覚醒
「皆さん、ご無事ですか」
騎士団の本隊と一緒にやってきた聖女様は、聖堂に渦巻くどす黒い靄を見て悲鳴を上げた。
「逃げて!アレは悪しきモノです!」
「早くこちらへ」
お嬢を抱えて、聖女様と侍女殿の方に走る。
黒い靄はゆっくりと龍の上に降りて来た。拘束術式が解けない以上は龍の奴は動かせない。
まずはお嬢の安全確保だ。
「お嬢が呪薬をかぶった。龍が正気を失いかけてる。お嬢を頼む」
侍女殿に意識のないお嬢を任せて、龍のところに取って返そうとすると、侍女殿に襟首を掴まれた。
「待ちなさい!」
「このままだと龍が邪神につけ込まれて身体を乗っ取られる」
「だからってあんたが行ってどうすんの!」
「首のアーティファクトを外せば拘束術式が無効化できる」
「もう無理よ」
渦を巻いていた靄が、吸い寄せられるように龍の身体に雪崩落ちた。
「神の復活だ!ひざまずけ!!」
生暖かい風がどうっと吹き付けて、龍の全身が、禍々しい紫色の輝きに包まれた。奴の顔が鱗に覆われ、頭部から角が伸びる。
「邪竜だーっ!」
「騎士団、構え!」
龍は、人の姿を失い、全身が黒い鱗で覆われた異形と成り果てた。
恐ろしい声で吠え立てるソレに、人の知性は感じられなかった。
「バカ野郎が」
そういえば、正気を失ったら、俺が殴り飛ばして正気にかえらせてやるって、約束してたよな。
俺は拳を握りしめて、龍に向かって踏み出した。
流石というか、インチキくさいというか、邪神憑き龍は強かった。
アーティファクトと封印術式の影響で、魔法を使用できなくて、かなり動きに制限があったから、拳王先生と二人がかりでなんとか五分で戦えたが、硬いわ、速いわ、馬鹿力だわで、どうにも勝ち筋が見えなかった。当然、騎士団の人が大勢いても犠牲が出るだけなので、邪教の信者達を引っ立てて、下がってもらった。
「お前は一度、下がれ。聖女殿が呼んでいるぞ。ここは、しばらく俺達で保たせる」
拳王先生に言われて、あとを親衛隊に任せて、一旦、聖女様と侍女殿の位置まで戻る。
お嬢は苦しげな声を上げていた。
くそっ、距離をとっても、影響は避けられないのか。このままでは彼女まで邪神に乗っ取られる。
『先生、起きて!あんなのに負けちゃダメです。こっちに帰ってきてください!』
聖女様は異界の言葉でなにか叫んでいたが、俺が来たのに気付くと、お嬢に呼びかけてくれと頼んだ。お嬢の意識をつなぎとめることが重要らしい。
「お嬢!しっかりしろ」
「お嬢様、目を覚ましてください」
侍女殿と一緒に、声をかける。
なにか微かな繋がりのようなものが、心の奥底で引っかかったような感覚があったが、はっきり意識できる前に消えてしまった。
お嬢の顔から血の気が失せて、呼吸が弱くなっていく。
彼女の存在が消えていく。
ウソだ。そんなのはイヤだ。
『いっちゃダメ!先生はこんなに愛されていて、先生もこの世界のみんなを大好きなんでしょう?私がこの世界に来るために、愛の女神様から頂いた力を全部、先生にあげます。だから、戻ってきて!』
聖女様は異界の言葉で祈りを捧げると、ポケットからなにか小さなものを取り出して、お嬢に握らせ、その上から自分の手を重ねて、ギュッと両手で握りしめた。
二人の手の中でそれは白い輝きを放った。
『愛する人を愛おしいと想う乙女心、全部受け取って!!』
白い火花がバチバチ飛んで、虚ろだったお嬢の目にも飛び込んで、キラキラ光った。
火花は、お嬢の身体を支えていた俺にも飛び込んだ。
「……あ」
覗き込んでいた俺と、意識を取り戻したお嬢の、目と目が合った。
全身がカッと熱くなった。
〜〜〜
フワフワした心持ちだった。
ここがどこで、今がどういう状況だかよくわからない。
さっきまで、身を割かれるように痛くて苦しかった気もしたが、特になにも感じなかった。
なんだかとても大事なことを忘れてしまったような感じで、ひどく頼りない。何を忘れているんだろう。
そういえば、昔、うちに帰りたいとベッドで泣いたことがあったっけ。
ああ、そうだ。うちに帰ろう。
ええっと、うちはどっちかな。
帰ろうと思ったら、どこかで自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
あれ?そっちはうちじゃないよ。
名前を呼ばれたわけでもないから、人違いか聞き間違いかも。
なにか微かな繋がりのようなものが、心の奥底で引っかかったような感じがあったけれど、はっきり意識できる前に消えてしまった。
なんだ、今の?
ま、いっか。
今度こそ帰ろうとしたら、近くで誰かがうずくまっていることに気がついた。
どうしたの?
いる場所がなくなってしまったんだ。
そうなんだ。帰りたいの?
ああ。でも、帰り方がわからない。
一緒に行ってあげようか。
でも、二人で行けども行けども、どこにも行けなかった。どうなってしまったんだろう?大事なことを思い出せないからかな。
たしかに自分の中にあるのに、いつでも自分の隣にいるのに、気づけない、このもどかしい気持ちはなんだろう。
自分にもある。いつの間にかあった、気がつけば大きくなっていた、名前の分からないこの気持ち。
これが何なのか知りたい。
なんだろう。同じ気持ちかな?一緒に考えたらわかるかな?
お互いを覗いていたら、遠くから光がさした。
そうか。大事なことがわかった。
帰るところは”場所”じゃない。
目を開けたら、目の前に想った人が居た。
お気に入りのタイピンと同じ色の目が見つめてくれていた。
キラキラしている。一番大事な宝物の色。
名前のわかった気持ちが溢れて、光になった。
「ただいま」




