ぶた仲間 ⑧
「調子に乗りすぎたわね」
壁の向こうから、ベラがそう言った。反対側の壁から、はい、とルースの冷静な返事が聞こえた。
アタシは手かせをぼんやりと眺め、調子に乗りすぎた、ベラの言った言葉を、頭の中で反芻する。まったくその通りだ。リフィが友人のように接してきて、周りの騎士も対等に扱ってくれた。剥奪された司祭の称号をつけて名前を呼ばれるうちに、アタシは勘違いしてしまったのだ。まるで自分が罪人じゃないかのように。
アタシは罪人で、ここには罪を償うために来たのだ。牢屋に入れられてようやくそれを思い出すなんて、愚かにもほどがある。みんながアタシらを仲間のように扱ってくれたのは、いざというときに治療してもらえないと困るからだ。
イベリアの怒声が、口走ったことが、何度も思い返される。あれは怒りにまかせていただけではない。奥底に隠していた本心だ。勘違いもリフィのせいではなく、アタシらが犯罪者だから、イベリアはああいう考えに至ったのだ。
つまるところ、ぜんぶアタシが悪い。
「どうなるんでしょうね、私たち」
「道具扱いですかね。牢屋に閉じ込められて、格子越しに神聖魔術を使うだけの生活。場合によっては刑期が延びる程度ですまされるかもですが……」
「まいた種が芽吹くか、ってとこね」
「どれくらいまきましたか?」
「いちいち数なんて覚えちゃいないわよ。ルースは二つかしら?」
「はい。私の予想では、芽吹くかと」
「だったら心配いらないわね。刑期が延びる程度で済みそうでよかったわ」
ベラとルースが今後のことについて語り合うのを聞くともなく聞きながら、ぼんやりと手かせを眺め続ける。そうしていると、音も映像も、自分の耳と目で感じ取っている気がせず、まるで他人事のように思えてくる。
「ステフ、大丈夫?」
ベラが壁越しに尋ねてきて、アタシはどう返事をしていいのかわからず黙り込む。その沈黙をどう捉えたのか、ベラは声音をほんの少し優しくしてきた。
「案外打たれ弱いのね」
「まだ十八歳ですからね」なにも言わないアタシの代わりにルースが返事をした。
「若いとは思ってたけど、そう。……ステフ、気をしっかり保ちなさいよ。こんな何もない場所に閉じ込められてると、慣れてなきゃ一日で頭がおかしくなるわよ。気晴らしなんて会話くらいしかないんだから、気が向いたら恨み言でもなんでも言いなさいな」
聞こえてはいた。それなのに、アタシの頭はそれを無視して、代わりにこれまでの人生を何度も思い起こし始めて、そしてそれら全てが悪い行いだったような気がして、そんな思考だけがぐるぐると回り続けて、結局、その日はなにも言葉を発さなかった。
「おはよう、ステフ。ちゃんと眠れた? あなた、こんな固い床で寝たことある? ベッドくらい欲しいわよねえ」
牢屋にはトイレしかない。地下だから音は響くし、仕切りもないから監視の騎士が牢屋の前を通ったら丸見えだ。監視は女の騎士だが、見られてしまったときはもちろん、音が響くのも最悪だ。しかし、納得する自分もいた。罪人なのだからこれが当然だ、と。
「おはよう、ステフ。もう起きてるわよね? 変なこと考えてちゃダメよ。神聖魔術師は思い込みが激しいんだから。リフィを見たでしょ? 一度そう思い込んだらなかなか抜け出せないのよ。だから変なこと考えるんじゃないわよ」
牢屋の前には、たまに負傷者が運び込まれてきた。言われるがまま神聖魔術を行使し、これからはずっとこうして生きていくのだと思った。それを嫌だと思う自分がいて、心底腹が立った。本当に反省しているのか、自分で自分を幾度も疑った。
「おはよう、ステフ。ちょっと冷えてきたわね。もう十一月だものね。任務で行った森あるでしょう? 秋になると綺麗に色づくのよ。一緒に見ましょうね。きっとそれまでには出られるわ」
反省とは、贖罪とは、いったいなんなのか。こうして牢屋で大人しくしていることなのか、運び込まれてくる人を治療することなのか、心を綺麗に磨くことなのか。不味いメシを食べて、なんの仕切りもない場所で排泄し、固く冷たい床で眠る。これが贖罪なのだろうか。そうだったらいいと思う。これならアタシにもできるから。外に出れば、アタシはきっとまた勘違いをする。人の優しさを都合良く解釈し、許されたような気になってしまう。
「おはよう、ステフ。昨晩はうなされてたみたいだけど、そりゃそうよね、こんな固い床で寝てたら、悪い夢も見るわよ。どんな夢だった? 他人の見た夢ほどどうでもいい話はないって言うけど、こんな場所だとね。会話しか娯楽がないから、つまらない話でも聞く気になるっていうか、返事が無くてもしゃべりかけたくなるっていうか」
次第に、この場所への謎の安らぎを覚えるようになった。ここにはアタシの罪を糾弾する人間はいない。状況そのものがアタシを糾弾しているのだとしても、あのときみたいにはっきりとした言葉を向けられるのはもう嫌だ。風が吹くと回る風車のように、ただそういうモノとして、負傷者が運ばれてくると治療する。罪を償い続けるただの道具になりきれば、アタシの心をざわつかせるものはなにもない。
「おはよう、ステフ。ここは色んな負傷者が来て飽きないわね。お礼を言ってくる騎士もいれば、私たちに治療されるのを嫌がる騎士もいる。不安そうな顔に、安心した顔。なんでもいいんだけどね。感謝されるためにやってるわけじゃないし」
負傷者を治療しているときに、自分の口から言葉がこぼれていることに気がついた。ただ、なんと言っているのか、自分でもわからないのが不思議だった。ごめんなさいのような気もするし、許してくださいのような気もするし、ありがとうのような気もした。全てを順繰りに繰り返しているのかもしれなかった。直前まで見た夢を、起きた途端に思い出せなくなるように、繰り返す言葉はもやがかかっている。
そうして、牢屋に入れられて五日目、就寝時間直前にイベリアとリフィがやってきた。見張りの騎士が鍵を開け、地下にある牢屋から外へと連れ出された。処遇が決まったのだろう。地上への階段は、絞首台に続いているように思われ、しかし覚悟なんてものは必要なく、解体されるブタはこんな気持ちなのだろうかと、そんなことを思った。
通された部屋には、二段ベッドが二つあった。中央のテーブルには綺麗に畳まれた修道服が三着置かれている。イベリアがアタシらの手かせを外す。
「すまなかった」
目の前で頭を下げるイベリアが理解できなかった。
「すみませんでした」
同じように頭を下げるリフィももちろん理解できない。石を投げられるいわれはあれど、頭を下げられるいわれなどない。悪いのはぜんぶアタシなのだから。
「全て俺の卑屈さが招いた勘違いであったと、上には報告させてもらった。加えて、騎士たちから陳状もあったそうだ。形式上、刑期は伸ばさざるを得ないが、模範囚として過ごせばそれもなくなる。それと、あのときの暴言を謝罪する。互いに敬意を持って接すると言いながら、俺にはそれができていなかった。犯罪者であるからと、心のどこかで思っていた」
「犯罪者だろ……ああ、いや、犯罪者、です。私は」
言い直したアタシを、リフィが痛ましい顔で見つめる。なにを思ったのか、ぎゅっと抱きしめてくる。
「ステフ、あなたは今、とても疲れているの」
そうなのだろうか? リフィが言うのだから、そうなのかもしれない。だけど、それがいったいどうしたというのだろう。いいことじゃないか。疲れないと。楽なことなんて、許されて良いはずがないのだから。
リフィが体を離す。寂しい感じがして、それはすぐに罪悪感に変わった。
「ゆっくり休んで。明日、ちゃんと話しましょう」
リフィはベラとルースにも同じように声をかけて、イベリアと一緒に出ていった。
ベラはベッドのスプリングを確かめ、ルースは部屋の奥を仕切っているカーテンを開けた。カーテンの向こうは簡易的なシャワー室のようだった。体がひどく匂うことに気がつく。リフィに抱きしめてもらったことを思い出し、ごめんなさいか、許してくださいか、ありがとうか、アタシはなにかを口走った。
「シャワー、先にもらってもいいですか?」
「いいわよ」
ベラに了解を得たルースがこっちを見る。アタシがなにも言わないのを確認して、汚れた修道服を脱ぎ始めた。
アタシは部屋の隅に寄って、猫のように床の上で丸くなる。ベッドのスプリングを確かめていたベラがアタシの腕を掴み、無理矢理立たせようと引っ張った。
「ちょ、重いわね。どれだけ鍛えてるのよ。ちょっとルース! 手伝ってちょうだい!」
「なんですか?」裸のルースがシャワー室から顔を出す。
「ステフもシャワー室にぶち込むわよ」
「好きにさせておけばいいじゃないですか」
「せっかく綺麗な場所で寝れるのに、臭いのがいるなんて冗談じゃないわ」
「……それもそうですね」
「一瞬持ち上げるから、その隙にスカートめくり上げて……」ベラが指示を出しながら、二人がかりで修道服を脱がされる。そして両脇を抱えられ、シャワー室へとつれて行かれる。石でできた湿った床に、ぺたりと座り込む。アタシの髪を、ベラが手際よく洗ってくれる。
「あんたもこれくらい反省したら?」アタシの髪をお湯で流しながら、ベラが言った。
「珍しいですね。ベラがそんなこと言ってくるなんて」ルースは無遠慮にアタシの体を眺め回しながらそう返した。
「甘やかしすぎたのかしらって、ちょっと思ったのよ」
「できないものは、できませんよ」
「そう? でもリフィはできると言ったわ。私もそう思う」
ルースは無言でシャワー室を出ていく。それを目で追っていたベラが眉間にしわを寄せ、ああもう、またあの子、とぼやきながらシャワー室を飛び出した。
部屋のほうから二人の会話が聞こえる。
「ほら、ちゃんと体拭いて。ベッドびちゃびちゃじゃないの。ちょっと、そのまま毛布にくるまろうとしないで。髪も拭いて……まったくもう、風の呪いにかかるわよ」
「いいですよ。治せますから」
「そういう問題じゃないでしょ」
ため息をつきながら、ベラが戻ってくる。アタシはなされるがまま、泡だったスポンジで体中を擦られる。
「嫌なことがあるといつもああなの。これも神聖魔術師の弊害よね。治せるからって、どんどん無頓着になっていく。自分にも他人にも。あなたも覚えておきなさい。ああなったらおしまいよ」
ベラは言ってから、シャワーでアタシの全身を流し、最後に頭をぽんと叩いてくる。
「はい、綺麗になった。あとはしっかり休みなさい。ちゃんとベッドで寝るのよ。体も拭いて。毛布も被って」
アタシが動こうとしないのをしばらく眺めてから、ベラは自分の体を洗い始める。それも終わると、タオルを持ってきてアタシと自分の体を拭いてから、アタシの腕を引っ張った。しかし、ベラの力ではアタシの体は持ち上がらない。
いい加減、迷惑をかけている自覚はあった。けれどどうしても体が動かない。鉛のように、シャワー室の床に沈み込んでいるかのように。
ベラは大きなため息をつき、シャワー室を出ていく。諦めたのかと思ったが、すぐに毛布を持って帰ってきた。ベラは毛布で床の水気を取ったあと、またシャワー室から出ていって、新しい毛布やシーツを抱えて戻ってくる。それを床に敷き詰めて、アタシを寝かせた。
「これも贖罪なのかしら」つぶやきながら、ベラは仕切りのカーテンを開けたままシャワー室を出ていった。
裸のまま横になっていると、ふと涙がこぼれた。拭う気も起きず、そのまま垂れ流す。枕を二つと毛布を持ったベラがやってくる。枕をアタシの頭の下に差し込んで、もう一つを自分の枕にして、アタシのすぐそばで横になる。
「毛布がもうないわ」ベラは言って、包み込むように抱きしめてきた。
「――――」アタシはなにかを言った。
「いいのよ」ベラはそう返した。
ごめんなさいか、許してくださいか、ありがとうか、ベラの胸でつぶやいた言葉がなんだったのか、やっぱりアタシには分からなかった。