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これが私の処世術

作者: 薄明

 長いものには巻かれろ。



 それが私の処世術。



*****



 世界中の国々を巻き込んだ戦争は両親を奪い、代わりに育ててくれた祖父もミランダが十五になった春に人生の幕を閉じた。

 山奥の寒村で、ひとりぼっちになった少女に温かく差し伸べてくれる手が決してなかったわけではない。もともと貧しい村ゆえ、彼らの身を削るような優しさはむしろ辛くて、いつまでも甘えているわけにはいかないことぐらい、さすがに理解していた。

 そのためには働かなければならない。かと言ってすぐさま仕事にありつけるような手に職も、学も持ち合わせていない。役に立つものと言えば、祖父が生きていた頃に教えてくれた、野に自生する山菜や食べられる木の実を見分ける知識ぐらいだけだった。だからそれらを採ってきては、ひと山越えたところにある大きな街に出て売ることにした。まっとうな金を得るには、それぐらいの(すべ)しか知らなかったのだ。



 包丁を片手に手を血に染めながら、自らの身を嘲るように小さく笑う。獲物はすでに大量の血を流し、どんよりとした眼差しをミランダに向けていた。抵抗する意思はそこにない。それでもなおミランダは獲物が逃げ出さないよう押さえつけると、躊躇いなく包丁を振りおろした。



 切り落とした獲物――魚の頭を除けると、手早く三枚におろしていく。処理した魚に付いた血を綺麗に拭うとトレイに入れ、骨と頭はだしを取るために鍋に放りこむ。

 この仕事にありついて、数カ月。最初は魚のおろしかたも知らなかったミランダだったが、今ではかなりの品数の料理を作れるようになっていた。それこそ死に物狂い(・・・・・)で学ばなければならなかったからだが、必ずしも好きでこの仕事をしているわけではない。

 そもそも、どうしてこんなことになったのか。わが身の不幸を呪っても呪いきれない。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

 ここは、かつて住んでいた山村からひと山越えたところにある港街だ。市街地は港に向けて傾斜し、街はいつも太陽の光で溢れ、港は沖に出て数日を漁で過ごす漁師たちの船が大半だ。桟橋には漁船から落ちた魚を待ち伏せている猫がひなたぼっこをしつつ目を光らせ、カモメが隙あらば猫から魚を横取りしてやろうと狙っている。港近くの市はいつも盛況で、海産物ばかりは近隣の街でも随一の漁獲量を誇るほどだ。

 そんな街の一角。細い路地を通り抜けた裏道も裏道。お天道様に顔向けできないような人たちの暮らす片隅で、ミランダはこうして賄い――魚をさばき、煮物やサラダ――を作る毎日だ。


 袖触れ合うも多少の縁?


 いやいや、そんな生易しい言葉では語れない。

 当初ミランダもこの街に山菜を売りにきていたが、山菜なんて所詮は時季のもの。それこそ、はした金にもなりはしない。食べていくだけなら取りあえず困りはしなかったが、その他生活に必要なものを買うには意外とお金がかかるのだ。

 それにミランダも年頃である。街に行くたびに、きれいな洋服に身を包んだ同年代の少女たちが視界に入るのだから、同じような恰好がしてみたくなっても仕方がないだろう。

 まぁ……つまり――。

 やってしまったのだ。手っ取り早くお金を手に入れる――人の懐から財布を抜き取るという行為を。もちろんそれが違法な行為であることは百も承知だった。だが、山で鍛えぬいた足で、逃げきる自信だけはあったのだ。

 しかしながら相手が悪かったとしか言いようがない。数時間におよぶ逃走劇を繰り広げた結果、捕まってしまったのだから。その上、よりにもよって懐を狙った相手が実は殺し屋だったなんて、ほんと、ツイてない。

 相手は職業柄か、ミランダの身の上を調べることなど他愛もなかったようで、つまるところ山菜イコール毒草の知識且つ逃げ足の速さを買われてしまったというわけだ。

 でもさすがに、人の懐から財布を抜き取る根性ならまだしも、命を抜き取る気概まではなく、必死に泣いて許しを乞うた結果、殺し屋たちの住処で彼らの世話をする現在に至るわけだ。



「ミラちゃーん。今日はねぇえ、海鮮スープ(カッチュッコ)が食べたいわぁ」

 昼食の下ごしらえを終え、台所で鍋を磨いていると、女のミランダから見ても目のやり場に困るような胸元ばっくり、身体のラインばっちりのドレスに身を包んだ美女が、蕩けるような甘い声で話しかけてきた。

 彼女も殺し屋の一人、クラリーチェだ。

 漆黒の髪を結い上げ、紅い唇は常に弧を描き、しなりとした動作はどんな男をも違う意味でイチコロにしてしまうような匂い立つ美女だ。実際に側に寄ってもいつもいい香りがしている。

 本職がお休みの時は、夜の酒場で歌姫という、もう一つの顔も持っている。

 それにしても何ゆえ、カッチュッコなのか。ミランダはふと食堂のテーブルの上に置かれた新聞を思い出し、合点がいった。本日の料理レシピ欄は確かカッチュッコだった。

「わかりました。でも買い出しに行かなきゃ材料がないんですけど」

 さすがになまものは常備していない。

 魚は先程下ごしらえしてしまったが、カッチュッコはもっと大量の魚やら貝やらがいるのだ。あれでは全然足りない。トマトはあったはず、と思いながら鍋を側のテーブルに置くと、どうしますか、と首を傾げた。

 残念ながらミランダに自由はない。この住処の中では自由が許されているが、殺し屋の顔を見た者は、仲間になる以外助かる道は残されていない。ミランダは直接、彼らの仕事に関わっていないが、関わっていないがために、完全に仲間だと認められたわけでもないのだ。外出する際は必ず監視がつけられ、逃げられないよう常時緊張を強いられながら買い物をしなければならないのだ。

 だから出来れば外出は遠慮したい。だが、こちらの事情などどこ吹く風のクラリーチェは、綺麗な額の中央に溝を刻むと、んー、と少しの間考え込んだ。

「そっかぁ。でも、今日はムール貝が食べたい気分なのよねぇ。……――あぁ、そうだわぁ。手あきの人、探してくればいいのよねぇ?」

 見た目に反して、のんびり屋のクラリーチェは、いい事を思いついたとばかりに両手を合わし、うふふ、と笑うと「ボスぅ」と叫びながら台所から出ていった。



 この住処で暮らしている殺し屋は総勢四名。決して多くはないだろう。

 ボスのダリオ。その右腕のリベリオ。巨漢のウーゴと美女のクラリーチェ。

 ミランダがこうして今も生きていられるのは、ウーゴとクラリーチェのおかげである。ダリオは、ことの成り行きに興味なさそうにただ一言「好きにしろ」と彼らに告げただけだった。

 そう、お察しの通り、ミランダが懐を狙った相手とはボスの右腕であるリベリオで、殺そうとしてくれたのもその男だ。

 二十代中程の外見だけはいいその男は、この住処の中と外ではがらりと態度を変えてしまう。外ではごく普通というより、どちらかと言えばあまり目立たないような服を着てどこまでも地味なのだが、この住処に戻ってくると表情も態度も一変し、本来の冷酷な顔を覗かせる。

 あの日。数時間の逃走劇を繰り広げた後、この住処に連れて来られたミランダは床に放り投げられ、うつぶせになった背中に容赦なく圧し掛かられた。息を吸い込もうにも胸が押さえられて浅い呼吸しか出来ず、少しでも抵抗しようものなら首の骨を折るとまで言われ、事実、後頭部と顎の下に手を掛けられた時には、かいていた汗が一気に冷えたことを覚えている。

 もちろん、こうして五体満足でいられるのはウーゴとクラリーチェが、渋るリベリオから逃走劇の顛末を聞き出したからだ。おかげで仲間にされそうになったとも言えるが――。



 ピリピリとした殺気を感じながら、とにかく料理作りに専念する。なぜだか食堂にはリベリオが居座り、新聞を広げている。

 そう、買い物は無事に済ませたのだ。

 残念なことに、手空きの人間がリベリオしかいなかったから。

 思わず、「ひぃっ!」と言ってしまったのは許して欲しい。引きずられるように住処から連れ出され、気づけばムール貝を両手に、台所に立っていた。

 その間の記憶が飛んでいるのは、恐怖のあまり、自己防衛本能が働くからにほかならない。



「もうリベリオには話したんだけどぉ」

 満足げにムール貝を口に運びながら、クラリーチェが頬杖をつく。こぢんまりとした食堂であるため、四人が集うとかなり狭い。しかし夜は彼らの仕事の時間だ。だから必然的に遅めの昼食時が彼らの情報交換の場となる。

「”影”が動くらしいわよぉ」

 彼らの情報網が一体どうなっているのか、実のところミランダも知るところではない。というか、知りたくない。

 ピリリとした殺気が一瞬漲り、それだけのことでミランダはフォークを床に落としてしまった。高い金属音が食堂に響く。

「ふーん?」

 チラリとこちらに視線を寄こしたダリオが、気のない返事をしてから殻から外した貝の身を口に運んだ。

「ほ、本当か?」

 がつがつと頬張っていたものを咀嚼しながらも真偽のほどを確かめようとしたのはウーゴだ。

「……」

 リベリオは顔の筋肉を一つも動かさず、パンをちぎった。

 フォークを洗って戻り、一人台所の隅で同じくムール貝をつつく。

 本当は聞きたくないのだ。じゃないと、元の世界に戻れなくなりそうだから。

 しかしながら、しっかりと耳が拾った単語の意味を、ミランダは完全に理解していた。



 ”影”――。

 この国の政府直属の裏方の仕事をする人物「たち」だ。

 クラリーチェ達と同じ内容の仕事とはいえ、彼らの仕事は依頼主が政府というだけで正当化される。そして、その存在を知っている者も、数えるほどしかいない。

 もともと戦時中の特務機関として設置されていたらしいが、戦争が終わった今でも表沙汰にはできないような政府高官の醜聞の揉み消しや不穏分子の一掃に動くことがあるらしい。

 ミランダも、そのような者がいることを、この住処に来て初めて知った。こんなこと、知りたくなかったのに。



「あのねぇ、先日、財務長官だっけ? あの助兵衛ジジィを殺っちゃったじゃない?」

 うふふと笑うクラリーチェは、気づけばフォークの代わりに彼女の暗器が指先からのびていた。

 聞いた話によると、彼女は標的(ターゲット)に近づき、抱きつくような状況にもっていって、首の後ろから細く尖ったソレを突き立てるのだ。

「ああ」

「アレがね、まずかったみたい」

 まったく動じる様子もない彼女が、歌うように告げた。



「おい……」

 不機嫌極まりない声が、彼らの会話を遮り、明らかにミランダに向けられたことに肩が震えた。

 フォークを口に運ぼうとしていた手を下ろし、軋む扉を無理に開けるような力をもって、どうにか首を回すと、底冷えのするような視線とぶつかる。

 リベリオだ。

「煙草を買ってこい」

「――はい」

 結局一口も食べる間もなくフォークを皿に戻すと、恐怖に竦みながら立ち上がる。

「ミ、ミラ。大丈夫か?」

 巨漢のウーゴは見た目に反してとても優しい。その実、殺しの方法はとても繊細で綺麗なの、とはクラリーチェの言だ。確かに彼のもう一つの仕事は家具職人だ。手先の器用さはミランダも目を瞠るもので、実は今座っている椅子もウーゴが片手間に作ってくれたものだ。ただ、殺しの方法がどのように繊細で綺麗なのかは想像したくないが。

 ウーゴは、ミランダがリベリオを苦手としていることを知っている。だからどうしてもミランダが買い出しに出なくてはならない時などは、自ら監視の役をかって出てくれるほどだ。そのおかげで、少しは息がつけるようになったと言ってもいい。

「大丈夫。行ってきます」

 射竦めるような眼差しから逃れるように、ミランダは勝手口から飛び出していた。



「どうしよう……」

 昼間のざわめきをどこか遠くに感じながら、ぼんやりとミランダは歩いていた。

 気づけば、一人。

 監視も付かずに人ごみに紛れたのは、リベリオに捕まって実に数カ月ぶりだった。

 これが逃げ出す最大のチャンスだと気づいたのは、住処から出てしばらくたってのこと。後を追ってくる者もおらず、うろうろと路地を回り、様子を窺ったがやはり気配はない。

 ボスのダリオは、人を決して信用しない。ミランダの外出に際して、監視をつけることにしたのもダリオだ。

 それがどうして、今回は誰も付けなかったのか。

 それはおそらく……。

 あまりにも恐ろしい考えに、首を横に振る。今考えるべきことはそれじゃない。

 このまま逃げるか――。

 何度目となるか分からない問いに、その都度リベリオの冷たい眼差しを思い出し、身が震わせてその答えを否定する。

 逃げたところで行く当てもない。知り合いもいないし、逃走資金もない。おそらくすぐに捕まってしまうだろう。そして今度こそ、リベリオに殺されてしまうに違いない。

 あの時の背中にかけられた圧迫感を思い出し、再度、ふるりと身体を震わすと、取りあえず煙草を買いに向かうことにした。



 薄暗い路地をとぼとぼと歩き、住処へと戻る。

 結局、ミランダは逃げられなかった。

 だが住処の扉の前で、紫煙をくゆらす姿を見つけた時、ピタリと足は止まってしまった。

「逃げなかったのか?」

 冷たい眼差しが立ち止まるミランダを捉えると、指にはさんでいた煙草を足元に落とし、踏みつぶした。

 壁にあずけていた背を起こすと、リベリオはゆっくりと近づいてきた。

「……逃げられるとは思えませんから」

 震える声を何とか絞り出し、視線を下に向けると、視界の先に見慣れた靴先が入る。

「行くぞ」

「――はい」

 くるりと住処に背を向けて歩き出したリベリオに、ミランダは数歩遅れてついていく。

 何処に、とは聞かなかった。

 そして、あの扉の内側で何があったのか。

 ミランダが知らないわけがなかった。



 貝毒――。

 熱を加えても、消えることのない毒。

 買い出しで手に入れた貝は、与えられたもの。買ったものではない。

 調理をしたのはミランダだ。

 これはリベリオの指示だった。

 山の毒には詳しいミランダが、海の毒に詳しいはずもなく。言われるままに調理して、彼らに出してしまった。クラリーチェはもとより、ボスのダリオもウーゴも、皆口にするところを見かけた。ただ一人、リベリオを除いて。

 何ゆえ、彼は仲間を殺そうとしたのか。

 それはミランダだけが知っていた。

 彼の財布を狙ったあの日、彼は政府機関のある建物から出てきたのだ。一見したところ、役所勤めの人間にしか見えなかったから、きっとお金をたくさん持っているに違いないと思ったのに。

 そう、彼がミランダの口を封じたかったのは、クラリーチェ達に対してだった。

 なぜなら彼は”影”の一員だったから。

 ずっと探っていたらしい。そしてクラリーチェから”影”の話を聞いたから、リベリオは動いた。

 クラリーチェやウーゴからも信頼を得ているミランダの料理を使って。

 テーブルに新聞を置いたのもおそらくリベリオ。それを見たクラリーチェがカッチュッコを食べたいと言うことを予測して、仲間に貝毒を持った貝の準備をさせておいたに違いない。

 そう、すべては仕組まれて――。



 だけど、こうして生かされているならば、リベリオに従うしかないのだ。逃げられはしないのだから。そう、生きていくためには、この先、ずっと……。



*****



 長いものには巻かれろ。



 これが私の処世術。

閉鎖した自サイトからの転載です。

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