ラッキーアイテム ②
「・・・終わった・・・」
ロイルは持っていたペンを置いて、伸びをした。ずっと座りっぱなしだったので、節々が痛む。
突然大量の仕事を送り付けてきた兄に、心の中で罵詈雑言を浴びせながら、立ち上がった。
早くベッドで眠りたい。
そもそも机に座ってやる仕事など、性に合わないのだ。細かい文字を読むのも、じっとしているのも好きではない。体を動かす仕事なら二日や三日寝なくても平気なのに・・・と、ため息を吐いて、ドアへと向かう。
とにかくもう寝ることしか考えてなかった。
しかし、ドアノブに手を掛けようとした時、ロイルは「眠る」というささやかな願いが、叶わないことを悟った。
「・・・チッ!」
眉をしかめ、いまいましそうに舌打ちをする。
段々と近付いて来る足音と怒鳴り声――――。
もう帰ってきてしまったのか。
千イン札一枚しか渡さなかったことを激しく後悔しながら、ロイルはドアを開けた。
「ロイルゥゥゥー!!」
ロイルがドアを開けるともう目の前に、怒りの形相のマリンが来ていた。
「お帰りなさい、マリン」
ロイルはニッコリ笑うと、マリンを抱き締めた。
「ロイル!ロイル!おかしいの!どういうことなの!?」
「――――マリン」
ロイルはマリンの顎を指先でそっと持ち上げると、その形のよい唇を舌でなぞった。
「――――!!」
驚いて身を退くマリンを強く抱き締めて、唇を重ねる。
ロイルの舌がマリンの口内で蠢く。
「・・・ん・・・ぁ・・・」
強ばっていたマリンの身体から次第に力が抜けてゆき、膝から崩れ落ちた。
ロイルは濡れたマリンの唇を親指で拭うと、耳元で囁く。
「続きはベッドで・・・ね」
トロンとした目で頷きかけて、マリンはハッと気付いた。
――――バキッ!
「違う!違う違う違う!駄目よ、そうじゃなくて!」
マリンは胸の谷間から木彫りの人形を取り出し、ロイルの鼻先に突き付けた。
「これよ!どういうことなの?全然当たらなかったのよ!」
「あー・・・そうですか、それは残念でしたね・・・」
ロイルは『軽い運動で有耶無耶にしてぐっすり眠ろう作戦』が失敗に終わり、ガックリと肩を落とした。
「そうですかじゃないわよ!当たりまくりじゃなかったの?幸運が訪れるんじゃなかったの!?」
「いや・・・俺に言われても・・・」
その時、マリンの後ろに静かに控えていたアンが遠慮がちに声を掛けた。
「あの・・・マリン様」
「なによアン!今忙しいから後にしてちょうだい!」
「申し訳ございません。しかし、ロイル様は徹夜で仕事をされていたので、お疲れのご様子ですし・・・」
「だから何!?」
「お部屋でお話しなされたらよろしいかと。お茶をお持ちしますから」
一瞬マリンを諫めてくれるのかと期待したロイルは、ため息を吐いた。
「まあ、それもそうね。行くわよ」
マリンはロイルを引き摺るようにして書斎の中に連れて行き、ソファーに突き飛ばした。
「で、どういうことか説明してちょうだい」
「いや、だから俺に言われても・・・マリンが買ってきたのでしょう?」
「私が悪いって言うの!?」
「いや、まあ・・・取り敢えず座ったらどうですか?」
立ったままのマリンに自分の前の席を勧め、ロイルは額に手を当てた。
これから話す内容は確実にマリンの怒りを激しくするのだろう。マリンの行動が手に取るように分かり、ロイルは頭痛がした。
「さあ、早く話なさい」
ソファーにふんぞり返ってマリンは顎をしゃくった。
「・・・あー、何というか・・・、その木彫りの人形を売った人物は、マリンに悪霊が憑いているって言ったんですよね」
「そうよ。競馬で予想が当たらないのも、カジノで当たらないのも、悪霊のせいだって。この人形持ってれば幸運が訪れるって言ったのに、言ったのに!」
「・・・おかしいと思わなかったんですか?悪霊なんて、非現実的なこと言われて。しかも初対面の人物に」
「・・・・・?」
分かっていない様子にロイルはため息を吐いた。
「俺はあなたに言った筈なんですけどね・・・『もっと疑いなさい』と」
マリンは何のことか分からずに、人差し指を顎に当てて首を傾げた。
ロイルはため息を吐いた。
「まあ、それは昔の話なので、いいとして・・・これからは知らない人を簡単に信用してはいけませんよ」
マリンが眉をしかめる。
「どういうこと?」
「あー、つまりですね、騙されたんですよ」
「・・・え?」
マリンはポカンと口を開けてロイルを見る。
その様子に「やはりまだ分かっていなかったのか」とロイルは呟いた。
――――スコーンッ!
「『やはり』って何!?『やはり』って!」
「いや、そこじゃないでしょ、怒るところは」
ロイルは自分の額に当たって床に落ちた人形を拾い上げた。
「――――霊が見える・・・とか言って、相手の不安を煽り、弱みにつけこんで物を売り付けるんですよ。『これがあれば霊が去っていく』とか『幸運が訪れる』とかね。そうやって騙すんですよ」
「・・・・・・・・」
マリンはやっと事態が飲み込めたのか、じっとロイルの手の中の人形を見た。
「・・・だって、おじさん優しかったわ。話を一杯聞いてくれて・・・」
「だからそれが手なんですよ。悩みなんかを聞いたりね。あなたは騙しやすいから、いいカモだったでしょうね」
「―――――!!」
マリンが飛び掛かってくる。
ロイルはそれを受け止めて、向かい合わせに膝の上に座らせてギュッと抱き締めた。
「離しなさい!!」
「離したら、殴るでしょう?」
「当然よ!」
「まあ、落ち着いて。アンが来ましたよ」
その言葉通り、ノックの音がして、アンが書斎に入ってきた。
「お茶でも飲みましょうね」
ロイルはマリンの身体をクルリと反対向きにすると、アンからぬるいお茶を受け取った。
マリンが怒り状態にある時、アンはロイルが火傷しないように、熱い飲み物は出さないのだ。
「さあ、どうぞ」
マリンは渋々カップを受け取り、口を付けた。
爽やかな香りが口内に広がる。
「・・・・・?」
いつもと違う味に、首を傾げるマリンにアンが微笑む。
「ハーブティーですわ、マリン様。気持ちを落ち着ける効果があるそうです。最近商店街にハーブ屋が開店したので買ってみました。いかがですか?」
マリンはもう一口飲んで、頷いた。
「うん。美味しいわ。なんだか胸がスッキリしていいわね」
「そうですか。ようございました」
ロイルも興味を持ったようで、後ろからカップの中を覗きこんだ。
「へえ・・・俺も飲んでみようかな。アン、俺の分はあるのかな?」
「はい、ロイル様にはこちらです」
アンがマリンの持っているのと揃いのカップをロイルに渡す。
「ありがとう」
ロイルはカップに口を付けた。
ブブゥ――――ッッ!!!
「キャアァァ――― !!」
「ウッ、ゲッ、ガッ、ゴホゴホゲホッ!!」
「嫌ぁー!!汚ない!何するのよ!」
マリンはロイルの膝から飛び降りて、お茶を吹き掛けられた髪を摘んだ。
アンが慌ててナプキンでマリンの髪を拭く。
「あぁ、髪が・・・マリン様、動かないで下さいませ。綺麗に拭きますから」
「ウッ、ゲッ、か、辛い!アン!何ですかこれは!」
マリンの髪を拭きながら、アンは困ったように眉を寄せた。
「目が覚める効果があるお茶だそうです。お口に合いませんでしたか?」
ロイルは何度か咳き込んで、呼吸を整えた。
「・・・合いませんでした。二度と出さないで下さい」
「申し訳ございません」
――――バキッ!!
「その前に、私に言うことがあるでしょう!?」
「あー・・・マリン」
ロイルは殴られた頭を押さえてうなだれた。
「・・・すいませんでした」
マリンは両手を腰に当てて、頷いた。
「まあいいわ。さ、行くわよ!」
「え・・・何処に?」
ロイルは悪い予感に頬を引きつらせた。
「おじさんを探しにに決まっているでしょう!私の五万、返してもらうんだから!!」
「あー・・・やっぱりそうですか・・・。ちなみに徹夜の仕事で疲れている夫を寝かしてあげよう、という気はないですか?」
何を言ってるんだ?という感じでマリンが首を傾げた。
「あー・・・分かりました。でもその『おじさん』はもう競馬場から逃げていると思いますよ」
「だから何!?」
「いえ・・・何でもありません・・・」
ロイルはため息を吐くと、立ち上がった。
「・・・行きましょうか・・・俺の可愛いマリン・・・」
ロイルはマリンの髪に手を差し入れると額にキスをした。