聖女マリアンヌ 8
「なんでだ、ロイル。順調にいってるんだろう?」
近付く程に、はっきりと聞こえる声は、やはりロイルと言っている。
植え込みの影からそっと様子を伺うと、開け放った大きな窓の向こうに、ソファーにだらしなく座るロイルの姿が見えた。
マリアンヌの心臓が跳ねる。
駆け出してあの胸に飛び込みたい。が、部屋にはもう一人、男が居た。
「嫌なもんは嫌だ。甘い言葉の吐きすぎで、胸焼けがする。他の奴を捜してくれ」
「無理だ。我慢しろ」
「なんで俺がこんな目に遭わなくてはならないんだ。兄さんが代わりにやればいいだろ」
兄さん・・・?
それでは、一緒にいる男はロイルの兄なのか。
ロイルが常と違い砕けた様子なのは、兄弟だからなのだと、マリアンヌは納得した。
「陛下はお前をご指名だ。うっかりお気に入りになった自分を呪うんだな。まあ、これも立派な仕事だ。頑張れ」
『陛下』という言葉に、マリアンヌは驚いた。
いったい二人は、何の話をしているのだろう。
「お前も、もういい歳だろう。いつまでも遊んでないで、落ち着け。随分な美少女なんだろ?いいじゃないか」
「そりゃ初めは、無垢な女を俺好みに染めていくのも楽しいかなと思ったけど・・・、あれは駄目だ。大人しいだけでつまらない。飽きた」
「おいおい・・・」
苦笑する兄をチラリと見て、ロイルは髪を掻き上げた。
「やっぱり、ある程度危険な香り漂う女の方が、楽しめるな。身体だけと割り切ってるような。俺は子供なんて絶対要らないし。あんなうるさいだけの存在、どこがいいんだか分からん」
そこで兄はポンと手を打って、ロイルを指差した。
「そうだ。大切な事を伝えなければいけなかった。
ロイル、関係のある女達、すべてと手を切れ」
「はぁあ〜!?」
目を大きく見開くロイルに、兄は真剣な表情で話す。
「沢山の愛人引き連れて結婚するなんて、駄目に決まっているだろう?陛下に知られたら大騒動になるぞ。私の仕事をこれ以上増やすな。金はこちらで用意するから、そればら撒いて黙らせろ」
愛人!?結婚!?マリアンヌは叫びそうになり、慌てて口を手で押さえた。
もう何がなんだか訳が分からない。
「・・・なあ、諸悪の根源である馬鹿を斬ってしまうというのはどうだ?」
「侮るな。あの馬鹿が本気になれば、この世界くらい簡単に崩壊するぞ。馬鹿は最強だ。覚えておけ」
ロイルは舌打ちして、テーブルを蹴った。
ティーセットが床に落ちて砕ける。
「こんな事しなくても、いくらでも別の方法があるだろう!」
「初代聖女の話とそっくりに演出しろと言われているんだ。グダグダ言ってないで腹を括れ」
兄は立ち上がり、ロイルの頭を軽く叩いた。
「休憩は終わりだ。私は行くが、お前は床を掃除しておけ」
兄が部屋から出て行き、ロイルは渋々という感じでティーカップの欠片を拾う。
マリアンヌは呆然とその姿を見つめた。
何なのか、これは。
頭が混乱して、酷く痛む。
分からない、分からない。
両腕で自分を抱き締め、ギュッと目を閉じる。
・・・そして、マリアンヌは気付いていなかった。
気配を殺し、近付く者に。
マリアンヌの白い首筋に、冷たい塊が押し付けられた。