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ぶた仲間 ⑪

 新暦二〇〇六年、五月上旬。辛く厳しかった冬は終わり、その名残すらも溶け始めたころ、オロバス領は開領祭に向け熱を帯び始めていた。

 開領祭とは、領地開拓を祝う年に一度のお祭りだ。領地が完成した日を本番として、前夜祭と後夜祭を含めた三日間開催される。期間中の領地警備は、他の領地から雇い入れた騎士と、クッスレア本国から派遣される王国騎士団に任される。魔物の脅威も仕事も忘れて、領民みんなで大いに浮かれ騒ぐのだ。

 オロバス領は領民のほとんどが騎士で、警備任務にかり出されているため、開領祭の準備に人手が足りない。今の時期から臨時の騎士を雇い入れ人手を増やすことになるのだが、その騎士たちの中に、とんでもないビッグネームがいた。

 英雄クニツ・ライナである。魔王の復活を阻止した、戦争を終結に導いた、攫われた王女を救出した、などなど、数々の逸話を持つ正真正銘の英雄だ。

 その英雄に、実はアタシは一度会ったことがある。

 なにを隠そう、アタシが無敗の女王と呼ばれていたあの場所――違法地下闘技場『モンテカルロの夜』――が摘発された夜、切り込み役として乗り込んできたのが、クニツ・ライナだったのだ。ちょうどそのときアタシは試合中だったから、鮮明に覚えている。英雄は鬼のような形相で警備を切り伏せ、逃げ惑う観客に怒鳴り声を上げていた。そしてリングの中央で呆然としているアタシを見つけると、すぐそばに来て、こう言ったのだ。

「つらかったよな」

 なにを言っているのか、本気で理解ができなかった。アタシは非合法な手段で大金を稼いでいる悪党のはずだ。捕虜だったころはまだ言い訳ができただろうが、そのあとはいくらでも辞める機会はあった。強制されていたことなど、なにもない。たとえ親父の借金のためだろうが、まっとうに聖騎士として稼ぐ道もあったのだから――それで一生を使い果たすとしても――やはり言い訳のしようがないのだ。だから、つらいことなんてなにもない。むしろ楽なほうへ逃げただけ。そのはずだった。

 つらかったよな。そう言った英雄の顔は、それこそつらそうだった。そのとき気づいたのだ。きっとアタシはつらかったんだ。そんなことを思う資格なんてないから、つらくないと無意識のうちに思い込んでいたに過ぎない。見世物にされるのも、罪を犯すのも、ずっと嫌だった。だからといって親父を見捨てたって苦しいし、一生を借金返済に費やすのは嫌だし、罪を犯してまで自分の人生を手に入れたとして、幸せと思えるのかもわからない。袋小路に追い込まれていたアタシの苦しみを、なにも知らないはずの英雄は敏感に感じ取っていたのだ。

 憧れた。アタシもそういう人間になりたいと思った。

 どうして忘れていたんだろうか。導きというのなら、まさにあのとき、アタシは導かれていたはずなのに。今更それを思い出すなんて。もう一度、今度は忘れないよう、心に深く刻もう。

 アタシは祈る両手に力を込める。誰かの苦しみを、わかってあげられる人間になりたい。それを救える人間になりたい。クニツ・ライナのように。リフィのように。

 まぶたを開くと、オレインがアタシの横顔をじっと見ていた。

「ずいぶん長く祈るんだな」

「はい。色々と思い出したことがありまして。お待たせして申し訳ありません」

「いや、なんつーか、良い時間だったよ。見てるだけで心が洗われるっつうか」

 オレインは教会の中を見渡したあと、皮を張った携帯用の小さな酒壺をちゃぽんと鳴らす。

「不思議だな。酒ってのは、どこで飲んでも風情があって美味いもんだが、ここではちっとも飲む気にならん」

 それはそれとして早く酒が飲みたいのか、オレインは大股で出口へと向かう。アタシはそれを小走りで追いかける。オレインは外で酒をあおりながら、アタシを待っていた。

「酔っぱらいは、神聖魔術じゃ治せませんよ」

「これくらいじゃ酔わねえよ」酒壺を揺らし、オレインはアタシに歩幅を合わせ始める。「酒も女も、強くないと酔えなくなっちまった」

 デート、ということになるのだろうか。休日にこうして町を歩くのは。いや、たぶん違うか。道沿いは鍛冶屋ばかりで、鉄を打つ音がそこらじゅうから響いてくる。オロバス領とはいえ、女として誘うならもっといい場所があるだろう。いかにもデリカシーのなさそうなオレインだが、流石にこれをデートとは呼ぶまい。

 並んでいる鍛冶屋の隙間を埋めるように、一軒の酒屋があった。オレインはまっすぐそこに入り、アタシもついていく。

「おーい」

「はーい、ちょっと待っててくださいねえ」店の奥から酒焼けしたようなハスキーボイスが響いてくる。数分後、妙に慎重な動きで、酒樽みたいな体をしたおばさんが出てきた。「なんだ、オレインか。わざわざ呼ぶんじゃないよ。勝手に注いでいきな」

 おばさんは会計所の椅子に巨大な尻を下ろす。ゆっくりと背もたれに体重を預ける。そのさい、痛みを我慢するようなうめき声を発した。

「腰が悪りいんだ。治せるか?」

「いつからでしょうか?」

「俺がここに来てすぐだったから、四年くらい前か。酒樽運んでたらやっちまったらしくてな。それ以来、店を手伝う代わりにちょいと酒をもらってんだ」

「なにがちょいとだよ。まったく、商売あがったりだ。こんなに飲むんなら手伝いなんて頼むんじゃなかった」

「安酒で我慢してやってんだから、感謝しろよなあ」

 二人が軽口をたたき合うのを聞きながら、アタシはおばさんの腰元にかがみ込む。

「いいよ治さなくて。他にも何人かみてもらったけど、多少楽になるだけで、二、三日後には元通り。そのくせ金は取るんだから、たまったもんじゃない」

「今回はひと味違うぜ、なんたって聖騎士様だ。そこらの神聖魔術師とは鍛え方がちげえ」

 冗談のように言っているが、神聖魔術師にとって鍛錬は大事だ。傷や呪いは汚れと一緒で、長いあいだ放置すれば染みついてとれなくなる。綺麗にするには根元まで届かせるだけの出力が必要だ。その出力を上げるには、心身を鍛えるしかない。アタシが体を鍛えているのは、そういう理由もある。

 四年も放置された腰痛は根が深い。表面的な部分を治療するのは簡単だが、完治させるにはそうとうな出力が必要だ。こういうときのコツは、出し惜しみせず一気に力を込めること。完全に治ったと分かるまで、力を緩めてはいけない。少しでも根を残してしまえば、再発の原因となるし、再び四年分の重みと戦うことになって体力の無駄になる。

「ちょっと、あんた大丈夫かい?」

「動かないでください。あと、少しなので」

 体が熱い。額から汗がしたたり落ちる。杖がやたらと重く感じ、全力疾走しているかのように体力が持って行かれる。もう一踏ん張り。重たいものを持ち上げるときのように、思いっきり歯を食いしばる。最後に目一杯力を込めて、治療を終わらせた。

「終わりました」杖を頼りに立ち上がる。手足がじんじんとしびれ、体中を虚脱感が襲う。息を整えて、顔にびっしりとかいた汗を拭う。

「もう大丈夫だとは思いますが、もし再発するようでしたらお呼びください。お代は結構ですので」

 おばさんは恐る恐る立ち上がり、調子を確かめるように腰を叩く。一瞬、驚いた顔をすると、店内を歩き回り始めた。ずんずんとスピードを上げ、ついには笑い出す。

「あーあー、元気になっちまって。ちっとは手加減してくれたほうが良かったかもな」

 おばさんが飾り物のように置かれていた高そうな酒を持ってきて、差し出してくる。

「ありがとうねえ。正直、店をたたまなきゃいけないんじゃないかと思ってたところだったんだよ。そのうち動けなくなるんじゃないかって、毎日不安で。これ、お代とは別に持っていっとくれ。うちにしちゃ上等な酒だから」

「すみません、なにぶん懲役中の身ですので、謝礼はいただけない規則でして」

「じゃあこれだけでも持っていきな。お金はダメでも、モノならいいだろ」

「いえ、そういうわけにも……贖罪の機会を与えてもらい、感謝するのはこちらのほうで……」

「いいからもらっとけって。じゃねえと俺がもらっちまうぞ」押しの強いおばさんに、オレインまでもが加わる。

「あんたにやるくらいならアタシが飲むよ」

「おいおい、誰が連れてきてやったと思ってんだ」

「いいや、紹介料にしちゃ高すぎるね。あんたにはそこの安酒がお似合いだよ」

「ったく、ちっとは俺にも感謝しろってんだ」

 オレインはおばさんから酒瓶をさっと奪い取り、アタシに差し出す。

「ほら、もらっとけ。感謝されてんだ。受け取る資格がどうのとか、考えなくて良いんだよ。そんな難しいこと、どうせこれ飲みゃ忘れんだから」

 ここまで言われてしまっては、流石に受け取らざるを得ない。アタシはいかにも高そうなお酒をおっかなびっくり受け取る。ラベルには聞いたこともない名前が書いてあり、茶色い瓶にのっぺりと歪んだアタシの顔が映り込む。少しも笑っていない。むしろ困っているかのような顔。せっかく貰ったんだから、ちゃんと喜ばなければ。でないと贈った側も気持ちよくないだろう。

「ありがとうございます」

 アタシは頑張って笑顔を作る。

「それにしても、若いのにすごいねえ」

「だろ? しかもこれがまた強えんだ。騎士の立つ瀬がねえ」

 二人の賞賛が耳に入ってくる。まるで他人ごとのように思えて、アタシはふと疑問に思う。

 資格とかそれ以前に、アタシはこういった感謝や賞賛を、どう受け取っていたんだっけ?

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