勇者の国の裏サイド
深夜というにはまだ早い時間帯、道をふらふらと歩いている女がいた。
普段だったら酔っ払いがいると避けるだけだが、どうにもその酔っ払いが子供の頃から密かに惚れていた女であるようなので、見兼ねて声をかけることにした。
「おい、そこの酔っ払い、大丈夫か?」
しかし酔っ払いは相変わらず水中に漂うクラゲのようにフラーッと先に行ってしまう。
「無視すんな」
背後から肩を掴むと、女はヘンテコな声を上げながら振り返った。
「ぬぁーにー? おにぃさんだあれー??」
そうして、ふへへへへ、とかなんとか笑っている、どうも相当に酔っ払っているらしい。
「おい酔っ払い、どうしてそんなになるまで酒飲んだ」
「よっぱらいじゃないもーんー……」
そう言って女は変なふうに笑い続けるだけ。
どう見ても酔っ払ってる、ここまで前後不覚になるほど飲むような女だとは思っていなかった。
「どっからどう見ても酔っ払いだろうが。何かあったのか?」
「だいじけんがあったけど、いけめんなおにぃさんにはなんにもかんけーないもん」
大事件、記憶を探るが最近特に何か大きな事件があった覚えはない、今の勇者候補が勇者候補やめたとかその父親が逮捕されたとかそういうどうでもいいニュースばっかりだ。
そうするとこいつ個人に何かが起こったのだろう。
それにしても、関係ない、か。
いい機会だ、どうせこれよりもいい女なんていなかった、これを機に『関係ない』から脱却してしまおう。
わかりやすく恩を売って、取り入って、ゆくゆくは。
などという下心は潜めておく、これを逃すのは惜しい。
「大事件ってなんだよ、それと関係なくはない、同級生だろう?」
そう言うと、彼女は「んんー?」と考え込む素振りをして、思い出してくれたのか両手をポンと叩いた。
「あぁ〜、さいばらくんだあ〜、おひさしぶりー、そうだゆうしゃこうほのおさそいをなんかいもけっとばしたちょっとこわくていけめんなさいばらくんだあ」
おひさしぶりー、と彼女はふにゃりと笑った。
イケメンというのは喜ばしいが、ちょっと怖いってどういうことだ?
「……それで、何があったんだよ?」
「それがねそれがねー、とってもとってもだいじけん、おしかぽーのぴんち。こうえんのへいおんをまもるために、たぶんしぬとおもうけどがんばらなきゃなじあんがだいはっせいちゅう」
オシカポーって何のことだと思ったが、それよりも不穏な言葉に思わず酔っ払ってゆるゆるの笑顔のままの女を睨みつけた。
「死ぬってどういうことだ」
「それはねー、いーわない。しったらさいばらくんもころされちゃうだろうから、あたしだけでがんばるのですよー」
そう言って女はキャハハハハハ、と笑って唐突に後ろにぶっ倒れた。
「おい」
慌てて支えるが、彼女は幸せそーな顔でぐーぐー寝ていた。
このどうしようもない酔っ払いを、どうしてくれようか?
もう新婚とは呼べない程度には結婚してから時が経った幼馴染の家に押し掛けると、幼馴染は心底困ったような顔をした。
嫁の方は事情を話したらちゃっちゃと寝床その他の用意をしてくれたので、うちの幼馴染は本当にできた嫁をもらったんだなと他人事のように思った。
「そりゃあ旦那の上司が酔った女を自宅に連れ込んで婦女暴行したとかそういう展開になるよりはずっといいからね」
とかなんとかも言われた、うるさいと思ったが連れ込んでたら何もしない自信がないのでぐうの音も出なかった。
客用の薄っぺらい布団に寝かせられた彼女はまだ幸せそうな笑顔で寝ている、起きる気配もない。
仕方がないので翌朝詳しい話を聞くことにした。
翌朝、目覚めた彼女はひどく混乱していたが、幼馴染の嫁に事情を説明されてから土下座する勢いで謝ってきた。
「ほんっとうにごめんなさい!! 酔っぱらってぶっ倒れた挙句、泊まらせていただいていたなんて……こ、このお礼はいずれ必ず……!!」
「いえいえいいのよ、それよりも、もうあんなふうにお酒飲んじゃだめよ? 女の人なんだから、何か酷い事件に巻き込まれてもおかしくないわ」
「はい、肝に銘じます!!」
そうして深々と頭を下げた後、彼女は顔を上げてこちらを見た。
「才原君も、本当にありがとう、それと迷惑かけてすみませんでした、ごめんなさい……!!」
「それは別にいい。それより昨日言ってた死ぬかもだけどやらなきゃならないことってなんだ?」
彼女は思いっきり目を逸らした。
「な、なんでもない……酔っ払いの、現実と幻覚がごちゃ混ぜになった戯言だから、気にしないでくれるとうれしーなー……あはは」
誤魔化すならもっといい誤魔化し方があっただろうと呆れ返るほどにわかりやすい嘘だった。
仕方ないので尋問を続けると、最終的に「話せない、本当に人の生死が関わってる」というところまで吐いた。
「だから絶対言わない。それを知ったというだけで殺されかねない話だから、絶対言わない」
強情な女の顔を睨みつけると、女は一瞬だけ変な悲鳴をあげて怯えたけれど、すぐに取り繕った真顔になる。
「俺がそう簡単に殺されるとでも?」
「…………」
「本当にそう思っているのか?」
「…………」
「どうせ国ぐるみのやばい話なんだろう? お前一人でどうにかできるのか?」
「………」
頑なに黙秘を続ける女に溜息をついて、投げやりに、しかしそこそこ本気で一つ脅してみることにした。
「お前が死ぬか行方不明になったら俺、この国の上層部全員虐殺しようと思うけど、どうする?」
「……ファッ!!? た、たかが同級生程度に何故そこまで……!?」
「そこまで脅さなきゃ口割らなそうだし。……それにこの程度だったら俺にとっては造作もない」
実際は結構骨の折れる作業になりそうだったが、多少の誇張やはったりを使っても特に問題はないだろう。
「どうする? お前一人が頑張って犬死にしてその後で同級生が大虐殺起こすのと、素直に俺を頼るのと、どっちの方がマシだと思う? 賢いお幹部さまならわかるよな?」
ニコリ、と思いっきり笑ってやると、彼女は泣きそうな顔で唸った後、「せめてこっちの二人は席を外してください」とものすごく小さな声でボソッと言った。
よし、勝った。
それで話を聞いてみたら最近勇者候補を辞めた未成年を大量虐殺の道具にしたてあげようというヤバい話が上がっているとかいうクソみたいな話だったので、部下全員を巻き込んで主に暴力で解決した。
国の上層部がひっくり返るような騒動が起こりはしたものの、聞いていた話がその通りになるよりかはずっとマシな結末になったので、ひとまずこれでいいだろう。
盛大に恩を売ってやったので、あとはどうやってあの女を陥落させるか、現状の悩みはそれだけだった。