やけ酒
「俺は、優先順位を間違えたアホだ」
俺は、手にしたジョッキの縁を見つめた。黄金色の酒がなみなみと注がれている。俺はぐいっと酒をあおった。
今夜は俺の快気祝い……という名目で行われた、龍のすっとこどっこいがお嬢をかっ攫ったことに憤る親衛隊及び地元有志一同での、憂さ晴らしの飲み会だった。
拳王先生は後は一人でじっくり飲むと言って帰り、散々騒いだ面々はとうに酔い潰れてあちこちに転がっていた。(ちなみに剣聖先生は最初に落ちた。酒は弱いそうだ)
「なりふり構わず、後先考えず、お嬢のことだけを最優先にしていたら、奴をお嬢に近づけるような失態は防げたのだ」
「そうかもね」
手にしたジョッキは縁まで酒が注がれている。さっき飲んだのは気のせいか。俺はまたぐいっといった。
視線を上げると、侍女殿と目があった。
「俺は、救いがたい愚か者だ」
「そうね」
侍女殿も自分の酒坏に口を付けた。
「でも、そんなに悪くないわよ」
「慰めはよしてくれ」
視線を落とすと、ジョッキには酒がまだなみなみと入っていた。
「慰める気はないけれど、そう……いいことを教えてあげてもいいわ」
「いらん」
俺はジョッキの酒を一気に干した。
「お嬢様に関することなんだけど、聞きたくない?」
「話せ」
俺は目の前の美女を睨んだ。
この女は、聖女付きの侍女で、公式には侯爵令嬢だ。
ただしその身分は、彼女を聖女の侍女として王城の中枢で仕えさせるためにでっちあげられた養子縁組で、実際の生まれは違う。彼女は、辺境の”猟犬”と対をなす、王都の”番犬”の家の娘だ。女ながら”番犬”一族の今代の筆頭と目された、歴代でも稀に見る才女であるらしい。
裏において家を仕切らせる気満々だったところを、差し障りのない程度に表に出していた才だけで目をつけられて、聖女の世話役兼護衛として王家に引っこ抜かれたそうだ。どんだけだよ。
触らないに越したことはない類の女なので、お嬢に近づいてきたときは、どんな裏があるかと警戒した。しかし、蓋を開けて見れば、単にお嬢が持ち込む甘味に釣られただけだったらしい。
その後、なんだかんだですっかりお嬢の魅力にハマって、何かと協力してくれている。
有能なので、連携すると非常に仕事がやりやすい相手ではある。
「そうね。貴方がお嬢様をどう思っているのか正直に話してくれたら、教えてあげてもいいわ」
「あの方は俺の大切な主だ」
「へー、そう」
クソつまらないものを見下す目で見られて、俺は顔をしかめた。
「あの方が小さい頃からお側に仕えて、一番近くで成長を見守ってきたんだ」
「それで?」
「だからこれからもずっとお側に仕えて、あの方を補佐していきたいと思って研鑽していたのに、こんな大事なところでとんだ失態を……」
「ちょっと飲みが足りないんじゃない?」
言われて手元を見ると、さっき干したはずのジョッキに、琥珀色の酒がなみなみと入っていた。
おかしいな?
俺は、促されるままにそれを飲んだ。
「貴方、自分の酒量知ってる?」
「いや?酒はいつも付き合いで飲む程度だから」
「自分の酒量と酒癖は、一度、確認しておいた方がいいわよ」
そう言って彼女は、俺のジョッキに酒を足した。
たしかに彼女の言には一理ある。
仕事中に酒でしくじるのは避けたい。
こういう機会に確認しておいた方がいいだろう。
俺は注がれた分を飲んだ。
「そもそも貴方とお嬢様って、どういう付き合いなのか教えてちょうだい」
「俺はあの方が5歳のときからの守役だ」
俺は彼女と酒を酌み交わしながら、ポツポツと、お嬢と過ごした日々を語った。
「呆れた。”猟犬”稀に見る俊才で、世が世なら表で稀代の英雄となったであろう傑物って評判を聞いていたから、実際はどんな男かと思っていたんだけど、根っからの犬じゃないの」
「誰の話だ、俺はそんなんじゃない」
「それ、どっちの否定?」
「両方だ」
俺は、犬として失格だと嘆いたら、徹底してるわね、と言われた。徹底できなかったから失敗したんだろうが。
「結局、貴方にとってお嬢様ってなんなの?ただの飼い主?」
「な、訳ないだろ」
俺は、ジョッキの縁で揺れる濃い琥珀色の波を見つめた。
さっきからだんだん色が濃くなっていないか?気のせいか?
つまらない逡巡を切り捨てて、口にする。
「あの方は、俺の主で、師で、親友で、弟で……娘だ」
「やるせないわね」
「偉そうに言うな。お前に何がわかる」
「あなたよりはお嬢様のことが見えていると思うけれど」
「んなわけあるか。お嬢のことは俺が一番知っている」
「じゃあ、お嬢様のいいところをどちらが沢山言えるか、勝負しましょう」
「ハンデをやる。そっちが1つ言う毎に、俺は2つだ」
んなもん、負けるわけがない。
「降参。私の負け。貴方、気持ち悪いぐらいお嬢様のこと好きね」
「おう。お嬢のいいところなら一晩中語れるぞ。俺が親衛隊で隊長なんて呼ばれているのは、腕っぷしや仕事の出来のせいじゃないからな」
「胸をはらないで」
それだけ言えるのに、どうしてあの結論なのかしらとブツブツ言いながら、彼女は俺のジョッキに酒を注いだ。
「お前も新参にしてはなかなかわかってる。入隊するか?」
「光栄だけれど遠慮させていただくわ。隊長さんよりお嬢様に愛されちゃ悪いでしょう?」
「な?!」
「私、好かれてるわよ〜」
ぶぜんとした俺を見て彼女は、女は愛の女神様のご加護があるから、それが愛かどうかがわかるのよと言って笑った。
「羨ましい?」
「別に」
お嬢は俺のことをなんとも思っていない。それぐらいはわかるからいい。俺と面と向かって話をしているとき以外で、彼女が俺のことを思い浮かべることは微塵もないだろう。
そうなるように、煩わせないようにしてきた。いれば便利で、必要なときは必要なだけそこにいるが、居なくても気にならない。そういう存在になれるよう努めてきた。
小さい頃のお嬢は俺がいないとダメで、多少大きくなってからも、俺が少し怪我した程度で心配してわんわん泣いた。
それではいけないと思った。
思って、引いた。
いつでも心配をかける片腕なんて、使いにくいじゃないか。
近くなりすぎないように、無邪気なふれあいさえたしなめて、断って来たのに……強く抱かれるのが好き?知らねーよそんなもん!!!
「どうしよう。ちょっとからかうだけのつもりだったのに、痛々しくて泣けてきたわ」
侍女殿がテーブルに突っ伏した。
酔ったなら自分で帰れよ。介抱はせんぞと言ったら、ダバダバ酒を注がれた。
ちょ、お前、この透明な奴、ジョッキで飲むような酒じゃないだろ。
「やかましい。いいからさっさと限界まで酔っ払って、その溜め込んだ腹の中、ぶちまけなさい」
侯爵令嬢にあるまじき暴言を、彼女が吐いて、その後は酷いものだった。
二人で色ボケ龍の悪口を散々言って、それから奴の置かれていた境遇に憤って、ついでに俺のちょっとご令嬢に明かすのはまずいトラウマまで白状させられた。
「おかげで絶対アイツのことが思い浮かぶようになっちまって、罪悪感で死にそうだよ。俺はアイツを女として見たくないのに」
「でも、お嬢様は女性よ」
「アイツを女だと思っちまったら、今までダチとして一緒に育った関係を否定しちまう気がするんだ。俺はアイツとの友情を、男の下心で汚したくない」
「全然、女性としては見てないの?」
「18歳以下をそういう目で見る大人の男は犯罪者だってアイツに白い目で見られるんだぞ!俺はアイツにそんな理由で、嫌われたくない!」
「重症ね」
「あー、男のアイツと女のアイツがいたらいいのに」
「そう思っている時点で気づきなさいよ……」
そこからさらにベロベロに酔い潰されて「こちとら青春全部ぶっ込んだんだぞ!ありゃ俺んだ」だの、とんでもないことを口走っていたような気がするが、定かではない。
結局、お嬢に関する”いいこと”は聞きそびれた。くそう。




