37.クルトの事情(上)
「みなさま、長らくお待たせいたしました。『英雄』クルト大将軍閣下の登壇であります」
司会の声に押し出されて、クルトは備え付けられた演台を上る。
教国一の美術館。
そのメインホールは人、人、人でうめつくされている。
「えー、あー、本日はお日柄も良く・・・・・・」
からはじめた当たり障りのないスピーチは、つまらないことに関してだけは自信があった。
あったのに、クルトが話題を変えるたび、人々ははいちいち頷き、笑い、大きく拍手を響かせる。
「なんと素晴らしいスピーチなのだ」
「さすがは将軍。分析が的確だ」
「明日の天気にそれだけの意味を見いだすとは。やはり将軍は我々とは視座がちがう」
最後の方では、感動して目頭をおさえているのもいて、クルトはため息をつきたくなった。
まあいい。悪いことではないからな。
そう自分を納得させながら、クルトはスピーチを閉じる。
「それでは挨拶はこのくらいにして、以後はわたしの絵を楽しんでいってください。なにしろ売るほどあるのですから」
□■□
絵を描くのが趣味である、とはじめて人に告げたのは、確か戦勝インタビューの記者かなにかが相手だったか。
どこでどう間違ったのか、そこから話は次々に転がっていった。
いつのまにかクルトは、この歴史ある巨大な美術館で、自作の絵の展覧会を開くことになっていたのである。
幸い、描きためたものだけはたくさんあった。
気後れをしないではなかったけれど、
『皆が大将軍の絵を見たいのです』
などとおだてられれば、クルトも本気になるというものだ。
「どうです? この絵は」
難しい顔をしながら、絵を眺めている初老の男に声を掛ける。
振り向いた彼は実に微妙な表情をしていたが、声を掛けたのがクルトとわかると、ぱっと顔を輝かせた。
「おお、大将軍閣下。なんとも素晴らしい筆運びに、感動してたところです」
「ほう、お気に召していただけましたか。それで、どのあたりが?」
男は一瞬言葉につまって、それから絵の一部分を指さした。
「この赤いところがとくにいいですね。これは、鳥ですかな」
「いや、それは蜘蛛のつもりです」
クルトは教国ではメジャーな蜘蛛の名をあげた。
「おお、ん? んんん? な、なるほどそうですか。いや、もしかしたらそうではないかとは思っていたのですがね」
男はいくつかいいわけを並べた。
「絵の素晴らしさはこれくらいにして、それより閣下、戦の話を聞きたいですな」
またか、とクルトは思う。
正直なところ、彼はうんざりしていた。
戦争の話をさせられるのも、
絵のことを褒めそやされるのも、だ。
本当に、絵のことをいいと思って褒めてくれるのならば。クルトだって喜んだだろう。
だが、この場にいるほとんど誰もが、彼の絵をいいとは思っていないようだった。
そのくらいは、表情から察することが出来る。
「どうしたのですか? お加減でも?」
「いえ、少し空気に酔ってしまったようです」
「それはいけない。医者をお呼びしましょうか?」
いいながら、男の顔には落胆の色が浮かんでいる。
仕方ないか、とクルトは思った。
せっかく、絵描きとしての晴れ舞台だ。
少々道化になるくらい、どうということはない。
「いや、結構。それで、なにからお話いたそうか」
男の顔に、喜色が満ちた。
□■□
大将軍という地位にいながら、クルトは戦など好きではなかった。
好きな絵を描いて暮らしていきたい。
常々そう思っていたのだが、状況がそれを許してくれなかったのだ。
軍にはいったのは、ひとつに金。
ふたつ目は、教国ぜんたいが戦争へと突入する、そのまっただ中にあったからだ。
若くて健康だったクルトに、実のところ、ほとんど選択肢はなかったのだ。
大陸最強。
当時からそういわれていた帝国と、クルトの生まれたシタニア教国とは、昔から折り合いが良くなかった。
帝国が大陸最強なら、シタニアも南に著名な大国である。
クルトが軍にはいったちょうど次の年、両国の火蓋は切って落とされた。
それから大将軍になるまでに、クルトは三度、帝国と大きな戦いを経験している。
新兵として参加した一度目は、なにも出来ないまま部隊が壊滅し、生き残ったのはクルトひとりだけだった。
部隊長として参加した二度目には、見事浸透突破をなしとげて、帝国将軍の首をひとつ、あげて大きな手柄とした。
将軍として参加した三度目で、誘い込んだ帝国軍を完全包囲し、さんざんにやっつけたのは語り草だ。
そして四度目。
『救国の英雄』などと呼ばれ、大将軍に抜擢されたクルトが率いる教国全軍。
前回とは比較にならないほどの大軍を、投入してきた帝国軍が相手である。
苦戦は必至。
誰もがそう考えた大戦は、かつてないほどの大勝利を、教国にもたらした。
結果、帝国は教国に賠償金を支払ったうえ、不可侵条約を結ばされるハメになる。
クルトを前に、帝国軍は『最強』の看板を下ろさなければならなかった。
つまるところ、クルトには戦の才能があったのだ。
帝国軍が呼びはじめ、たちまち教国軍の間にまで広がった『毒蛇』という彼のふたつ名。
そのふたつ名と同じくらい、クルトにとっては、うれしくもない才能ではあったが。




