自覚
篝火のはぜる音を聞きながら、熱い汁をすする。旨い。
夜の庭園で人々は三々五々と集まって、歓談しながら炊き出しの芋煮を食べて体を温めていた。
俺の目の前では、黒髪の精悍な男が、ほっそりした若い娘と並んで語らっている。
戦いが終わったあと、変なテンションだった龍は落ち着きを取り戻し、気絶していたお嬢は無事に目を覚ました。
が、二人とも微妙に様子がおかしい。
「混み合った都市空間において、公共の緑地の存在は、災害発生時の退避場所として有用だという実績ができたな」
「特務の班長にあとでレポートを出して、上に業績をアピールするように勧めておこう」
どうにもこれまでのお嬢と龍の奴の会話とノリが違う。
いや、お嬢が都市計画における緑地の重要性を語るのは、別に変ではない。
彼女はそういう人だ。
今日の邪神竜の騒動でも、お嬢の提案で、騎士団の突入前にあらかじめ周辺住民をこの公共の庭園に避難させていたらしい。そういう発想が出るのがお嬢だ。お陰で邪神竜が巨大化して暴れても、人的被害は小さかったそうだ。
今は大半の住民はうちに帰って、家が壊れたりして帰れない一部の者が、騎士団と一緒に炊き出しをもらっている。騎士団の奴らは、これを食べたらもうひと仕事だ。後始末で徹夜必須だろう。
この芋煮もお嬢が王城の厨房係に、今夜、騎士団の演習があるからと言って、事前に手配していたそうだ。
プロジェクトを進める上でのそういう細かいケアは、本当に敵わない。
汁を飲み干して三人分の椀を返して来ようとしたら、声をかけられた。
「特務の班長って、たいちょのお兄さんなんだって?」
「ええ、まぁ」
「真面目で身内に厳しいところが似てるよな。今回、親には内緒で計画を進めようと言ったら、暇な年寄は責任取らせるのには便利だからこき使ってやりましょうって言って、お父上を巻き込んでたぞ」
兄貴や親父がいたのは、やっぱりあんたの手配か。
そのあたりについても、色々と問いただしたいことはあるが、その前にもっと知りたいことがある。
「うちの親兄弟のことはどうでもいいんですが……結局のところ、どういう具合に落ち着いたんです?」
「ん?」
聞けば、お嬢と龍の魂は、なんやかんやで一度、完全に混ざってしまったらしい。
本人曰く、紅茶にミルクを入れたら、後は2つのカップに分けても、両方にミルクティーが入るだけのようなもので、元通りに分離はできなかったそうだ。
龍とお嬢の身体に別れて入りはしたが、これまでの記憶と知識は二人分を持っている状態だという。
ただし、ミルクティーと違って、人格や性格に関しては、それぞれ傾向の違いに応じて分離したので、別人格なのだそうだが……。
「なんというか、自分でも明確な区分はわからないんだ。多分、父上の娘として生きたい分が、こっちの身体に来て、男っぽい部分というか、男の身体で生きたい分が、龍さんの身体に行ったんだと思う」
「それは、両方、中身は元お嬢だということですか?」
怪訝そうに二人の顔を見ると、龍は首を傾げた。
「どうだろうな。龍としてろくでもない育ち方をした自分は、自我が未熟だったから、あまり表には出ていないが、基本的にはちゃんといると思うぞ」
声はいつもの重低音だが、微妙に口調がフランクになっている。龍は金色の目を細めながら、ニヤリと笑った。
その笑い方を見たらなんとなく、ベースが龍で、お嬢の男前なところが混ざった感じなのが理解できた。
たちの悪い男ができあがったのは間違いないが、友人として付き合うには悪くない。
「本来、龍さんに入るべきだった部分が龍さんのところに行ったんだと思うよ」
と言って隣で笑っているお嬢は、龍の膝の上には載せられていない。
魂が引かれ合って一緒になりたがっているというのは、恋愛的な意味ではなく、本当に言葉通りそのまんまのことだったらしい。
お嬢の魂の中にあった龍に入りたい部分が龍に戻って、龍の魂の欠損がなくなった今、龍はお嬢に触れることを綺麗サッパリやめていた。
お嬢のことでのわだかまりさえなければ、俺は元々、龍の奴はそう嫌いではない。人間の身勝手で酷い目にあわされていた奴が、こうして満たされた様子でいるのは、いいことだと思えた。
これもまた人間の身勝手ではあるが、俺は主であるお嬢も、友人であるお嬢(と龍)も失わず、生きていけるようになったのが、単純に嬉しかった。
のだが……。
女神様の力を使い切ってしまってこの世界に留まれなくなったために、元の世界に帰る聖女殿をお見送りした後、普通の宿に泊まるわけにもいかない俺達は、辺境伯の王都邸にお世話になった。
豪華な屋敷のテラスで、俺は侍女殿を困らせている龍をどやしつけた。
「おいこら、男の身体で生きたいって、そういうことか?!」
「そうとも。この人を口説き落としたいから、この自分を選んだんだ。……ほら、こうすると、ちょうどキスしやすい身長差だろう?」
後ろから肩を抱いて、彼女のおとがいを指でなぞって上を向かせる手付きがエロい。金色の目が完全に肉食獣だ。龍の奴め。本気だな。
俺が徹底的に教育して、お嬢が抑えるようになっていたヤバめなところが、自分に素直な龍に入ったせいで、ストレートに出ている。
「や、やめてください。こんなところで」
「なら、二人っきりになれる場所に行こう。私の部屋が近いぞ」
おーおー、詰める。詰める。
あの侍女殿が反撃できずに流されかけてる。へー、ぐいぐい迫られると弱いタイプだったのか。意外。
そういえば、お嬢のどこが好きか言い合ったときに、”私が甘味に弱いのを知っていて、職務上ダメなのに、なんだかんだ悪辣な手練手管を駆使してお菓子で誘惑してきて、挙げ句に私が欲に負けると、それを見てすごく嬉しそうにする、あの悪魔的なところが可愛い”とか、かーなーりどうかしていることを言っていたっけ。
それ多分、今の龍の奴の中身もそうだぞ。良かったな。誘惑の方向性はかなりダイレクトに悪魔だが。
「ちょっと、あんた!見てないで助けなさいよ」
「いや、なんか満更でもなさそうだから、別に俺が口を出さなくてもいいかなーと思って」
「お嬢様のときとあからさまに態度が違うのが腹が立つわね。……あ、ぁん、コラ!やめなさいって、バカ」
「なるほど、こうして見比べてみると、お嬢相手のアレは全然下心がなかったんだな」
「何を今更言ってるの。以前、飲み会のときに教えてあげたでしょう。お嬢様もこのアンポンタンもお互い恋愛感情は全然ないって」
「そんなこと、言われてないぞ」
「教えたわよ!あなたが酔って忘れちゃったのまでは面倒みきれないわ」
あの夜の最後は記憶がない。
「俺、あの日、君と何を話した?」
「バラしていいの?かなりどうかしている愛の言葉を聞かされたわよ」
「はぁ?」
胡乱なことを言うな。龍の機嫌が急落したぞ。
「見せつけないでくれないか」
「お前が言うな」
「公序良俗の問題で怒っているんじゃない。お前とは違うぞ」
「あら。いまだにそういう誤解をしているの?……隊長さんもお可哀想に」
「彼が可哀想?なぜだ?」
侍女殿は、俺がなにか言うより早く、龍の奴に俺の本音をバラしやがった。
なんでついさっき自覚した俺より、お前の方が詳しいんだよ。端的に言語化すんな。この性悪女め。
龍の奴、フリーズしちゃったじゃないか。小っ恥ずかしい。
お嬢にバレたらどうする気だ。
「なに、みんなこんなところで立ち話して」
「お嬢様、なんとか言ってやってください。この困ったさんったら、お嬢様に生涯の愛を誓っていたくせに、私を口説くんですよ」
「あー、それはしょうがない。元”私”の貴女に恋してた部分が全部そっちに行ったからな」
そいつ相当本気で貴女が好きだから許してあげて、と言ってお嬢は笑った。
「ついでにいうと、元”龍さん”も貴女のことかなり好ましく思っていたみたいだよ。腕力では勝てるのに、逆らわず言うこときいてたでしょ。アレ、怒られるのも含めて、なんか嬉しかったみたい。”私”への態度は、龍の因子の件と、たいちょの真似っ子がしたかったっていうのが大きいけれど、貴女への気持ちはその手の雑念なしで……」
「そういうお互いを覗いたときに知り得た内容を、他人にバラすのはやめよう」
目を丸くして頬を染めた侍女殿を抱えたまま、顔をしかめた龍は、ニヤニヤしているお嬢に「そっちがその気なら、お前の側に行った方の”理由”を暴露するぞ」と脅しをかけた。
「な、ちょっ、それは卑怯!」
「なにかあるのか?」
「なんでもない」
慌てたお嬢はブンブン手と首を横に振った。ああ、そういうところは元のままなのかと思うと和む。
「なんでもなくはないだろう。私にバラされたくなかったら、自分で話せ。私と彼女は席を外す」
龍は侍女殿を連れて、テラスを出ていった。……あいつ、なんだかんだ言って自分用の客間に連れて行く気だな。男の下心に正直すぎる上に、段取りと追い込みがお嬢クラスの男って、たち悪いな。
俺は、テラスに残されて何やら焦った顔をしているお嬢に、目をやった。
こっちのかわいいお嬢から、ああいう部分が抜けたのはめでたい。
「いや、その、なんだ。アイツの言っていたことは気にするな」
「なにか今後、あなたの問題や弱みになる可能性があることなら、今のうちに相談してください。あなたのことはきちんと把握しておきたい」
「あー、いや。弱みというわけではなくて」
「では、やりたいことや夢があるんですか?それがなんであれ協力しますよ」
「う、うーん」
お嬢はうつむき加減でもじもじしていたが、目線だけチラリとあげて俺の様子をうかがった。
可愛いからそういうのやめろ。
「その……夢、というか、将来の展望というか……えー、領主の娘としてだな」
小声でゴニョゴニョいうお嬢の言葉が聞き取りづらくて、俺は彼女の近くに寄った。
「なんですか?」
「あー、もう!だからだな。お前が必要だと思う私がこっち側なんだよ!」
「はい。よろしければずっとお側で仕えさせていただきます」
「そうじゃなくて!」
クビですか?それは勘弁してください。
「男のお前とちゃんと結婚したいから、女なんだってば!」
この世界って婚姻は男女間のみだから、って、そこで貴族の男女交際教育の内容を持ち出してくるのはやめてくれ。アレは俺のトラウマで……って……逃避していた思考が戻ってきて、言われた言葉の理解が追いついた。
「男の俺と……って意味わかってて言ってます?」
「わかってるよ。貴族は男女間では家族や婚約者じゃないと名前や愛称で呼ぶのは良くないんだろう?私はお前に愛称で呼んでもらいたいんだよ」
ああ、やっぱり。
下心部分は龍側に全部行ったんだな。
俺は多少ガッカリした気持ちを戒めつつ、微笑ましい思いで彼女を見た。
彼女はうっすらと頬を染めながら、恥ずかしそうに俺の上着の端を摘んだ。
「だって……抱きしめて耳元で囁いてもらうなら、そっちの方が嬉しいし」
「は?」
「わかってる。”未婚の男女は節度あるお付き合いを”だろう?お前がそういうとこお硬いのは知ってる。だから、お前が私相手でもいいと納得して結婚してくれるまで、そういうことをさせる気はないから安心してくれ」
前言撤回していいですか?
「お望みであれば何なりとしますよ」
「そういうのはイヤだ。お前のこと好きだから、お前の意見をちゃんと尊重したい。大切にするから、もう私を守るために自分が犠牲になるようなことはしないでくれ」
彼女は真剣に俺を見つめてそう告げると、フッと頬を緩めた。
「なんたってお前は私の一番だからな」
こうして俺は彼女の婚約者になった。
わんわんわん!
隊長さんを幸せにしようプロジェクト、これにて閉幕です!
ありがとうございました。
この後、後書き代わりの登場人物紹介があります。




