降臨
「待て、その者は龍に最も親しい者ではない」
聞き覚えのある声が響き、誰かが聖堂内に入ってきたのがわかった。
嘘だろう。やめてくれ。
「捧げるにふさわしいのは、この者だ」
入ってきたのは顔全体を覆う仮面を付けた白装束の男で、その後ろにはお嬢が居た。
彼女は、後ろ手に縛られてでもいるのか、縄を掛けられて、覆面を被った大男に引き立てられていた。
てめぇら!なんてことしやがる!!
怒りで全身が震えた。
彼女は、まるでこれから夜会にでも出るような姿で、しゃんと顔を上げて、しっかりとした眼差しで邪教徒どもを見据えた。
「その贄役の鎖を解け。その男は贄にふさわしい者ではない」
彼女は、凛とした声でそう言い放つと、龍の方を見て微笑んだ。
「龍よ。お前と私の思いは一つだ」
「ああ……そうだな」
「けして一人でいかせたりなどさせん」
やめてくれ。
あなたは今頃、本邸の自室にいるべきだろう?
「いいだろう。捧げるなら、むさ苦しい男よりも、女の方が、我らが神もお喜びになろう」
銀髪の祭司は、儀式を中断させて、俺を台座から下ろすように命じた。
仮面で顔の見えない白装束の男は、仰向けに寝かせられている俺の胸の上に片膝をついて、拘束を解いても身動きができないように、肩を抑えつけた。
「手間をかけさせるな」
……ぶっ殺してやる。
俺は、自分を見下ろす父を睨みつけた。
元暗殺者が俺の縛めの鍵を外した。
「女をそこに」
「待ってくれ。最後に別れを」
「……いいだろう」
お嬢の頼みを、銀髪男は鷹揚に許可した。
彼女は、後ろ手に縄で縛められた腕を大男に取られたまま、俺が押さえつけられている台座の脇を抜けて、龍が座らされている祭壇に近づいた。
龍の正面に立った彼女が、どんな顔で龍を見つめたのか、俺には見えなかった。
ふ……と、彼女が笑った気配がした。
「さて、いってみようか」
彼女は、自分で端を持っていた縄を振り払うと同時に、祭壇に片足をガッとかけて、握っていた鉄笛を思いっきり吹いた。
高い笛の音が、堂内に響き渡った。
「確保ぉぉおっ!!」
邪教徒に混ざって立っていたうちの長兄が、顔を覆っていた布を投げ捨てて、クソやかましい胴間声を張り上げた。それに呼応して、有象無象の間から幾人もが声を上げ、手近な邪教徒を取り押さえた。親衛隊の奴らじゃねぇか。お前らいるならお嬢を止めろよ。四方の扉からもわらわらと騎士団の奴らが入ってきて、逃げようとした奴らを打ち倒し始めた。
「貴様!」
祭壇の上で龍を守るようにあたりを睥睨するお嬢を、数人の邪教徒が襲おうとしたが、お嬢の脇の大男にぶん殴られて、派手に吹き飛んだ。
アホめ。拳王のガードがあるのにお嬢に攻撃が通るわけがないだろう。
布袋みたいな雑な覆面を脱ぎ捨てた拳王先生は、高笑いしながら、腰が引けた周囲の雑魚兵をまとめて殴り飛ばした。
「どけ、ジジイ!いつまで載っかってやがる!」
すっかり出遅れた俺は、俺を踏みつけたまま手近な邪教徒に一撃入れて意識を刈っている親父に、怒鳴りつけた。
「親に向かってなんて言い草だ」
「いい歳して現場に出てくんな!」
「手のかかるロクデナシの息子どもがおるせいだろうが。バカタレ」
クソ親父は、立ち上がった俺に剣を投げてよこした。
「後は自分でやれ」
「言われいでも!」
俺は祭壇に駆け寄ると、龍の手足の枷を断ち切った。
「オラァ、座ってねぇで立て!」
「だめだ。拘束術式が施されている」
「ああん?」
見れば、祭壇の表面には、呪符のような術式が装飾されている。祭器ってやつか?無駄に凝ったことを。
術式ごと祭壇を断とうとしたら、剣が折れた。やっぱりお嬢からもらった俺の剣じゃないと無理か。
「すまん。後でな」
もの言いたげに口を開けた龍を無視して、俺はお嬢の脇に立った。
「お前のプラン、アレンジしたぞ」
「よくお父上が許可しましたね」
「お前だって無許可だろう」
言いたいことが山程ありますが、まずはあなたを安全な場所に避難させてから……。
そう思ってお嬢を逃がそうとしたとき、背後で嫌な気配がした。
振り向くと、悪趣味な大杯を持っていた奴が、大杯の中身を龍にぶっかけようとしていた。その匂いは、例の呪薬か?!
拳王の拳が唸って、そいつの手から大杯が飛んだ。
「危ない!」
とっさに俺は大杯を叩き落した。ひっくり返った大杯の中身の大半はこぼれたが、その一部は龍を庇ったお嬢にもかかった。
「お嬢!」
俺は悲鳴をあげるお嬢を抱きかかえた。
なんてこった。
こいつはこの世界の魂と異界の魂が混ざった構造である龍の魂を切り裂く呪薬だ。
ということは、龍の因子を取り込んでいるお嬢も、もろに影響を受けるということだ。
「しっかりしろ」
俺の腕の中で彼女は気を失った。
龍の奴もまた、苦悶の叫びを上げている。
薬が少しかかったのか?いや、奴はお嬢とずっと一緒にいて、お嬢の中の龍の因子を取り込んでいた。彼女に起きた異変がダイレクトに伝わってしまっているのかもしれない。
龍の絶叫に呼応して、祭壇に描かれた紋様が淡く明滅した。
「おお!我らが神がご降臨なさるぞ」
声は上からだった。声の主は、あの銀髪野郎だ。いつの間にか下の混乱から逃げおおせて、聖堂の釣り香炉を掛けかえるためにある高い位置の回廊に上がっていたらしい。高いところからこちらを見下ろして、狂気めいた笑い声をあげたかと思うと、両手を掲げてなにかわけの分からない呪文を唱え始めた。
ちょっと待て。儀式とか心臓とか詠唱とか、中断してなんにもやってないだろう。この状態で、降臨しちゃうとか、あるのか?
ひょっとしてアレって、必須ではなくて、それっぽくてやってみたいからなんとなく趣味で付け足していたオプションなのか?
そんなバカな。
聖堂を照らす燈籠の炎が、音を立てて高く伸び上がった。
龍のいる祭壇の上。天井の高い聖堂の薄暗い虚空に、何やら怪しげな翳りがゆっくりと渦巻き始めていた。




