復讐は献身的侍女と共に ~愚兄に全てを奪われ続け、左遷させられた弟の優しい因果応報~
「お前はオレを怒らせるのが本当に上手い弟だな、クズ」
間髪なく飛んできたブーツの裏が腹にめり込み、その弾みで壁に叩き込まれる。
「ッ……」
次いで後頭部、背中に鈍痛が襲う。
「弟の分際で兄より優れている所を見せつけようとするな」
そこから続けて、顔に、胸に、また腹に蹴りが打ち込まれる。
「おまけに、兄よりも先に婚約者を見繕うとか言うのも気に食わない。それもオレ好みの美女だ」
最後に一際強く顔を蹴り飛ばされて。
「まぁ、お前のようなクズには相応しくないし、代わりにオレが娶ってやるよ」
朦朧とする意識の中、嘲笑う声と共にドアが閉められる。
足音が遠ざかり、部屋の前に人気が無くなるのを見計らったように、コンコンとドアがノックされる。
「失礼致します」
そう告げて、きっかり二秒後にドアが開けられ、すぐに閉められる。
部屋の隅で横たわる彼――『アラン・ユースティス』に駆け寄り添うのは、銀髪と青い瞳を持つ一人の侍女。
「アラン様、お怪我は?」
「……大事無い」
アランは侍女――『マリア・レヴェリ』の手を取りつつ起き上がる。
「すぐにお手当てを」
マリアはテーブルから椅子を引っ張り、アランを座らせると、持ってきた救急箱を開け、手当てを始める。
「いつもすまないな、マリア」
「いえ、私はアラン様をお支えする侍女ですので」
手慣れている――それほどの回数をこなしてきただろう手際により、瞬く間にアランの手当てを完了させる。
それを終えたのを見計らい、アランは深い溜め息を吐いた。
「これでまたひとつ、俺は無能の烙印を押されるか」
「また、ガイオス様に功績を奪われましたか」
「あぁ……それに、婚約者も奪われることになりそうだ」
「……お茶を準備しましたので、ご用意致します」
嘆かわしげに片手を頭に置くアランに、マリアは救急箱を置き、それと一緒に持ってきたティーポットとティーカップ、ソーサーを用意し、紅茶を注ぐ。
――アランは、ユースティス公爵家の次男坊として生まれた。
長男の『ガイオス・ユースティス』とは三つ年の差があり、肉体的差もあって兄弟喧嘩はいつも屈服される側だった。
その兄弟喧嘩が、いつ頃からか"ガス抜き“と"搾取“に変わっていた。
常日頃からガス抜きの玩具にされ、せっかくの功績は全て奪われる……そんな中でもアランは腐らずに己を磨き、明日を見据え、前に進み続けた。
そうして努力と研鑽が実を結び、良家の子女を婚約者として迎え入れようとしていた時に、それすらもガイオスに横から奪われると言う有り様だ。
領主たる父の『アルヴァン・ユースティス』は表面上のことしか知らず、息子二人には、優秀な兄と不出来な弟、と言うレッテルを貼るだけ――と言うのも、ガイオスの取り繕いや証拠隠滅の巧さによるものだが。
母の『ミネア・ユースティス』は何も言わず、深窓の夫人としている――ように見えて、ガイオスの傍若無人な振る舞いに心を痛め、尊厳と功績を奪われ続けるアランの努力と研鑽をよく知り、気に掛けている。
家内の侍女達の間でも周知の事実であるため、ガイオスがアランを虐げていることは見てみぬフリをするのみ。
唯一、アランにこうして寄り添ってくれる存在は、侍女達の中でも一際美しく有能な、マリアだけだった。
ガイオスの不況を買わない程度の距離を保ちつつ、"有能な侍女“の仮面を被り、またアランに起きている真実をミネアに横流している。ミネアがアランの結果や研鑽を知っているのはこのためだ。
そして、アランの身に何かあれば、周囲に知られないようにこうして駆け付けてくれる。
故にアランにとってのマリアは、家内において唯一信頼出来る相手であり、ミネアの次に心を許せる相手でもあった――。
マリアの淹れた紅茶を味わいつつ、アランはまた深い溜め息を吐き、愚痴を溢すように言葉を紡いだ。
「なぁ、マリア。俺は一生このままなのか?」
対するマリアは何も答えず、お茶請けの菓子を並べる。
「俺は17にもなって何も為せず、このままずっと兄上の玩具にされて、兄上に自分の功績を捧げなければならないのか?」
アランは菓子を口に放り、咀嚼する。
「それがユースティス家の次男の役目なら、そうするしかないのか……?」
「アラン様は、今のご自分の環境を、どうお思いになられておいでですか?」
不意に、会話を期待してなかったマリアからの声。
「なに?」
「率直に申し上げるのなら。この家にガイオス様がいる限り、アラン様は日陰者のまま、生涯を終えてしまうでしょう」
マリアは紅茶のおかわりを注ぎつつ、言葉を続ける。
「アラン様が何も為せぬまま、ガイオス様に使い潰されるだけの生涯に甘んじるのなら、私にはそれを止めることは出来ません」
ガイオスに使い潰されるだけの生涯。
それを聞いて、アランは目を細めた。
「それは、嫌だな。俺も男だ、せめて死ぬ前に一華咲かせたいとは思う。だが、」
「アラン様」
マリアの強い声に、アランは思わず目を合わせた。
「お立場がどうなろうとも、私はアラン様のお側にいるだけです。たとえ、艱難辛苦を伴う荊の道だったとしても、どこまでも」
マリアの瞳には、確かなる覚悟が宿っていた。
アランは、その輝きに目を奪われ――腹積もりを決め込み、大きく頷いた。
「――ありがとう、マリア。俺に、力を貸してほしい」
「仰せのままに」
マリアに背中を押され、アランは今後について考え、計画を始めた。
愚兄ガイオスへの復讐を――。
数日後。
アランは家督たるアルヴァンに呼び出された。
内容は、ガイオスの私財を盗んだことへの咎めと、それに対する処分だった。
無論、アランはガイオスの私財など盗んでなどいないのだが、『そう言うこと』にされたのだ。
「アラン、お前には辺境の『ヴァイスエンデ』領の領主に任命する。これは、お前への温情でもあるのだ。辺境ゆえに少々不便だろうが、これを機に領主として励むといい」
アルヴァンは温情とは言ったものの、言外に左遷を命じたのだ。体の良い追放とも言う。
「拝命致します」
アランは不満や反発を見せることなく、淡々と一礼した。
細かい点をいくつか聞かされた後、アルヴァンの執務室を後にした。
執務室を出てすぐのところで、ガイオスの下卑た笑みが待っていた。
「よぉクズ。辺鄙なド田舎領の領主様に任命だってな、おめっとさん」
「……身に余る光栄です。兄上をお支え出来なくなるのは残念ですが、これからはヴァイスエンデの領主として励」
瞬間、ガイオスの足がアランの鳩尾を強かに打ち据えられ、壁に叩き込まれる。
「こっ、かっ」
「ハッ、泥棒働いといてよくもベラベラと。この、クズが」
アランがガイオスの私財を盗んだと言う事実は当然当人の耳にも入っているのだが、本当に盗まれたのかどうか確かめもしていない。
続けて、何度もアランを踏みつける。
が、それもこれが最後だ、アランはいつも通り無抵抗に受け、ガイオスが飽きるのを待つ。
「チッ、クズの穢らわしい血が付いた。おい、誰か新品の靴を用意しろ」
ようやく気が済んだらしいガイオスは、その場を去る。
ガイオスが去ってから少しの間を置いてから、マリアが駆け付けて、アランを助け起こす。
「……すまない、マリア」
「いえ……策のためとは言え、アラン様に罪を擦り付けるような真似をしたこと、お許しを」
「気にしないでくれ……予定通り、左遷が決まった。俺はこれから、母上の元へ向かう。後のことは頼む」
そう。
アランがガイオスの私財を盗んだ、と言う偽情報を流したのはマリアであり、アランもそれを承知していたのだ。
アルヴァンに自分を左遷させるために。
「承知致しました」
それだけ言葉を交わしてから、アランはミネアの私室へ、マリアはアランの旅支度のための荷造りに取り掛かる。
二日後、アランは"お目付け役“としてマリアと、他十人ほどの護衛兵と共に、ユースティス家から旅立とうとしていた。
見送りに来てくれたのは、実母たるミネアとそのお付きの侍女のみだった。
旅立ちの前に、アランはミネアと向き合った。
「それでは母上、行って参ります」
「……アラン、私はあなたに何もしてあげられず、守ることも出来ず、こうして見送りにしか来れない。それでも、あなたは私がお胎を痛めて産んだ子だから、だから……」
「大丈夫です、母上。俺は必ず戻ってきますので。母上も、どうかお元気で」
アランとミネアはそっと抱き合い、互いの温もりを確かめてから離れる。
そうして、アランとマリアを乗せ、周囲に護衛を付けた馬車が出発し、ミネアは見えなくなるまで見送っていた。
ユースティス領から北へ往くこと一週間ほど。
アランはようやくヴァイスエンデ領へ到着したが、
「これは……噂以上だな」
目に見える緑が少ない、荒野と言ってもいいほど、荒れ果てた地だった。
アランも、事前にヴァイスエンデについて調べており、この地は度重なる内紛によって前領主が死亡、領内が乱れ、それに乗じるように山賊が跋扈するようになり、田畑も荒れたまま放置されているとは知っていたが、実状は想像を超えていた。
なるほど、無能を左遷するにはもってこいの領地と言うわけだ。
領主の屋敷の前に着くと、玄関口に軍服を纏った大柄の壮年の男性と、左右に一人ずつ衛兵が待ってくれており、アランがやって来るのを見て、深く一礼した。
「ようこそ、アラン・ユースティス様。遠路ご足労いただき、恐縮であります」
「貴方は?」
「はっ、自分は兵団長の『クラウゼント・ディオス』であります。前領主様の亡き後、僭越ながら領主代行を全うしておりました」
クラウゼントと名乗る兵団長は、アランの前で片膝を着いて跪き、それに合わせて左右に控えていた衛兵も跪く。
「顔を上げてくれ、クラウゼント団長」
「はっ」
クラウゼントが顔を上げるのを確かめてから、アランは自分も名乗る。
「改めて。本日付けでヴァイスエンデ領主に着任する、アラン・ユースティスだ。こちらは侍女のマリア・レヴェリ」
自分の一歩後ろに控えていたマリアも一礼する。
「クラウゼント団長、早速で悪いが屋敷の案内ついでに、この領内の実情を教えてほしい」
「かしこまりました。新領主様と、レヴェリ殿のお荷物を」
クラウゼントは部下に二人の荷物を持つように命じ、屋敷の中へ案内する。
応接室に招かれたアランとマリア。
マリアは先任の侍女達に教えを乞いながら、慣れた手付きで紅茶を用意していく。
その間に、アランはクラウゼントと席に着いて向き合う。
アランは最初に、ヴァイスエンデ領の人口と、兵力について訊ねた。
「このヴァイスエンデは、人口約三万人。その内、騎士と兵士が合わせて四百人ほどであります」
「四百か……」
人口三万人の土地としては、あまりにも心許ない兵数だ。
治安維持に回せる人員がそもそも少ないのだ、山賊討伐などが滞っているのも無理もない。
「なにぶん、内紛によって政務をこなせる者も減り、国力も弱っております。その上、山賊や野盗も横行闊歩しており、このままでは秋の収穫期も満足に収穫出来ず、食料不足のまま冬を迎えるかと……」
自分が政務に不慣れなばかりに、と苦々しげにクラウゼントは目を伏せた。
「頭を下げないでくれ、クラウゼント団長。貴方のせいではないだろう」
それに、とアランはマリアに目を向け――マリアは一礼するのみ。
その一礼を確認、意を決してアランは再度口を開いた。
「この領のことは、ある程度調べている。その上で、国力を回復させられる術がある」
「なんと、それは一体……」
アランの国力回復計画は、その日即日実行に移されることになった。
数日後。
ヴァイスエンデ領に跋扈する山賊達は、クラウゼント率いる兵士達によって取り囲まれ、一人また一人と武器を捨てて両手を上げ、降伏の意志を示していく。
それは、彼ら山賊達の首領が縄に縛られ、槍の穂先を首筋に突き付けられているからだ。
そこへ、マリアを従えたアランがやって来た。
「……俺達を、皆殺しにするつもりか」
山賊の首領は、アランを睨みながら唸る。
領内で散々略奪を働いたのだ、今更赦しを乞おうなどと思っていない。
首領のみならず、他の山賊達も同様だ。
しかし、その新領主であるアランはそれをよしとしなかった。
「お前達に問う。何故、お前達はそのようにしか生きられなかったのだ?」
その問いに対し、首領が口を開いた。
「俺達はみんな、はみだし者だ。親がいない、金がない、権力がない、何もない。無いなら、奪うしかなかった。そうしなきゃ、生きていけなかった」
他の山賊達も、そうだそうだ、お前に俺達の気持ちが分かるか、と口々に声を上げる。
「無益なことだ」
アランは、それら声を一喝して静める。
「奪えば奪うほど、お前達が奪う相手は先細る。そうなればお前達も先細るばかりだ。それも分からないか?」
「ならどうすればいい!俺達のようなはみだし者は、野垂れ死ねと言うのか!」
怒りに声を荒げる首領に、アランは歩み寄り、その肩に手を置いた。
「簡単だ、お前達が作る側になればいい」
「ど、どういうことだ?」
「お前達が田畑を耕し、守ることを手伝ってくれれば、そう遠くない内に、今よりももっと食べられるようになる。お前達が住む家も与えてやれる。……そうしてくれるなら、俺はお前達のことを決して悪いようにはしない。約束しよう」
アランの説得に、首領は考え――頷いた。
「……いいだろう。俺達の命、あんたに賭けてやる」
こうして山賊達は皆、略奪から足を洗って畑を耕し始め、何人かは兵士になることを志願した。
各地で山賊や野盗として身を窶していた者らは、この一件を聞き、次々に新領主アランの元へ訪れた。
アランは彼らを一人残らず迎え入れ、農地と一定の税を課し、志願者は兵士として戦力に加えた。
たった一度、山賊だった者達を受け入れただけで、ヴァイスエンデ領はその国力を急激に回復し始めたのだ。
そこから数か月が過ぎれば、冬を目前に遅まきながらも収穫期を迎え、数年ぶりの豊作だった。
冬の間でも食料に困らず、領民達は揃って新領主アランを支持し、元山賊達もアランの言葉に嘘が無かったことを認め、より一層の忠節を誓った。
「突き!払え!気合が足りんぞ!そんなもので兵士になれると思うな!もう一度、突き!払え!」
寒空の練兵場に、クラウゼントの声と、兵士達の掛け声が響く。
アランとマリアはその様子を眺めながら、言葉を交わす。
「兵達の士気は十分、装備や調練も充実。ここまでは順調……マリア、君が支えてくれなければ、こう上手くはいかなかった」
「いいえ、アラン様。私はただ、あなた様に付き従っただけのこと。……それに、ここからが本番。そうですね?」
「そうだな。兄上……いや、『ガイオスへの復讐』は、ここからだ。次の一手を打つ準備は、既に出来ている」
年が明けてすぐに、アルヴァンの元にアランからの手紙持った使者が送られてきた。
手紙の内容は、差し障り無い挨拶と、領の統治は概ね順調であることの報告、それに加えて。
「納税?しかも、なんだこの税量は……これではまるで搾取ではないか」
要約すると、アランはガイオスに納税を命じられており、納税可能になったのでそれを果たすとのこと。しかしその税量があまりにも法外であり、アルヴァンの目から見ても"搾取“なのは明確だった。
ガイオス本人にその事を問い質せば、本人は納税義務など知らぬ存ぜぬを主張した。
しかしその翌週には、ヴァイスエンデから農作物や織物、木材や鉄と言った資材が大量に送られてきた。それに伴う書類などはアランのサインが記載されたそれらを。
ガイオスは困惑し、アルヴァンは彼に疑念の目を向けた。
アランから搾取しているのは本当なのかと。
もう一方、ミネアにもアランからの手紙が送られてきた。
その内容とは――
「……急ぎ、ヴァイスエンデ領との、"内通“の用意を」
ミネアは自分の侍女らにそう命じた。
春を迎え暖かくなり始める時季になった頃、クラウゼントを始めとする将兵一同は、練兵場に集められていた。
彼らの前に立つのはアランと、その一歩後ろに控えるマリア。
アランは一歩前に出て、声を張り上げる。
「諸君、年を明けてすぐに我が領は、隣領たるユースティス領へ納税したことを覚えているか?そう、ユースティス領主は我が父、アルヴァン・ユースティス。俺は父上への義理を守るべく、諸君らや領民と共に辛苦を分かち合った」
これは半分嘘で、残り半分は本当だ。
領民への名目は『父上への義理』だが、ユースティス領への名目は『ガイオスへの納税』であり、実際に納税の品々を送った。
食料面も、領民や将兵が飢えることない十分な量はあったが、アランは敢えて『自分のことよりも親への義理を優先した』ように言葉を選んだ。
「しかし!父上への義理として送り届けた品々は、全て我が兄、ガイオス・ユースティスが、己の贅沢のために横領したと言う!親への孝を忘れ、家族に不義理を働く、紛れもない悪行である!」
これは実際どうなったのかは知らない。
本当にガイオスが横領したのか、そうでないのかは不明だ。
だが、将兵の中に、怒りを顔に出す者が現れる。
何故なら、「アランは、実兄ガイオスの保身のために左遷させられた」と言う噂を耳にしていたからだ。
――もちろんこれは、アランがわざと流布させた、嘘でないような実際嘘っぱちの偽情報だが、領民や将兵達、特に元山賊の兵士にとって、家族を蔑ろにしていると言うガイオスへの悪印象を抱かせるには十分だった。
「このような暴挙、たとえ実兄であろうとも許されることではない!故に俺は、ユースティス領と言う隣人を、そして家族を守るために、"逆賊“ガイオスを誅伐する!精強なる烈士達よ、どうか俺にその命を預けてくれッ!!」
力強く拳を突き上げ扇動するアランに、将兵全員が閧声を上げた。
――人、これをマッチポンプと言う。
アランとマリアは、千人近い将兵と共に、ユースティス領へ侵攻を開始した。
その一週間と半日後の深夜、密かにユースティス領の町に部隊を展開し、アランは一人で外門へ向かう。
門番兵はアランの姿を確認して頷き、何も言わずに門を開け放った。
門が開かれたところに、ミネアと付きの侍女達が待っていた。
「アラン、おかえりなさい」
「お久しぶりです、母上。さぁ、こちらへ」
「……本当に、いいのね?」
「はい、後悔はありません」
アランはミネア達を連れて、部隊の後方へ下げさせ、クラウゼントとマリア、その部下を親衛隊として護衛につかせる。
「繰り返す。領民への攻撃、略奪は絶対にするな。狙うは逆賊ガイオスの身柄のみ、必ず生かして捕えろ」
自分達の目的を再確認させてから、アランは腰に提げた剣を抜き、開かれた外門に切っ先を向けた。
「総員、突撃せよ!!」
ユースティス領の屋敷は呆気なく制圧された。
深夜帯故に衛兵も最低限の人数しかおらず、何百人もの訓練された兵士に抗えるはずもなく取り押さえられ、領主アルヴァンと逆賊ガイオスの居場所を吐かされた。
そうして間もなく、アルヴァンはミネアの親衛隊の元へ丁重に護送され、ガイオスは縄に縛られた上で屋敷の外に引き摺り出された。
「ご苦労だった」
アランは、ガイオスを捕えた兵士に労いの言葉をかけてから、地面に這いつくばる逆賊を見下ろす。
「このクズ!てめぇこんなことして許されるとでも思、ぶべっ」
喚くガイオスの顔に、アランは無言でブーツの爪先で蹴り飛ばした。
「……このっ、ド田舎の領主で成功したからって調子に乗、ごぼっ」
続けて仰向けに蹴り転がし、鳩尾、腹部、股間を順番に踏みつけ、最後にもう一度顔を踏みつける。
「わ、分かったっ、金ならいくらでも払うっ、だからっ、」
「見ろ、これが親兄弟を蔑ろにする、逆賊ガイオスだ」
アランはガイオスに背を向け、兵士達に聞かせる。
「殺さない程度なら、好きにしてもいいぞ」
その言葉を受けた兵士達は怒りの笑みを浮かべ――ガイオスの汚い悲鳴が響き渡った。
主に元山賊の兵士達からの私刑を受けたガイオスは、ヴァイスエンデ領から一方的な搾取を行っていたことを理由に、アルヴァンから追放を命じられた。
その身柄はアランに預けられた後、巨額の賠償金と共に鉱山採掘の重労働を課せられることとなり、二度と日の目を見ることは無くなった。
――敢えて左遷させられ、その左遷先で力を得て、得た力を使い、アルヴァンの疑念の目をガイオスに向けさせ、そして大義名分の元に武力侵攻し、ガイオスを捕えた。
ガイオスに相応の痛みと苦しみを与え、その人生を奪ったことで、ようやくアランの『ガイオスへの復讐』は完了したのだ。
「おめでとうございます、アラン様」
ヴァイスエンデ領に帰ってきて、アランの執務室で一息ついたところで、マリアはアランに復讐達成の祝詞を述べる。
「……ふぅ」
しかし成し遂げたと言う割に、アランの顔は浮かないものだった。
「アラン様?」
「いや……復讐を成し遂げた喜びよりも、今回の遠征にかかった費用や兵糧のことを先に考えてしまう辺り、復讐などくだらないなと思っただけだ」
それよりも、とアランはマリアに向き直り、深く頭を下げた。
「結果はどうであれ、俺はひとつの目標を達成することが出来た。マリア、本当にありがとう」
「いいえ、アラン様。私はただ、アラン様のお側にいただけで、何も」
「……今になって思い返せば、実家にいた頃、他の侍女は俺を気に掛けることもしなかったのに、何故マリアだけは俺を気に掛けてくれたんだ?」
自分に気に掛ける理由がない、とアランは言うのだが、マリアは小さく溜め息をついた。
「アラン様は、本当にご自分を過小評価しなさるのですね」
「え」
「気付いておられないのですか?貴方様は実兄からいくら虐げられようとも、他人を思いやることが出来る、お優しい方。それは、誰に対してでも」
「……アレに対しては、反面教師にしていただけなんだが」
「たとえ反面だとしても、教師として見ていたのも、貴方様の優しさの一つです」
だから、とマリアは一度言葉を区切って。
「侍女に……私に対しても優しさを以て接してくれる、貴方様だからこそ、支えたいと思うのです」
真っ直ぐにそう見つめてくるマリアに、アランは胸の内に高鳴るものを感じた。
「そうか……そうだったのか」
それは、マリアの献身に対する納得と、もう一つ理由があった。
「なら、マリア。これからも俺を支えてほしい」
ただし、と付け足して、
「侍女としてではなく、俺の伴侶としてだ」
胸の高鳴り――自分の気持ちへの理解だ。
そのプロポーズにマリアは微笑んで、
「――そのお言葉を、ずっと待っていました」
気持ちを受け入れた。
それから数年後。
「ご領主様、今年度の納税額になります。こちらを」
体力の限界から兵士長を引退し、アランの補佐官として忠務するようになったクラウゼントは、数枚の書類をアランに手渡す。
「ご苦労、クラウゼント」
「はっ。ところでご領主様、そろそろ奥方……マリア奥様が、ご出産を迎える頃とお聞きしましたが」
「あぁ、いつ産気づくかと思うと、夜しか眠れないな」
アランとマリアは互いの気持ちを確かめ合った後、情勢が落ち着いた頃を見計らって、結婚式を挙げた。
そうして間もなくマリアは懐妊し、今は寝室で安静に過ごしている。
「それと言うのも、お前が補佐官になってくれたのも大きいな。感謝しているぞ、クラウゼント」
「はっ、勿体無きお言葉です」
畏まるクラウゼント。
そこへ、伝令の者が慌ただしく入室してきた。
「失礼します!ご領主様、マリア奥様が産気づいたとのことです!」
それを聞いたアランは腰を浮かせた。
「なに!?分かった、すぐに行く。クラウゼント、後は任せるぞ」
「はっ、お任せを」
業務をクラウゼントに引き継がせて、アランは執務室を飛び出していった。
それを見送ったクラウゼントは、懐かしげに苦笑した。
「ふふ……着任したばかりのご領主様の政策には、驚いたものだったな」
まさか山賊達を捕え、許し、あまつさえ領民や兵士として迎え入れるなど、誰が思い付くものか。
それはアランの、他人を思いやる力が為せることだろう。
そのおかげで、荒れ果てた辺境だったはずのここが、こんなにも豊かな土地になったのだが。
――ふと、医務室の方から、元気な産声が聞こえた。
復讐なんぞより隣人を愛する方が大事だって話です。