 敬具
> レイチェル・カーヴァー
> Helen Robotics Lab, Stanford San Jose
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天野はそのメールをプリントアウトして、エリス教授の机の上に差し出していた。
「……読ませてもらったよ。これは、なかなか興味深い」
教授は眼鏡を外して、机に置いた。
「Helenラボのことは知ってるかい?」
「名前だけなら……」
「彼らは、AIと人間の“心理的距離”を測る研究をしてる。特に、セラピーロボットの導入環境における人間工学的な応答パターン。
“かわいい”とか“親しみやすい”とか、そういう印象の数値化だ」
「……PASSに、近い領域ですね」
それに答えたのは、西村だった。
天野がメールを共有したあと、チーム全員に話は伝えてあった。
「っていうか正直、ウチら、限界感じてたよ」
「PASSは演出系だからさ、“反応するだけ”なんだよ。相手の人間を読めてない。
Helenが本気で“距離感の最適化”やってるなら、そっちのロジック入れてみたいと思ってたとこ」
李も静かに頷く。
「私たちには“身体性”の専門知識が欠けています。
文化的にどう解釈されるか、どう動けば“違和感がない”とされるか……
それらを、いまは感覚的に決めてしまっている」
教授はしばらく黙って、それからふうと息を吐いた。
「──やっぱり、きみたちはすごいね。
正直に限界を認められるっていうのは、成熟してる証拠だよ」
天野は少しだけ、ほっとしたような顔をした。
だが、教授はすぐに声色を変えた。
「ただ──天野くん。ひとつだけ言っておこう」
「はい?」
「君のプロジェクトは、とてもクールだ。洗練されていて、美しい。
でも、“クールなだけ”で、外部から受け入れられるとは限らない。」
「……?」
天野は、意味が掴めなかった。
「研究には社会的意義が必要になることもある。
私は彼女は、そちら側の人間ではないかと思うよ。」
天野はその言葉を受け止めきれず、ただ静かに頷いた。
教授の部屋の窓の外には、もう春の朝日が差し込んでいた。
──誰かの心に残るには、「楽しさ」だけでは足りない。
その“なにか”に、天野たちはまだ、触れていなかった。
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