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”龍”視点です。

飼い殺し


その言葉をどうして自分が知っているのかはわからなかったが、その言葉が今の自分の状況を表すのにふさわしいというのは知っていた。




我は龍だ。それだけはわかる。

物心がつくというのは、自分のような存在に使っていいのかどうかは定かではないが、自我と言えるものを認識したときには、この部屋にいた。

それ以来、ここ以外のことは知らない。

いや、正確に言えば、知識としてはあらゆることを知っていた。

世界の理も、世界に満ちる様々な物も、人の知恵も知識も。

ただそれらは漠然と知っているというだけで、まったく経験としての実感が伴わなかった。自分の中が酷く空虚で、自己の拠り所となるものが何もなかった。


言葉は知っていたが他者と話す機会はなかった。極稀に部屋に人が訪れて、「呪われた者」、「忌むべき者」と呼んで蔑んで帰っていくことはある。蹴られたり、切られたりしてもたいした傷はできなかったが、敵意ある言葉は痛かった。


何も食べず、身動きもできないというのに、龍という存在であるだけで、身体は日々大きくなった。


時折、全身に薬湯をかけられた。

それをかけられると、身の内が引き裂かれるような痛みに苛まれ、全身が痙攣し、頭が朦朧としてなにもわからなくなる。

しばらくすると、ゆっくりと意識が戻ってきて、自分はまだこの部屋にいるということがわかる。

そして、誰も来ない日々が続いたあとに、また、薬湯がかけられるのだ。


なぜ自分がこのような境遇にあるのかは、皆目わからなかった。

誰も何も教えてくれなかったし、内なる知識から類推しようという意欲も湧かなかった。

ただ日々を虚しく過ごし、魂を痛めつけられては悲鳴を上げるだけの生を送る。

それ以外には、何もできなかった。




ある時やってきたその男も、我に敵意をいだいていた。

だが、彼は我をここに囚えている者たちにも憤っていた。


「こんなところに飼い殺しとは、酷いことをしやがる」


いっそひと思いに殺してやろうか?と問われたのが、初めて他者から意思を尋ねられた言葉だった。


「人に龍は殺せない」

「できるさ。先代の龍は人が殺した」

「そうか」

我の前にも惨めな存在はあったのか。


「だが、お前では我は殺せない」

男は一度ぐっと奥歯を噛み締めてから「できる」と答えた。


「お前が彼女の災いである以上、俺はお前を始末する」

「そうか」

「できるわけはないと思っていたが、お前を見たらやれる気がしてきた。死んだほうがマシだって泣き叫びたがってるみたいな顔しやがって、胸糞悪い」

「そうか」


死が唯一この苦痛から逃れられる救いなら自ら死ぬ、と答えたら、男は顔をしかめた。

せめてなぜ自分がこのような境遇にあるのか知りたいと言うと、彼は、龍の存在を利用したい者と、それを阻止したい者がいることを教えてくれた。


「なぜ”呪われた者”だと虐げられるのかわからない。呪っているのはお前たちなのに」

「一緒にすんな。俺は龍だろうが人だろうが、なんの罪もねぇ奴を、枷をつけてこんなところに閉じ込めて虐める趣味はない」

「我は咎人ではないのか」

「ないだろう?お前はなんも悪くねーよ」

「お前にとって大切な誰かの災いではないのか?」

「ああそうだよ!だが、それはお前の罪じゃねーよ」


だから厄介なんだよな、と言って男は自分の頭をガシガシと掻いた。


「また来る」と言い残して、男は帰った。帰り際に、なんとかできないか考えてきてやるから、自分が来たことは誰にも話すなと言うから、話をする相手なんかいないと答えたら、忌々しそうに舌打ちされた。




我が魂は呪いのために欠損している。

だから、我は心や感情が不完全だ。

自分の気持ちがなんなのか、それが正しい感じ方なのかは、わからなかったが、とても苦くて惨めな思いだった。

龍の魂は、この世界と異界の2つの世界に由来する。だからこそ本来は強大な力を持ち得るのだが、我が魂は欠損していて調和を欠いていた。

この不均衡が己を酷く危うい状態にしていることが、男と出会ったことでよくわかった。


彼は強い意思と鍛えられた心身を持っていた。

言葉と概念だけ知っていた”健やか”という存在を目の当たりにして、己の歪さが悲しいほど理解できた。


ああそうか。

知識としてだけ知っている世界の美しいものがこの男を育んだのだろう。

そして世界は我には何も与えず、彼が大切に思う者に仇をなす存在として、この男に我を敵視させた。


世界が厭わしいと思った。

すべて壊してしまいたいと思った。


だが、そうしてはいけないと考えられるだけの理性の方が、まだ未熟な感情よりもまさっていた。




薬湯をかけられて、激痛に身を捩りながら、いつか自分は狂うのだろうと思った。それはいっそ甘美に思えた。




男は言葉通り、再び我がもとにやってきた。

「異界から来た娘が王城にいる」

我が呪いは、異界の者ならば、解くことができるかもしれない、と彼は告げた。

「神託のようだ」

「そんないいものじゃない。せいぜい辻の占い師の言葉程度に思っておけ」

この男が占い師なら、その結果は信じてみてもいいと思った。

「少なくとも今の苦痛からは解放されるだろう」

彼は我の浅ましい姿から視線を逸らせて、そうボソリと呟いた。


異界から来た娘とやらに会おう。

そう思った。




「で、だ。まずはこの拘束具を外さないと……」

「外すのか?」

この程度のものすぐに外せるぞと言って外したら、呆気にとられた顔をされた。


「自分で外せるなら、なんでこんなものはめられてたんだよ!」

「最初のうち、外していたら、どんどん大層な物にされていったので、もうはめたままでいた方がお互い楽かと思って」

「要らん遠慮と気遣いだな、おい!」

「どのみちアーティファクトと封印術式で2重に管理されていて、ここからは出られん」

「ああ。これか」


不愉快な銀の首輪は、自分では外せないし、これを着けたものを閉じ込める術式の符が部屋の壁に貼られている。


「この程度の封印術式、書き換えは可能だが、この忌々しい首輪のせいで符に触りにいけない」

「切り捨ててやろうか?」

男は腰に佩いていた剣に手をかけた。

「アーティファクトだぞ?」

「練習したから切れんこともない」

「……破壊すると大きな音がして火柱が上がる」

「それはまずいな。詳細仕様を教えてくれ」


説明を聞いた男は、首輪に手をかけると、引っ張ってその径を広げた。

「首輪を付けられた奴以外なら輪が広げられるけど、輪の中から首が抜かれると警報が鳴るってんならさ」

男は輪の中に頭を突っ込んだ。

「これでお前が首を抜けばいいんじゃね?」

正面間近でそう言われて、一瞬言葉を失った。

「首輪のないお前は、結界範囲から出られるから、符の術式が書き換えられる」

たしかにそうだが、バカだろう。

「そのままお前をここに置いて逃げるとは考えないのか?」

触れそうに間近から、眼の中を覗き込むみたいに見つめられた。

「お前はやらないよ」


四方の壁の術式を書き換え終えたところで、男は「どうだ。裏切って逃げるよりいい気分だろう」と笑った。




「では、行こうか。案内してくれ」

「待て待て。お前、そんな格好でどこに行く気だ。目立ってしょうがないだろ。ってか、会いに行く相手の娘が絶対にドン引きするぞ」

「そうか」

「気遣いをするならこういうときにしろ。化け物の変質者って悲鳴をあげて逃げられたら、元も子もないだろうが」

化け物の変質者だと、思われるような見た目だと、この男に評価されたことに落ち込んだ。


「あ、悪かった。服着てないのはお前のせいじゃないよな。鱗とか角とかは龍なんだからそうなんだし。そういう体型なのも、あんな枷をはめられて放置されてたら仕方ないもんな」

慰められるとかえってつらいというのは、知りたくない新鮮な驚きだった。


「……人から好ましいと思われる外見になればいいのだな」

「フード付きのローブと大きめのマントを持ってきたから、それでなんとか……」

立ち上がって己の在りたい様をイメージする。この男のように人に好ましいと思わせる姿で己を表現するとしたらどうなるか。


「おおお、おぉう?!」

男は目を丸くした。

「服も着たほうがいいのだったな」

彼の着ているものを参考に身体の周りに力を凝縮させて服らしきものを整える。

「魔法か?!」

「ああ、そうだな。たしかそんな名前の術の一種だと思う」

「なんでもありかよ、お前!」

「龍とはそういう存在だ」


啞然としている彼に、これで見た目は大丈夫かと聞いたら、髪は短くしろと言われた。


「若い女の好みに詳しくはないが、少なくともうちのお嬢は、男はこざっぱりと短く刈った髪型のがいいと言っていたからな」


なるほど。彼の髪は短い。


「お前はそのお嬢とやらに好まれるためにその姿をしているのか」

「違……違わないけど、そういうんじゃねーよ!あいつは俺の身体も筋肉も自分が育てたみたいなこと言うけど、別に俺は俺で勝手にこうなっているんで……そりゃ、全部、あいつのためっちゃためだけど、そんなの別にあったりまえで……何いってんだ俺は。そんなことはどうでもいい!」

一人で慌てて一人で赤面して一人で怒った彼を見ていて、その娘と彼の関係を羨ましく思った。




彼の手引で、生まれてはじめてあの狭い部屋を出た。

初めて見た夜空は広大で、星々は美しかった。

彼とともに夜を駆け抜けながら、世界は本当に美しかったのだとしみじみと思った。


王城の庭園で遠目に見た異界の娘は、星明かりの下でキラキラ輝いて見えた。……見知らぬものへの警戒の意志がこもった輝きだった。

わずかに近づいて、ささやかな挨拶だけを交わして別れた。

彼女が発した異界の言葉の響きは甘美で、己の魂が異界のものを求めてやまないということの意味がはっきりと理解できた。


「あの娘と縁が結ばれたら、救われるのだろうか」

「結ばれる……って、結婚か?ちょっとあっただけで気が早い奴だな。ひとめぼれかよ。うーん。たしかに嫁さんになってくれたらバッチリだろうけど、情やしがらみの話もあるし、それは色々と難しそうだなぁ」


そうか。求めても拒絶されるだけだという定めかもしれぬのか。


それはつらいなぁ。


そういえばこの男と、此奴が大事に思う女にとって、自分は災いとなる存在だったと思い出したら、薬湯をかけられたときより胸の深いところが痛んだ。




私は元の部屋に戻った。

そのまま逃亡することもできたが、そうするとあの異界の娘と結ばれることはさらに難しくなると説得された。

今は、大人しく囚われているフリをしつつ、今日のようにこっそり抜け出して、彼女と少しずつ交流を深めることが得策らしい。


また来る、と約束して、彼は去った。

美しい夜と人を恋しいと思う心を知ったあとで、枷に囚われて一人、この部屋で過ごすのは、たまらなく辛かった。

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[一言] ガルパイス大陸の国、鵺野に幽閉されている朧の話かな。 薬湯は掛けられて無いけど次代のスポーン直後に幽閉と考えるとだいたい同じ扱い。
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