フィーバー!! ④
「マリン様!ロイル様!」
二人に気付いた人物、ウェルター家の使用人、アンが駆け寄ってくる。
「お帰りなさいませ」
ほっと安心した思いがアンの黒い瞳に浮かんでいる。
そんなアンにロイルが微笑む。
「ただい――――」
「ちょっとアン!聞いてちょうだい!」
マリンがロイルを突飛ばして、アンの両肩を掴み激しく揺さ振った。
「私のお金!お金が!!」
アンのきっちりと結い上げられたマリンより弱冠暗い金髪が、ガクガクと前後に激しく動く。
「はいはい、やめましょうね」
ロイルがマリンの後ろから胸に手をまわし、自分に引き寄せてアンから離した。
「きゃあ!どこ触ってんのよ、変態!嫌ー!誰か助けてー!痴漢よー!!」
「ちょっ、止めてください」
ロイルは左腕に抱えていた袋を慌ててアンに押し付け、マリンの口を塞いだ。
「何時だと思ってるんですか。ご近所迷惑ですよ」
ロイルはそのままマリンを引きずって自宅の門に向かう。
その後をアンが少しふらつきながら続く。
「アン、大丈夫ですか?」
「はい。すみません」
ロイルの手の中で呻くマリンを無視して門の前まで行くと、アンがそれを開ける。
暗闇の中に浮かぶ家は、周辺の屋敷よりはこぢんまりとしているが、それでも「お屋敷」と呼ぶに相応しい立派なものである。
門の中に入ると、今はよく見えないが、昼間なら綺麗な花が咲き誇る、美しい庭を進む。
その先にある、屋敷の出入口である大きな扉をアンが開け、三人は中に入った。
アンが扉を閉めたことを確認してからロイルはマリンを解放する。
――――ゴキッッ!!!
途端にロイルの顎に衝撃が走る。
「痛いですよ。いきなり何するんですか」
殴られた顎を擦るロイル。
マリンは左腕で自分の胸を隠すようにして、右手は拳のまま荒い息を吐いた。
「それはこっちのセリフよ!あんな、外で、む、胸を揉むなんて最低!!」
「いや、揉んだつもりはありませんが・・・、まぁ、外が嫌なら今夜ベッドの上で――――」
――――バキィィィッッ!!!!
鼻を押さえ蹲るロイルをマリンは蔑んだ目で見る。
「最低」
ロイルは痛みで涙のうかぶ瞳でマリンを見上げた。
「痛いですって。ちょっとした冗談じゃないですか。大体、さっき胸に手をまわしたのだって、マリンがアンに乱暴するから止めようとしただけじゃないですか」
「乱暴なんてしてないわよ!」
「してました。アンが怪我して仕事が出来なくなったらどうするんですか。うちなんて、一気に『ゴミ屋敷』になってしまいますよ」
この広い屋敷に使用人はアンしかいないのだ。
炊事、洗濯、掃除、庭の手入れ、マリンの世話・・・全てをこなし、尚且つマリンの奇行に付いていける貴重な使用人であるアンを、ウェルター家は大事にしていた。
「してないって言ってるでしょう!」
「まあそれはともかく、お腹が空き過ぎです。アン、その袋に食材が入っているので適当に何か作ってください」
「かしこまりました」
「あ!ちょっと待ってアン!聞いて!私のおか――――」
「はいはい。続きは食事をしながらにしましょうね。アン、食事の準備を」
アンが軽く頭を下げて、厨房へ向かう。
「ちょっとぉぉぉぉ!」
マリンの叫びがホールに虚しく響いた――――。
「――――でね、私の、私のお金をね、そいつがね、持って逃げたのよぉぉぉ!」
広い食堂の大きなテーブルの端の方に三人は座り、遅めの夕食を食べていた。
テーブルの上には沢山の皿が並んでいる。
通常、使用人が雇い主と食事を共にする事はない。
しかしアンは同じテーブルに着き、尚且つ食事の内容も同じである。
しかも、料理を一皿ずつ出すことなく全てをテーブルの上に並べる庶民スタイルなど、こんなお屋敷に住む者のすることではない。
ウェルター家はかなり特殊なのだ。
「・・・そうだったのですか。マリン様、お可哀想に」
「そうでしょう!」
「ひとの忠告を聞かないからそうなるんですよ」
ロイルの顔面めがけてナイフが飛んでくる。
それを右に頭を傾けて避けた。
「本当に、信じられない。絶対取り返すんだから!」
マリンはテーブルの上に置いてある籠から予備のナイフを手に取った。
「では明日、その者を探しましょう。わたくしも及ばずながら協力致します。大丈夫ですわ。きっと見付かります」
「アンが手を貸す必要なんてありませんよ。放っておきなさい」
ロイルの顔面めがけてナイフが飛んでくる。
それを左に頭を傾けて避ける。
マリンが予備のナイフを手に取った。
「しかし、それではマリン様がお可哀想ではありませんか」
「自業自得ですよ」
ロイルの顔面めがけてナイフが飛んでくる。
それを頭を下げて避ける。
マリンが予備のナイフを手に取った。
「マリン、そんなに投げたら洗い物が増えるでしょう。アンの仕事をこれ以上増やさないでください」
「じゃあ、余計な口を挟まないでよ!」
「まあまあ。マリン様、落ち着いてください。それよりそのお金を盗んだ者の特徴は?」
「・・・・・は?」
マリンがナイフとフォークを持ったまま固まった。
「特徴でございます。性別、年齢、身長、体型、髪や瞳の色、その他、外見で目立った所はございませんでしたか?」
「・・・・・・・・」
「マリン様?」
「・・・男だった」
「そうでございますか。それから?」
「・・・・・・・・」
「マリン様?」
「・・・・分かんない」
マリンは俯いて、上目遣いでアンを見た。
「だって・・・突然だったし・・・」
「・・・・・・・・」
アンは手にしていたナイフとフォークを置くと、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「そうでございますね。突然の事だったのですから、覚えてなくて当然ですわ。そんなことにも気付かず、マリン様のお心を傷つけてしまうなんて・・・。申し訳ございません。アンが悪うございました」
頭を下げるアンの言葉にマリンは顔を上げる。
「いいのよ、アン。誰にだって間違いはあるのだから。許しましょう。顔をおあげなさい」
「ありがとうございます。マリン様」
「・・・犯人のことを全然覚えてないのは、マリンの落ち度では?」
ロイルの顔面めがけてナイフが飛んでくる。
それをロイルは持っていたナイフで部屋の角に弾き飛ばした。
マリンが予備のナイフを手に取る。
「では、マリン様、明日は商店街で聞き込みをいたしましょう。カステラ屋さんが何か覚えているかも知れません。その他にもきっと目撃者がいるはずですわ」
アンの提案にマリンがパッと笑顔になる。
「そうよね!あれだけ人がいたのだから、目撃者だって沢山いる筈よね!」
「マリン様のお金もきっと戻ってきますわ」
「私ね、お金が戻ったら札束風呂に入るの!」
「それならば上等のワインも用意いたしましょう。札束風呂の中で飲むワインは格別らしいですわ」
「・・・アン、どこからそんな知識仕入れたんですか」
ロイルがフゥッとため息をついてナイフとフォークを置く。ロイルの前にあった皿は綺麗に空になっていた。
「二人共、そんな闇雲に探して、簡単に犯人が見付かってお金が返ってくると、本当に思うんですか」
マリンはロイルを激しい視線で睨み付けた。
「うるさい!黙れ!」
「ロイル様、大切なのは希望を持つことです」
「・・・・・・・・」
女二人から責められて、ロイルはガクリと肩を落とした。
「・・・身長は百七十センチ程、薄い茶色の短髪に茶色の瞳で垂れ目、歳は十代後半。細身の少年です」
「・・・・・は?」
マリンはポカンと口を開けてロイルを見た。
アンも目を見開いている。
暫くして我に返ったマリンが椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。
「なんでそんなに詳しく知ってるの!?あなたカバン盗られた時、居なかったじゃない!!」
「まあそうですが、あの少年、カジノを出た時からずっと後を付けてきてましたから」
マリンは驚愕の事実に目を見開いた。
「―――――!!」
マリンがナイフを投げつけたのとロイルがテーブルの下に潜り込んだのは同時だった。
「――――チッ!」
舌打ちして予備のナイフを取ろうと手を伸ばしたマリンだったが、その前に足下から現れたロイルがタックルするようにマリンに飛びついた。
咄嗟にマリンは、左手に持っていたフォークをロイルの眼球めがけて振り下ろす。
しかし、あと少しで刺さるというところでロイルに手首を掴まれてしまう。
フォークが音をたてて床に落ちた。
「舌打ちなんて、可愛いマリンには似合いませんよ」
マリンは悔しげにロイルを睨み付ける。
ロイルは口角を少し引き上げて目を細める。
二人の間に見えない火花が散った。
アンがそんな二人に静かに近づき倒れた椅子を元に戻した。
「ありがとう、アン」
ロイルはマリンの身体をクルリと反転させて、椅子に座り、マリンを自分の膝に乗せた。
「・・・なんで、後付けられてるって知ってたのに黙ってたの?」
マリンが怒りに満ちた低い声で訊く。
「まあ、少し様子を見ようかな・・・と。少年に武器を所持してる様子もありませんでしたし、俺が一緒ならマリンに危険が及ぶこともないですからね」
「じゃあ、なんで私から離れたの!!」
「酒を買って来いと言ったのはあなたじゃないですか」
「危険だと分かっていて離れることはないでしょう!?」
「だから警告したでしょう?」
「もっとちゃんと言ってくれたらよかったでしょ!バカ!!」
マリンは暴れようとするが、ロイルがギュッと抱きしめているので無理だった。
悔しげに唇を噛むマリンを、自分の席に戻り食事を再開させていたアンが、宥めた。
「でもマリン様、これで捜査しやすくなりましたわ」
マリンはその言葉にハッとしてアンを見た。
「そうよ!これだけ分かっていれば、犯人もきっと見付かるわね!」
「そうですわ。必ずお金も取り戻せますわ」
「そうよね!そうよね!!」
「あー・・・それなんですがねぇ・・・」
言いにくそうに口を挟んだロイルを、マリンは顎を上げて首を反らせ見上げた。
「なによ」
「・・・お金、明日には戻ってきます。・・・たぶん」
「・・・・・は?」
ロイルは右手をマリンの喉、顎と滑らせて、人差し指でポカンと開いている唇をなぞる。
「・・・実は、あの少年、見覚えがあるんですよ。直接の知り合いではないんですが、彼の保護者は知っているので――――!!!」
―――――ガブッッ!!!!
「痛い痛い痛い!!!マリンやめてください!」
ロイルは人差し指に噛み付いているマリンの顎を掴み、口を無理矢理こじ開ける。
マリンの口から救出した人差し指にはくっきり歯形がついていた。
マリンは力の抜けたロイルの膝から飛び降りて、隣の椅子を持ち上げてロイルに振り下ろした。
「うわ!!」
ロイルは床を転がり寸でのところでそれを避ける。
アンが手慣れた様子でテーブルの上に並んでいる皿やグラスを素早くまとめ、ワゴンに載せるとそれを押して厨房へ消えた。
「なによ!意味分かんない!!あなた頭おかしいんじゃないの!?私のことバカにしてるの!?」
「いや、滅相もございませ――――ぉわ!!」
厨房に避難していたアンの耳に、派手な破壊音が聞こえた。
(あぁ、またガラスを割ってしまったのですね・・・)
マリンが落ち着いたら、ガラスの破片を掃除して、窓には新聞紙を貼りつけて、夕食をあまり食べてないので夜食の準備もした方がいい。でもその前に入浴かもしれない。
マリンの叫び声を聞きながら、厨房で一人冷静に計画を立てていくアンであった。