9.モンスターなクレーマー
「わわわ、」
机越しに、わたしは引っ張り上げられた。
このひと、すごい力持ちだ。
わたしってば、そんなに重たいほうではないけれど、それを片手で持ち上げるなんて、なかなかできることじゃない。
わたしってばそんなに重たいほうじゃないのに。たぶんだけど。
「貴様、なにをする」
マルカが男のひとの手をはらう。
急に掴まれていた手を離されて、わたしは床におちて尻餅をついた。
「いたた」
「大丈夫? アンネローゼさま」
「平気よ、わたし、そんなに重たいほうじゃないから」
見上げると、マルカが男のひとに対峙してにらみ合っている。
「なんだぁ? おまえ、邪魔するんじゃねえ」
「アンネローゼさまにこの仕打ち。万死に値する」
「マルカ、ちょっと待って」
今にも実力行使しそうなマルカだったが、わたしがそういうと少しだけ力を抜く。
「あなた、どなた? わたしたちが何かをたくらんでいるって、どうして・・・・・・」
「ヴォルフだ。俺も追放者だ」
ヴォルフと名乗った男のひとは、口の端を上げて見せた。
野性的な雰囲気で覆われているけれど、よく見れば、きれいで整った顔立ちだ。
ワイルドって、こういう感じなのかな?
「だからよく知ってるぜ。おまえらはいつもそうだ。こうやって優しいふうに見せておいて、ホイホイ集まってきた俺たちから、なにもかも奪うつもりなんだろ?」
「え、違・・・・・・」
「うるせえ、そういうのは聞き飽きたんだ」
隣で、リットくんがびくっと反応しているのがうかがえた。
もしかして、リットくんにもそういうこことあたりがあるのだろうか。
「違うのよ。わたしたちは・・・・・・」
「だからうるさいといっているだろ!!」
ヴォルフの拳が振り下ろされた。
それを受け止めた机が、派手な音をたて、真っぷたつに折れて壊れた。
すごい。このひと、本当に力があるみたい。
「また、不幸な追放者が出る前に、俺がぶち壊してやるよ」
ヴォルフが拳をふりあげる。
そうしてそれがふたたび振り下ろされたその瞬間。
ばちん、と
横合いから突き出された手刀で、それは逸らされ、はじかれる。
「いい加減にするんだな」
マルカだ。
「アンネローゼさまのお心もわかろうとしない野良犬が」
「なんだぁ? おまえ、邪魔する気か!!」
ヴォルフがマルカに向き直り、胸の前に拳を構える。
「だめよマルカ。そのひととっても強そうだだし、あなたが怪我をしちゃったら、」
「ご心配いただき、ありがとうございます。しかしこのマルカ、この程度の野良犬にやられるような鍛え方はしておりませんので」
わたしのほうへむかって、マルカは優雅にお辞儀をして見せた。
「よそ見してんじゃねえ!」
「危ない!」
ヴォルフの唸りと、わたしの叫びが重なった。
わたしから見て、すごい疾さでふるわれた拳は、しかしマルカにはあたらない。
「くっこのっ」
二撃、三撃。
ヴォルフの勢いは止まらずに、続けて拳がふるわれる。
あたらない、またもあたらない。
「いくら力があろうとも、あたらなければな」
四撃目の拳を、今度のマルカはかわさなかった。
代わりにちいさく手刀がふるわれ、それによってそらされて、結局拳は空を切る。
続けてヴォルフの脇を駆け抜けざま、マルカの肘がヴォルフの背中をうちすえた。
「ぐ、くふっ」
思わずヴォルフは膝をつく。
「すごいわ、マルカ」
マルカってこんなに強かったんだ。
彼のことはちいさなころから知っているけれど、こんなふうに戦うところを見たの、ははじめてだったかもしれない。
その姿はまるで踊るように、いっそ美しくさえ見えた。
「どうした? ここまでだというのなら、反省してアンネローゼさまにお許しをいただくがいい」
「だれが、あんな小娘なんぞに!」
「どうやら、反省もできないようだな。なら、この私が処断してやろうか」
ヴォルフはわたしを見ていう。
「大体、その娘、王族だというじゃないか。王族になんてろくな奴はいないんだ」
それから、彼はマルカへ向き直る。
「なあ、あんたエレンシアの血がはいっているんだろう? ならわかるはずだ。あんたや、俺たちが差別されてきたのは、だれのせいかってことくらいはな」
「それは違う、アンネローゼさまは・・・・・・」
一瞬、マルカの気迫が緩む。
その隙に、ヴォルフは懐のなかから何かを取り出して、口のなかに放り込んだ。
「わからんというならそれでいい。もろともに叩きのめすだけだからな!!」
見る間に、ヴォルフは変わっていった。
ただでさえ大きかった身体はますますもって膨れ上がり、気がつけばその上半身はつややかな毛並みで覆われている。
そのなかでも、一番変化していたのは、首より上だ。
犬、いや、狼か。
膨れ上がった身体の上に、狼の顔がのっていた。
「すごい、なんてもふもふ」
狼の口、その端がわずか上がり、凄惨な笑みがそこに浮かぶ。
その笑い方は、さっき見たヴォルフのそれと同じだ。
「この男、獣人だったか」
マルカのつぶやきが、わたしの耳に届いた。