第25話 ゼロメートルの奇跡
わぁっ! という会場のざわめきと共に、ギャラン君の乗る飛翔機械『白鳥号』は、橋のたもとから真下に向けて勢いよく落下していった。
「ギャラン君っ!」
私、カリナ・ミタルパ(体は帝国兵)は思わず審査員席を蹴飛ばすように立ち、岸壁までダッシュして彼の落ちた先を見に行く。
(お願い! 無事でいて……助けてっ!)
ザザッ、と崖のフェンスに駆け寄り、下の海を見る。今まさに彼が着水して、水しぶきが巻き起こるその瞬間……の、ハズだった。
「え?」
「あ、あれあれ!」
「っと、あ……へっ?」
水しぶきは上がらず、着水音は聞こえなかった。代わりに私が、そして大勢のギャラリーが目にしたのは……目にし続けているのは!
ビュウイィィィィィィィィン
なんと水面スレスレで、白鳥号が真上を向いて静止している姿だった。
「え、ええええええええええっ!?」
すぐ下の水面には海の波を跳ねのけるほどの波の輪が、外側に向けて次々と広がっていく。
どうなってるの? 翼を失ったあの飛翔機械が、どうして落っこちずに空に浮いてるの?
「プロペラで……真下に風を送って、その力で浮いてるのか!」
隣りにやって来た技術部のハルさんがそう叫んだ。あ、そうか。前に進むためのプロペラが上に向いてるせいで、上に進もうとしている力が働いているんだ。
「すごい、すごいっ!」
飛ぶ前から悲壮な予感はあった。翼が折れた時には絶望を感じた。でも、でも! 運よく機体がタテになったせいで、彼は今たしかに浮かんでいる、飛んでいるんだ!
「ギャラーンっ! アクセル、ぜんかーいっ!!」
橋の上にいるお父さんが叫ぶ。それに応えて、座ったまま上を向いているギャラン君がこくりと頷いて、左手に握っているレバーにぎゅっ、と力を込める。
ビイィィィィィィイイイイイ……
「浮いたあぁぁっ!」
「オイオイオイ、上がって来るぞ」
「すげえぇぇぇぇぇぇっ!」
プロペラの回転が猛烈さを増し、彼と彼の機械が橋の下からどんどん上昇してくる!
鳥でも、魔女でも、こんな飛び方なんて見た事無い!
本土と要塞島側の両方から「オオオオオオオオオ!」というどよめきと歓声が沸き上がっていた。私もまたその声に共鳴するように、歓喜の声を上げる。
『なんと、なんとギャラン選手、水面から橋の上に向けて上昇してきますっ!』
解説の人も大興奮だ。そりゃそうよ、誰もが落っこちて終わりだと思っていたのに、こんな形で復活されたらそうなるって!
あの小さなギャラン君が、機体と共に真上を、空を向いて、操縦桿を握りしめて懸命に地面から、海から駆け上がっていく。がんばれ、がんばれっ!
ギュワァァンッ!
ついに橋まで、スタート地点までせり上がって来た白鳥号。その目の前でジャッコさんが小躍りしながら声を出す。
「飛べ、もっと、もっとっ!」
それに応えて会場中からシュプレヒコールが上がる。今この奇跡の光景に、みんなの思いは一つだった。
「「飛-べっ! 飛-べっ!! 飛-べっ!!!」」
プスン、バスッ、バララララッ!
「えっ!?」
橋から3mほど浮き上がった所で、突然プロペラの回転が弱まった。なんかエンジンの音が途切れ途切れになって、リズムを刻むように機体が下へと下がっていく。
バラバラバラ……バスン! ごとっ!!
とうとう橋へと落っこちてしまった。とはいってもゆっくり着地したせいで機体もギャラン君もダメージは無さそうだけど。
「えー、なんでー!?」
ギャラン君がアクセルレバーをガチャガチャしながら不満声を出す。ジャッコさんがその機体に駆け寄り、全体をぐるり見渡してから言葉を発する。
「あー、燃料パイプが空気吸っとるわい」
後で詳しく聞いたんだけど、エンジンを回す為の『燃える水』を貯めているタンクがあり、そこからパイプでエンジンに吸い上げているんだけど、機体が上を向いちゃったせいで、そのパイプの先が燃える水から出ちゃって、空気を吸ってしまったらしい。うん、よくわからない。
『た……只今のジャッコ・マグガイア選手の記録……』
『ゼロ・メートル!』
どわあぁぁぁぁぁっ! と言う歓声が一斉に上がる。続いて拍手のシャワーと、口笛や甲高いイェーイの声が、潮騒をかき消さんばかりに辺りに響いた。
私はそのまま端に向かって駆け出し、役員さんの制止を振り切ってギャラン君に駆け寄ると、そのまま彼にハグして抱え上げ、そしてそのままぐるぐると振り回す。
「あはははは、やったやったーっ! すごい! すごいよキミはっ!」
「ちょ、ちょっとおにーちゃん! ぼく、ぜろめーとる、だよ?」
「あーもう欲張りだねキミは。飛んだんだよ、ちゃんと、しっかりと!」
そう、あのガガラさんも、他の貴族や軍人さん達も、飛んだというよりは空を滑って行った、と言う方がしっくりくる飛び方だった。
でも、ギャラン君はまさに海から飛び上がったんだ! こんな小さな子が、お父さんと一緒に作った機械と一緒に!
「いいぞー、ボウズ、よくやったぁ」
「すげぇよ、本当に飛びやがった!」
「どんな記録よりもすげぇゼロ記録だぜ!」
観客からも、参加者からも、称賛の声が飛ぶ。特に民間から参加して無様に落っこちた人たちからは、こっち側が一矢報いたと言わんばかりに喝采を浴びせ、朗らかに爆笑する。
「あの技術……研究の価値ありだな」
「ええ、最初から高所に陣取らなくても、地面から飛べる技術。うまく育てれば魔女に対抗しうるかも」
席に戻ると、ハルさん達技術部の皆が今のフライトに興味津々だ。うんうん、もっと褒めてあげて!
興奮冷めやらぬまま大会は続いた。相変わらず要塞島側はそこそこの距離を飛び、民間側の選手は真っすぐに落っこちるばかりだったが、それでも今までの悲壮感とは無縁の、熱いチャレンジが帝都の橋の上から放たれ続けていた。
そして、いよいよ最後の選手の登場。あの玉座で話されていた、この機械帝国の第一皇太子の出番。
『それでは最後の選手。我が国が誇る天才にして、この機械帝国第一皇太子、ナギア・ガルバンス選手の登場です!』
主に要塞側からの拍手とともに現れたのは、青い服に身を包んだ青年だった。橙色の髪の毛は首の真ん中で一直線に切りそろえられ、目の上の髪も真っすぐに揃えられた、いわゆる『おかっぱヘアー』。痩せ型でこけた表情は薄気味悪く笑みを浮かべている。
うーん、なんとなく近寄りがたい不気味さがあるなぁ。そんな事口にしたら怒られるんだろうけど。
『そして、彼の相方を務めますのは、今日の為にラフォン社が開発した新型機!』
彼に続いて、ひとつの機械が橋の中央へと引っ張り出されてきた。
『その名も”ブルー・シャーク・ナギア”!』
観客からどよどよとざわめきが起こる。でも無理もなかった、その機械は今までの要塞島側の機械のような、大きな翼が付いていないからだ。
そのフォルムは鳥と言うよりは、まるで魚みたいだった。顔の部分にはギザギザの牙を剥き出しにした顔が描かれていて、半目で前を見据えるその目が凶暴さを予感させた。
左右の翼も魚のヒレみたいで、たった1mほどしなかい。でもナギア選手は気にする風もなく、背びれの部分にまたがるように座って、そこについているスイッチ類をぱちぱちと操る。
「おい……アレで、飛ぶのか?」
「ラフォン社の肝入りっていうから、どんなのかと思ったら」
「これヤバいんじゃね? 皇太子が墜落してケガでもしたら、製作者は刑罰ものだぞ」
周囲のみんなが口々にそうこぼす。確かに、今までのこの大会を見ていたら、どう見てもあれは飛びそうにない。どっちかって言うと海の上に浮かんでボートみたいに進む方がしっくりくるよ……
『現在のトップはガガラ・カクラキン選手の256メートル。さぁ、この記録を上回る事が出来るか!』
発射台の前に立つナギア皇太子とその機械。と、皇太子様がふふんと笑みを見せると、自分の前にあるボタンをポチッ、と押す。
ヒュウゥゥゥゥゥゥーーー・キイィィィィィーーン
突然、耳を突く高音が辺りに響き渡った。まるで刃物をこすり合わせるような不快な音が耳を叩く……あの機械からの音だ、いったい……?
「テイク・オフ!」
皇太子がそう唱えた瞬間だった。彼がまたがった機械がふわり、と宙に浮かぶ。
「え!」
「う、浮いた?」
「なんで、どういう技術、なんだ、アレ?」
そう、風を起こしている訳じゃない。飛び立って滑空してるのでもない。なのにあの機械は宙に浮き上がり、既に橋から2mほども上にいた。
でも……アレは。
「GO!」
皇太子がそう言って別のスイッチを入れる。その瞬間、その魚のような機械は、空を泳ぎ始めた!
「なん、だってぇ!?」
「飛んでる……どんどん高度を上げていやがる!」
「バカなっ! なんという技術!!」
「すごい……あれが、ナギア皇太子と、ラフォン社の実力!」
既に皇太子の乗る魚のような機械は遥か先の場所、お城の周りを旋回するための折り返し地点まで行っており、そこから身をひるがえすようにターンしてきて、お城の裏側を通過していく。
「ナ、ナギア皇太子、機械帝国、ばんざーいっ!!」
「「ナギア皇太子ばんざーい、機械帝国ばんざーいっ!!」」
観衆の喝采を一身に受けながら、お城の周りを一周、二週と回り続ける皇太子の機体。時に高度を上げ、時に水面すれすれまで下げて、そこからまた平然と登っていく。
もう記録なんて無意味だ。ガガラさんの記録でさえ折り返し地点ですら届かなかったのに、この皇太子はもう7周も城の周りを回ってるんだから。
やがて、彼の機体はそのやかましい音を立てたまま橋の上に戻った。着陸寸前にふわりとその身を持ち上げて、そこにすぅっ、とその身を下ろした。皇太子が機械のスイッチを押すと、やかましかった音がシュウゥゥゥゥ、と静かになり、そして……消えた。
ナギア皇太子が両手を上げ、城側に、そして本土側に振る。それに応えて観衆が大喝采を上げる。
「「ナギア皇太子ばんざーい、機械帝国ばんざーいっ!!」」
「「ナギア皇太子ばんざーい、機械帝国ばんざーいっ!!」」
「「ナギア皇太子ばんざーい、機械帝国ばんざーいっ!!」」
もう、ギャラン君が起こした奇跡を、誰も覚えていなかった。
私は橋に向かって駆け出していた。目指しているのは今の今まであの皇太子が乗っていた、サカナの絵が描いてある機械、。今まさに台車に乗せられ、要塞の中へと仕舞われようとしている、ブルー・シャーク・ナギア号!!
(あれは、あれは……インチキじゃないのっ!!)