表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

白い部屋は記憶を奪い記憶を告げる

作者: TM

ゆっくりと目を開くと、そこには真っ白な部屋が広がっていた。体を起こし、あたりを見回す。何一つ周りに物はなく、ただ永遠に真っ白な空間が広がっていた。非現実的な空間に目を疑う。額に手を当て、目を閉じる。もう一度目を開けると、少女が目の前に立っていた。

「うわっ!」

反射的にのけぞり、そのままバランスを崩して後ろに倒れ込む。慌てて、少女が体を起こしてくれる。部屋の色と同じ、真っ白なノースリーブのワンピース、肩くらいの長さの髪。理由もなく懐かしさを感じた。

「もしかして、どこかでお会いしましたか?」

「……」

わざわざ出てきた割に、一言も話そうとしない態度に腹が立ち、ため息をついて立ち上がる。

「会ってない」

立ち上がった瞬間、冷たくそう言われ、さらに腹が立った。

「じゃあ、誰なんだよ」

つい、刺々しい言い方をしてしまい、少女が眉間に皺を寄せる。

「……元々、ここにいるだけ」

心許ない回答にすらもイラッときそうになり、少女を無視することに決める。ふと、自分のことを思い出そうとした瞬間に、何一つ出てこなくなる。

「……あれ?」

名前も年齢すらも出てこない。必死で思い出そうと、目を閉じて頭を抱える。突然、肩に手を置かれ、跳ね上がる。さっきの少女だった。

「……どうせ、わかんないんでしょ」

もはや、耐性がついたのか、見え透いているとでも言うような言い方も愛らしく思えてくる。

「何も、名前も年齢も、何もかも、分からないよ」

自分を嘲笑うように荒々しく言葉を放つ。

「今日は、寝てて」

少女がそういうと、突然足元がふかふかとしたベッドのようなものに変わる。座った瞬間、強烈な眠気に襲われ、大人しくベッドに入り目を閉じた。ふわっと体が浮くような感じがし、眠りに落ちる。


ふと目を覚まし、体を起こすと、その部屋は水の中のような、青色の空間が広がっていた。ふと水音がしたような気がして上を向くと、墨汁のような黒い水滴が落ち、青色の空間に、黒色を少し広げ、すぐに消える。

「おはよう」

少女は、昨日と同じ姿で現れた。この子なら何か知ってるんじゃないか、という一縷の望みをかけて、問いかける。

「ここはどこなんだ?」

「……どこなんだろうね」

「どこなんだろうね、って…」

少女は冷たくこちらを見る。ため息をついて、改めて周りの空間を見つめる。なぜか知ってるような、でも思い出したくないことな気がしてならなかった。

「青…か」

そういうと少女は不意にこちらを振り向く。

「青いの?」

「え?あぁ、海みたいな綺麗な青だよ。上から黒い水滴が落ちてきていることを除けば」

「……何か、思う?」

「何か、か…」

ない、といえば嘘になる。目の前を黒い水滴がよぎり、足元の近くで黒く弾ける。弾けた黒を見た瞬間、頭の中で、何かが思い起こされる。強い風の中で、大雨の中で、たった一人で夜の街を見つめる少年の姿。その少年が自分と重なり、息を飲む。

「ねぇ」

その一言ではっと我に帰る。

「何か思うの?」

「夜景を……見てたよ、強風と大雨の中で」

「それだけ?」

「思い出したくないことだった気がするよ。まるで今までで一番最悪の夢でも見た気分だ」

「今見えてる、色は?」

「青色のことか?……そうだな、あえて言うなら一番安心できる気がする。黒い水滴は見たくもない」

「……他には思い出せないの?」

「特に、ないな」

「ほら、例えば、こんなことがあったとか、こんな感情があったとかもっと具体的な!」

少し感情的になった彼女に驚く。その表情を見てか、少女は勢いを失い、少し悲しそうな表情をする。どうかしたか、と聞こうとした僕の目の前に、今度は赤色の糸が落ちてくる。上を見れば、その糸が溶けるように赤色を散らし、青色と混ざっていく。気がつけば、周りは紫色に変わっていた。

「今のは…?」

それが見えていたのか、少女は目を見開いた。絶望の混じったような表情をした後、視線を下に落とし、唇をかみ、どこかへ歩いて行ってしまった。

「なんだよ…」

あまりにも非現実的な世界に疲れ、座り込む。その瞬間頭の片隅がズキリと痛み、視界が白む。視界が真っ白になり、体が後ろに倒れ込むような感じがする。体に力は入らない、それなのに意識はいやにはっきりしていた。真っ白な視界に青が広がり、落ちては広がって消えていく黒色に混じって、赤色の紐が張り詰める。そして青に溶けて混ざって紫色になる。そして少しずつ少しずつその色は黒く変わり、四方で光が弾ける。視界が色を取り戻し、くっきり見えるようになった時、目の前に広がったのは紛れもない、少年が見ていた夜景と同じだった。遠くで河川の決壊を告げるサイレンが鳴り響き、警報を告げる放送が町中に響く。雨で髪は濡れ、風にあおられ握っていた傘は飛ばされる。どこともつかない屋上の、古びたフェンスに近づいていく。手でフェンスを引っ張ればその部分は容易に崩れた。外したフェンスを床に置いた瞬間、強い風が吹き上げバランスを崩して座り込む。髪から水滴が飛び散る。立ち上がりフェンスの穴をくぐり、フェンスの外側に立つ。地面をしばらくの間見つめ、顔をあげ、ポツリとつぶやく。「さようなら」と。次の瞬間足元の感覚はなくなり、地面が近づいてくる。徐々に視界がまた白み始め、真っ白になった視界に紫が広がって、視覚を取り戻す。勢いよく飛び起き、自分の体を見る。五体満足の体に心底安心し、首元に手をやると、ぐっしょりと汗をかいていた。部屋は真っ白な状態に戻っていた。あの後、どうなったかだなんて聞きたくもない。あれが本当に自分の記憶なら、ここは天国なんだろう、と冷静になる自分を残しながら、死を受け入れたくない冷静になれない自分が荒ぶる。息が荒くなり、誰一人いない空間に、息を吸う音だけが響く。天国にいるのか、天国を装った地獄なのか、はたまたそれ以外のなんでもない名もない空間なのか。どの可能性も受け入れられずに、そのまま倒れるように眠りについた。


目を覚ます。最悪の目覚めだった。夢の中でもあの光景と感触は繰り返された。これが「現実」だと、それ以外の可能性を捨てさせるかのように。まぁ、話を変えようか。部屋は真っ暗だった。光の一つ差し込まない墨汁を塗りたくったような空間。立ち上がり、地面に足をつけると、その場に光が広がる。足元の一点から真っ黒な空間に光が広がっていく。またも、どこかで見たような風景だった。どこからともなくもう一つ光が灯り、昨日と変わらぬ姿の少女が現れる。少女の足元から広がる光は太陽、というのはありきたりだろうか。自然に現れる太陽や月、星の光を集めたような美しい光だった。少女は何も言わず隣に座る。少女が座った瞬間、光は消え、自身の足元からの光だけか残った。あまりに機械的な自身の光にため息をつく。

「ねぇ」

どこにいるのかも分からない少女に話しかけられ、思わず肩を跳ね上げる。

「今日は、何色?」

「真っ暗だよ」

「それだけ?」

「足元から光がでてる。でもそれだけ。何も感じない」

「…そっか」

心なしか少女の口調は優しかった。ふと、どちらかが言葉を発するたびに光がちらちらと揺れていることに気がつく。まるで、この会話をログで残すかのように。ログ?ログといえば最近、何か嫌なことがあったはず……。次第に光のちらつきが大きくなり光は自身の体を離れ、四方八方へと舞い始める。そして、その光がはじけ、あたり一面が光に包まれる。その瞬間に、スマホの画面が脳裏をよぎる。あまりのまぶしさに目を閉じれば、その瞬間にいつしかの会話がログのように現れる。

「誕生日おめでとう」

その言葉だけが妙に目に止まった。友達に誕生日も祝ってもらえて、幸せだったんだな、と思うのに、心の中で負の感情が渦巻く。気がつけば光は消え、真っ暗な空間にだけが残っていた。自分は誕生日おめでとうにすら素直に答えられない、最低な人間だったのだろうか。

「大丈夫?」

無意識のうちに座り込んでいたのだろう。何も言うことができず支えを探そうとする手は地面に触れた。分からなかった。昨日の少年は、夜景は、あの足元の感覚は、このたった一つの言葉は、全部全部、忘れてしまった記憶だというのだろうか?なら、この少女は何がしたい?記憶を取り戻させるのか、成仏させるのか。

「いい加減受け入れなさいよ!」

思考を遮るように、少女は言った。怒気をはらんだ声に姿勢を正す。

「いつまで、『消えられる』なんていう欲望に縋ってるのよ!いい加減にしてよ!」

そう言って、少女はまた、どこかへ消える。受け入れる?自分のものかも分からない記憶を?『消えられる』その言葉は、溜め込んだ感情を破裂させるには十分すぎた。自分の過去も名前も、何もかもわからない不安の目の前に、『死』をつきつけられ、訳の変わらない言葉を突きつけられ、感情は暴れ出す。涙はとめどなく流れ、何もできない自分に苛立ち、それでも、感情に流される自分を心の中で冷静に嘲笑う自分がいる。何もできないまま、涙も拭かず、唇を強く噛む。この空間から存在も意識も消してしまいたかった。


その日から数日間、少女は姿を現さなかった。部屋は何一つ変化を見せず、ただただ真っ白な壁を見せ続けた。何をするまでもなく、時間になれば眠り、何もせずただ虚空を見つめる日々を繰り返した。そんなある日、一人の女性が現れた。少女とよく似た顔立ちだった。少女より大人びた、どこか母親らしい雰囲気を持っていた。

「こんにちは」

柔らかく微笑む姿は少女とは対照的だった。

「疲れてるわね」

そういって、その女性は隣に静かに腰掛ける。疲れてる…のか。そうかもしれない。

「どうしたらいいんだろうな」

口をついて出たのはそんな言葉だった。何も考えることもなく、こう言うべきだ、なんてことも思わずに、不意に出てきた言葉。女性の顔を見れば少し驚いたような顔をして、また柔らかくほほえんだ。

「考えてごらんなさい」

考える。この数日間ずっと放棄してきた選択肢だった。考えれば、考えるほど、出口のない暗闇に進んでいくような気がしていたから。「どうしたらいいのか」。消えたいはずだった。でも、何かが違う。探しているのは消えるための手段じゃない。じゃあ、何を探しているんだろう。何を求めて、ずっとずっとここに留まることを選んでいるんだろう。今まで、無視してきた思いはなんだった?心の中にあったのに「消えたい」を消してしまうから、できなくさせてしまうから、無視してきたのは、ただ、ただ、「生きたい」という願いだったとしたら?すとっ、と何かが落ちてくるように自分の中で結論を得る。

「俺、生きたかったんですね」

どうすべきかも分からなくなって、命を絶つことを選んだのかもしれない。でも、きっと最後まで「生きたい」願いがあって、ずっとためらってたかもしれない。崩れて崩れて原型さえ分からなくなったパズルのピースの形を思い出すように、今までの映像が、今の感情がピースになっていく。いまだに全体像なんて分からない。それでも少しだけ組み立てられた形がそこにはあった。


いつの間にか眠っていたのだろうか。目を開くとベッドの上に転がっていた。いつぶりか分からないが体が軽かった。体を起こせば、目の前に机が置いてあった。リビングに置いてあるような机。明かりもついていない部屋のような空間と、1日の終わりを告げるような強烈な西日。机の上に西日があたり、微かに光が反射していた。ゆっくりと全体を見回し、机に近づき体重を預ける。少女がどこからともなく現れる。少し不機嫌そうな表情をしながらこちらに向かって一直線に歩いてくる。

「わかったの?」

声も不機嫌そうだった。

「そうだな、なんとなく、だが」

そういうと少女は膨れ気味だったほっぺたを少し戻す。ふと机を見つめ、木目を指でなぞる。机の端を見た瞬間、寂しい、という感情とは違う孤独に似た感情が溢れる。瞬きをすれば、部屋の入り口でただずむ少年の姿がよぎる。電気もつけず、窓から西日が差しこむ部屋のなかで一人、笑顔が無表情へと変わっていく。視界がぐるりと回り、暗くなる。目をひらけば、目の前には少年がただずんでいた部屋と同じ空間。何をするまでもなく、体は動き、机へと向かう。机の上には千円札が一枚だけ置かれていた。書き置きのひとつもなく。少年はそれを当たり前のように取り、ポケットに入れ、玄関へと向かう。再び視界が回り、暗くなる。目をひらけば、西日のような光が正面から差し込んでくる。眩しさに思わず目を覆った。

「どうだった?」

今の映像の感想だろうか。前よりも鮮明で長かった気がした。何より、あれが日常だった気がしてならなかった。

「色々、思ったよ」

当たり前のはずなのに、なんとなく心の中で孤独を感じているような感じだった。前までの自分だったら、これさえも受け入れられないのだろうか。そういえばあの女性は誰だったんだろう。

「なぁ、君によく似た女の人知らないか」

視線を合わせそう聞く。膝を抱え込み、座っていた少女はこちらを振り向き、こう答えた。

「私に似てる人?だったら私のお母さんだと思うけど…」

母親?それにしては少し若かったような気がする。年齢が気になったがいくらなんでも初対面で年齢を聞くのは失礼がすぎる。追求することは諦めよう。少女が立ち上がる。

「またね」

珍しく、いや初めてか。こちらを向いて小さく手を振り、どこかへと消えてしまった。その姿は愛らしく、孤独さえも消してしまうように温かい気持ちを残していった。


今までで一番の目覚めの良さだった。体を起こすと、怒りのような、ほのかに赤の混ざったどす黒い色が広がっていた。ふと手を見ると体の周りを覆うように、澄んだ水のようなものが黒と体の間にあった。これは、なんだろうか。触れようとしても、指先を避けて動き回る。

「おはよ」

いつも通り少女は現れる。

「今日は、しんどいと思うよ」

しんどい。今日の記憶が、か?あの、「死」を超えるくらい、しんどいものなんてない。

「多分、今までとちょっと違うと思うよ」

「なんだよ、そんなしつこく」

少女がここまで食い下がるのも珍しい。わからない、けど、見てみるしかない。今、できることはそれしかないんだから。

「そんなことはいいよ。もう受け入れるしかないんだ」

そういうと、少女は顔をあげこちらを見上げる。そして、少女は大きく息を吸って、指を鳴らした。その瞬間に、体の周りを覆った水のような物体が弾け、体に重さがかかる。赤の混ざった黒色が空気を奪っていくように、苦しくなる。視界が黒くなる。

「ねぇ、…くんはお母さんに何あげるの?」

そんな声が頭に響く。

「ちょ、麗華、…くんに聞いちゃダメだって」

「え、あっ!ご、ごめん、そんなつもりじゃなくて」

なんだ…?母親の話がだめ、なのか…?名前を呼ばれるたび、その部分だけ音が濁る。

「大丈夫だよ」

切なさを怒りを悲しさを全て抑えた、抑揚のない声。初めて聞いた自分の声だった。かすかに視界が戻る。教室のような風景。すぐに、視界が真っ暗になる。

「母親いないんだろ!かわいそ〜」

次の瞬間飛び込んできた言葉はそんな言葉だった。母親は、やっぱりいなかった。

「だからだろ?こんな表情もなく生きてるの」

「可哀想だよなぁ、生きてる意味ある?」

息がどんどん苦しくなる。息の吸い方が分からない。苦しい、吸わないと、わかってる、でも吸えない。分からない、何が起きてるのかも何もかも。苦しい。

「死ねばいいのに」

「目障りだしな」

「こいつ死んだら金ヅルいなくなるだろ」

死ねば、いいのに。目障り。金ヅル。俺は、ずっとずっとこんな言葉を受けて、受けて、それでも我慢してた、とでも?息が荒くなっていく。苦しくて、苦しくて、頼る場所をなくす。ぐるり、と地面が回るような感覚。なんで、なんで?何に対して言いたいのかも分からない。ただただ、なんで、という言葉だけが溢れる。見たくない。もう逃げたい。きっとこのままこれを見続ければ苦しくなって、苦しくなって、受け入れるなんてできない。あの「死」とは違う。いやでも逃げ出せないのに、ずっとずっと続く。自分の感情さえも分からなくなってしまうように。耳に怒鳴り声が突然飛び込んでくる。

「なんで生まれてきたのがお前なんだろうな」

耳を疑った。誰か、はわからない。不意に視界が蘇る。見覚えのある顔。誰かも分からない。

「お前みたいなのの父親になんてなりたくなかったよ」

父…親?息子に、こんなことを言うような人間が父親だった、とでも?嫌だ。これ以上、聞きたくない。戻ったって、もう幸せに暮らせない。知らないまま、別の世界にでも、別の人間にでも変わって仕舞えばいいだろう?なんで、わざわざこんなものを見させられて、苦しんで、それでも受け入れなきゃいけないんだよ。訳が分からない。

「お前じゃなくて、もう一人が生まれていれば幸せだったんだろうな」

もう…一人…?分からない。分かりたくない。

「それか、お前なんて死んで、香織が残ればよかったんだ」

香織。その名前を聞いた瞬間。頭が激痛に襲われる。今までにないくらい視界が黒くなる。そして、あの、ここにきた、一番最初の時のように、黒の視界が美しい青色に変わっていく。落ちてくる黒色、張り詰める赤い紐、広がり、視界が紫に変わっていく。色はもう一度黒へと戻り、視界の四隅で光が弾ける。目を開く。あの日、見た、夜景と同じ、全く同じ屋上だった。妙に体の感覚がしっかりしている。サイレンを聴きながら、自身の手を見つめる。体は自由に動く。どこへ向かうわけでもなく。自分の手を見つめ続ける。やっと、全部思い出した。俺は、ずっとずっと蔑まれてきた。俺は、元々双子だった。そんな記憶はない。ただ、俺の臍の緒がもう一人の首を絞めて、殺してしまったそうだ。そして、母親は、体が弱かった。香織というその名にあった優しい人だった、らしい。母親は、俺を産んで、そして、持病が悪化して、死んでしまったらしい。例えそんなことがあっても、父親は子供を愛してくれる、というのが世間一般の常識だろう。でも俺の父親はそうじゃなかった。幼い俺に、「お前は二人を殺して生まれた」と言い聞かせ、ひたすらに俺に勉強やら運動やら音楽やらを強制した。それらができなければ、「二人も殺したくせに」と言い、俺に暴力を振るった。服の袖を捲れば、見るからに痛々しい真っ青な痣があった。俺の誕生日がくるたびに、父親は酒を飲み、母親の仏壇に縋り、俺に暴力を振るった。次第に俺は感情を表に出さなくなった。何をしても父親に怒られる、そんな気がしたから。そしたら、誰も俺に話しかけてこなくなった。感情の起伏が少なくて、自分から話そうとしない人間になんて誰も話しかけやしない。当たり前だ。中学に上がって、自分の部屋をもらってから、自分の部屋に篭ることが増えた。父親と話す時間も減り、心底安心していた。でも、その安心を裏切るように俺はいじめられるようになった。いつからか、パシリのような扱いをされ、命令に逆らえば躊躇なく暴力を振るわれた。そして、中学3年生の誕生日、俺は、たまたま酒を飲んだ父親と鉢合わせた。そして、幼いころと同じように暴力を振るわれた。抵抗する気力もなくて、父親が寝た頃に、服もそのままに、台風がくる中、外へでていった。行くあてもなく彷徨ってふと辿り着いたのがここだった。

「ははっ…」

なんだよ。まだ「生きろ」と?少女にも、あの女の人にも最後に「さよなら」一つ言わないまま、この世に戻すなんてそんな残酷なこと、あるかよ。こんな過去を全部思い出させておいて、今更、もう、「生きたい」なんて思えるとでも?フェンスを引っ張って、外す。あの時と同じように転び、水滴がとぶ。穴をくぐり、建物の縁に座り込む。雨が冷たかった。俺は、もう「生きたくない」





少年が目を開く。少年の目の前には真っ白な部屋が広がる。少女は、何度も何度も少年の前に現れる。少年が全てを受け入れるまで、何度も何度も。逃げ出さなくなるまで、何度も。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ