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38.クルトの事情(下)

腹心の部下が駆け込んで来たちょどその時、クルトは今日二本目の酒瓶の封を破ったところだった。


休みとはいえ、まだ日は高いところにある。


クルトがつくりだした平和。

その中で、彼には自由になる時間がたくさんあった。


とはいえ、クルトが酒を嗜むようになったのは、なにも平和に飽きたからというだけではない。


大盛況だった絵の展覧会から、もう一年が経っている。


出展した絵は、そのほとんどに買い手がついた。


展覧会の後に描いた何枚かも、飛ぶように売れていった。


けれど。


それだけ売れているにもかかわらず、クルトは自分の絵がどこかに飾られているのを一度も見たことがない。


絵のことを聞くと、だれもがあいまいな笑みをうかべた。


「あれほどのよい絵ですからね。下手に飾って、目垢がつくのはもったいない」

「日焼けしてはことですからな。大事にしまいこんであるのです」

「額を探しているのですが、なかなかあの素晴らしい絵にあうものがなくて」


そうして、いろいろないいわけを聞かせてくれる。

要するに、飾りたくないのだな、とクルトは気づいていた。


『英雄』の絵を買った。

その肩書きがほしかっただけなのだろう。


クルトは、あんなに好きだった絵を描くことをぱたりとやめた。

定期的に買っていた画材の代わりに、棚に並ぶ酒瓶の量ばかりが増えていった。


                  □■□


「閣下、これを」


部下はあれた息を整えながら、なにかの書かれた紙片を差し出した。

クルトの酒に歪んだ視界には、小さすぎる字ではある。


「クルト大将軍を、シタニア教国より追放する、とあります」


読み上げた部下を見上げながら、クルトは嗤った。


「そりゃまた、急な話だな」

「罪状は国家財産の私的流用。これがなんとも」


もう一枚の紙は先ほどよりも大きく、長い。

そこには、クルトの罪状が、ずらりと書き並べられている。


「なんだこりゃ。新兵時における、糧食の横領? まさか、チョコレートを一枚くすねたあれか?」


書いてある罪はほんとうにさまざまだ。

くだらないモノ

いいがかりのようなもの

あきらかにクルトの罪ではないもの

クルトはそれらを、半笑いで読み上げていく。


ところが、ある一点で、彼の笑いがひきつった。


『公共施設を使用しての私的展覧会の開催、及び美術品の押し売り』


放り投げた紙片を、部下があわてて拾い上げた。


「つまり、陰謀というわけだな。それで?」

「来週の御前会議にて、内務卿より提出されるようです」

「内務卿が? そうか」


クルトは、内務卿のまるまるとした顔を思い浮かべた。

生まれの良さばかりを鼻にかける、いけすかない奴だ。

平民の出ながらあっといまに出世して、自分に同等の口をきくクルトのことを、蛇のように嫌っている。


「しかし、来週とは。もうそこまで進んでいるのか」

「うかつでした。議員の半数は、すでに抱き込まれているようで」


クルトは部下を責める気にはなれなかった。

なにしろ、他ならないクルト自身が、平和ボケに毒されつつあったのだから。


「そこまで周到にやられたか。後ろにいるのは、帝国か?」


そもそも、内務卿はプライドだけが高い男だ。

英雄であるクルトに罪を着せ、追放する。

そんな大それたことを、実行できる器ではない。


「どうやら、それが当たりのようです。あきらかに不審な金の流れがあるとのこと。なのですが・・・・・・」


その資金の流れを暴くには、来週まででは時間が足りない。

そう、部下はいった。


「それにしても、お優しいことだな。一つひとつは軽微な罪でも、なにしろこの数だ。俺を三度死刑にして吊しても、おつりが来るだろうにな」

「さすがに、『救国の英雄』を死刑にするのは、ためらわれたのでしょう」


部下は、急に居住まいを正した。

「閣下。私をはじめ皆は覚悟ができております。救国の英雄に対してこの仕打ち。もはや我慢がなりません!!」


決起を、と彼はいった。

クルトに叛乱を起こせと、そういったのだ。


「どのくらい、同調してくれるんだ?」

「はい、教国軍三分の一。その数は必ず閣下にしたがうでしょう」

「三分の一、か」


それだけあれば、とクルトは思った。

勝てる、だろうな。


なにしろ、率いるのはクルト自身だ。

敵の数が倍ならば、手応えがあってちょうどいいくらいだろう。


だが、勝ったところで、どうなるというのだろう。


「俺からいえることはひとつ。はやまるな、だ」

「ですが!!」

「内務卿の後ろにいるのは帝国なのだろう? ならば、俺が叛乱を起こして身内同士で戦って、喜ぶのは帝国だけだ」

「では、みすみす追放されるおつもりか?」


クルトは、持ったままになっていた酒瓶を一気にあおった。


「なに、殺されはしないのだろう? ならばいいさ」

「しかし、閣下なしでは教国はいずれ……」

「おまえたちがいる。そして内乱が起きねば、兵は温存されるからな」


言葉の通り、クルトは部下達のことは信頼していた。

たとえ彼がいなくても、持ち堪えられはするだろう。


「そうと決まれば忙しくなるぞ。来週までに引き継ぎを済ませておかねばな」

「閣下……」

「なに、そんな顔をするな。大変なのはおまえたちなのだからな。俺は少し、長めの休暇をとるだけだ」


放浪の画家、そんな肩書きも悪くない。


浮かび上がったその軽口で、クルトは湧き上がってくる黒い感情を抑え込んだ。





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