逆鱗
高校の文化祭で披露するため、防音が施された弟の部屋で長時間ギターの練習をしていたら爪がめくれ、指先からの出血にパニックを起こし、足を滑らせてアンプに頭を打ち付けたオレ。
気が付くと家族でハマったゲームの世界にいた。
魔法と剣、魔獣が蔓延る世界へ呼ばれた無知な勇者たちと。知識と共に経験を得た転生者たち。似て非なる双方が出会い、立場と価値観を衝突させた先で大事な者を失う時、善と悪もなく傾いた天秤の皿が物語るものは?
「その悪い癖はアナタが優しい証拠だな」
何も知らず、知らぬが故に愛おしい言の葉が紅に染まる時、すべての星が花と散る。
以上が、前にいた世界でオレがシリーズ全てを制覇したゲーム【BUNKITEN】のあらすじだ。
一部から熱狂的な支持を集め、本編である七部作に番外編も含めて全部で十二作品という制作側の本気と熱意を感じ、弟と夜通しで語り合ったものだよ。
代替わりする登場人物たち。舞台を変えてもなお、繰り返される無力と暴力の歴史。自分の居場所を守るために衝突する転移者と転生者。そんな混沌としている世界の中で、己の役目と信念を貫き通す者たちの散り際が、今でも涙を誘う。
そして今オレは、ゲームの登場人物・凩 咲楽に成り代わっている。
頭が沸いているのか。と聞かれれば、その方が良かった。と心の底から答えているが、そんな事はどうでもいい。
「推しが良い人過ぎてツライ!」
「サクラ殿、本当に大丈夫か?!」
声に出ていた心の叫びが、薄暗い森の中で響き渡る。
狂暴化している魔獣が歩き回っている。と報告が上がっている森の中に放り出され、一人のさみしさに耐えかねていたところへ傷だらけの状態で現れた推しから、後光が見えた。
「すまない! こんな強硬手段に出るとは……」
「ライアンさんは悪くないです! あたしのスキルが、もっと戦闘向きだったらよかったんです」
自分でもビックリするほど自然な女性口調に、世界の修正力っていうものを感じて最初こそ恐怖を抱いたが、推し以外の前では自由が利くと判明した今では、切り替えの早さを楽しんでいる。
しかし、三頭身の絵柄でも高いと思っていた顔面偏差値が、現実だと国宝級とは思わなかった。
イケメンを通り越した美人を前にすると、人は言葉を失うんだな。実感したよ。
初対面の事を思い出し、懐かしんでいるオレの心境も知らずに一人で頭を悩ませている推し―― ライアンさんが謝罪をした理由は、オレもとい、サクラを此処へ放り込んだバカが原因だ。
一時間前。
ゲームでは省略されていた三ヵ月の勉強期間を終え、ようやく始まった魔法の訓練にテンションが上がっていたオレは迂闊にも、これから物語が開始する事と自身が成り代わりである事を忘れ、本編のイベントも頭から抜け落ちていた。
そして落としていた記憶を拾い直したのは、シリーズ屈指のバカと対面した時。
「異世界人だな。今から森にいる魔獣を討伐してもらうぞ」
いうや否や、バカが保有する転移系のスキルで光あふれる訓練場から、薄暗い森の中へ移動させられて開口一番「ふざけんな、バカ王子ぃ!」と叫んだ。
叫んだ結果、近くにいた魔獣を刺激してしまって右往左往に逃げ惑い、気づけば奥の方へ至っていたオレが本編と同じく魔犬を相手に死闘を繰り広げ、ゲームと同じ状況に感動を覚える一方で沸いた恐怖から目をそらすため、口ずさんだのはシリーズを通して気に入っていた挿入歌。
別のイベントで同じ行動をしたサクラに、散々ダメ出しをしておいて棚上げかよ。という気持ちもあったが、そのおかげで本編よりも早く見つけてもらえたのだ結果オーライである。
魔法世界では必需品であるホウキに、推しと二人乗りできたという現実に一言。
「生まれてきて良かった」
「喜んでもらえたようで何よりだ」
顔が見えなくても、苦笑していることがわかるライアンさんに「しっかり掴まっていてくれ」と言われたので、遠慮なく抱き着く。
親父とは違う広さを感じる背中から、ほのかに香る柑橘系の匂いが俺の鼻腔をくすぐる。――
まってマジで素敵な匂い。ゲームで描写が出たとき勝手に柔軟剤とか香水とか想像したけど、そんな簡単なものじゃねぇ。体内から溢れ出ているような、自然な感じのアレだ。待ってコレを到着するまで堪能していいとか、ご褒美かよ。
「サクラ殿、大丈夫か? 何やら呼吸が……」
「大丈夫です。肺の中を換気していました」
「そうか。具合が悪くなったら、いつでも言ってくれ」
心配してくれたライアンさんの気遣いに感極まった結果、感謝よりもさきに「すきぃ……!」と、胸の内にある昂ぶりを吐露してしまう。
「王都に着いたら、以前にも話した食事処へ行こうか」
背中越しでも伝わる慈愛に居たたまれなくなり、この際だから色々と聞いてみることにした。
「ライアンさんのスキルって、通訳以外では、何に使われるんですか?」
「え、通訳以外で使いどころがあると思っていないのだが……。翻訳、とかか?」
「しまった。そういう設定だった」
心の中で呟いたつもりが声に出ていたらしく「せってい?」と、聞き返されて焦る。
「いえ、あのっ……す、スキル名が【通訳】とかじゃないなら他にも設定機能があるのかなぁ、と」
我ながら苦しい言い訳をしているとは思う。
けれども、気にしていないのか。はたまた気を遣わせてしまったのか。それ以上の追及をライアンさんがしてくる様子はなく、安堵していたら目的地に着いたことを教えられる。
誕生日とか、初恋のエピソードとか、スリーサイズとか。聞きたいことがあったのに、オレのバカ。
悔しい思いに苛まれる中、下の方に目を向けてみると―― 温かい色合いの城を中心に色とりどりの屋根で彩られた街並みと、淡い光を放つ城壁が広がっていて、日が暮れていることも加算して何だか泣きそうになる。
何とか堪えていたオレに「よく頑張ったな」という声が聞こえて、号泣した。
「サクラ殿は先に医務室へ。私は、陛下に報告を――」
「仕事を放り出したかと思えば、若い娘とデートですか?」
地面に着地し、完全に安心した体から力が抜けて倒れそうになったところを抱き留められたオレは、聞こえてきた悪意ある台詞に、全身の血が逆流した。