34.わたしとリットくんと
何個もの鞄に、めいっぱい詰め込まれた金や宝石。
あれだけの財宝があれば、リュミエールは何年にもわたって潤うだろうな。
毎日3食、国民全員が甘いものをたべたって、まだおつりが来そうなほど。
けれども、考える必要さえないのだった。
わたしがどうするべきか、なんて決まっている。
そして、それは、お父さまもおなじだったみたいだ。
「使者どの」
「なんでしょう、陛下」
「即刻、鞄の蓋を閉じてお帰りいただきたい」
「おや、いらないとおっしゃる? それは実にもったいない」
お父さまは、立ち上がって宣言した。
「先ほどもいったように、リットはもう、リュミエールの民である。たとい財物を山と積まれても、わが国民と引き換えるにはとうてい足りぬ。そうここえろえてもらいたい」
いわれて、ルイは身体を震わせわせた。
怒っているのかな?
いえ、あれはむしろ・・・・・・
「聞こえませんなあ」
彼は、身体を震わせながら嗤っているのだった。
「使者どの。さすがに無礼であろう」
お父さまがそういったけど、ルイは嗤うのをやめなかった。
「ところで陛下、私は今でこそ、外交官の格好などしていますが、国もとでは一軍の将を拝命しておりましてな」
「それがなにか?」
「いやなに、こう見えて私もなかなかに部下に慕われているのです。わたしがお国を訪れるとききつけた部下どもの一部が、私の後を追って、ついてきてしまっているのですよ。
ざわ
謁見室にざわめきが広まっていく。
帝国軍が、近くまできている?
大陸最強
帝国軍がそう呼ばれていたこともあるって、わたしでも識っている。
リュミエール王国にも、一応軍隊はある。
でも、その差はすっごく大きいはず。
大人と子ども。
いいえ、そもそも比べることすら嗤われてしまうかも。
「使者どのは、軍を率いて来た、と?」
「いえいえ、ただの私兵のようなものですよ。しかしですな、もし、私がリットを連れ戻すという任務に失敗し、皇帝陛下のおしかりを受けるようなことにでもなれば・・・・・・」
ルカは嗤いを止めた。
「リュミエールを逆恨みした兵たちがどうなでるかは、私にも保証はできかねます。彼らの重すぎる愛。私も持て余すほどでして」
「それは、脅しているのかね」
お父さまの低い声に、ルカはふたたび笑みを浮かべた。
「まさか、そんな。私は臣民であるリットの一刻も早い帝国への帰還と、リュミエール王国のさらなる発展を願うばかりでございますよ」
お父さまは押し黙って、椅子に深く腰掛けた。
お父さまの気持ちは痛いほどわかる。
ことがリットくんのことだけでなく、リュミエール王国ぜんたいに関わるとなったなら、簡単に返事はできないだろうから。
「あの!!」
突然、お父さまのうしろから、よく通る声が響いた。
「僕、行きます。帝国へ!!」
リットくんが、一歩踏み出してそういった。
「いけない、それは・・・・・・」
止めようとするお父さまに、リットくんは深々とお辞儀する。
「いいんです。僕が行けばすむ話なんですから。それに、お世話になったリュミエール王国の方々に、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないです」
「しかし、」
お父さまは差し出した手をさまよわせた。
「王様、いままでほんとうにありがとうございました。この国に来てから僕、ほんとうに楽しかったんです。必要とされてうれしかった。だから、ひとつだけお願いがあります」
「・・・・・・なにかな」
「アンネローゼさまにお伝えください。僕のことなんか忘れて、どうかお元気にって」
リットくん!!
わたしは思わず、カーテンの影から飛び出そうとした。
その腕を掴んでとめたひとがいる。
「やめておけ」
「え? クルト?」
絵描きの彼が、なんでこんなところに?
どさくさにまぎれて、ついてきてしまったのだろうか。
「姫君に背負いきれる話じゃない」
「そんなのって・・・・・・」
そうこうしている間に、リットくんはお父さまの手をすり抜けて、ルイの前へと歩いていく。
「おお、これは愁傷なこころがけ。帝国臣民たるもの、こうでなくてはね。おい、やれ!」
なにかの指示が、まわりの兵たちへと下された。
ルイの元に、なにか差し出されたのが見える。
「それは?」
「ああ、高貴な方々には見覚えのないものでありましょうな。これは、奴隷紋の魔法書でございます」
「奴隷? いったい、なにを・・・・・・」
「今後、ふたたびこの者が他国にわたるようなことがあっては困りますからね。早々に処置させていただこうかと」
ルイの指が、魔法書の上で素早く動いた。
たちまち、それは光を発しはじめる。
「うう、ぐ、ぐ」
リットくんの首のあたりを囲うように、どす黒い紋様が、宙に浮きあがっている。
それ以上に、彼はとっても苦しそうだった。
「貴様、やめろ、やめないか!!」
お父さまが声を荒げた。
あのおやさしいお父さまには、ほんとうに珍しいことに。
けれども、
「口出しはな用に願いますよ。既にして、リットはわが帝国臣民であります。もし手出しなされるようなことでもあれば、それすなわち、帝国への攻撃とみなします」
踏み出そうとしたお父さまの足がとまる。
紋様は、徐々にその範囲を狭め、リットくんの首へと近づきつつあった。
「では、仕上げと参りましょう。痛いですが、死ぬようなことはないそうですよ」
ルイの手が、ふたたび魔導書の上を奔った。
「うぅ、熱、い・・・・・・」
「大丈夫です。私は熱くも痛くもありません」
そういうと、ルイはリットくんに向けて、大きく掲げた魔導書を振り下ろ・・・・・・
どん、と
音がして、バランスを崩したルイがもんどりうった。
手からは魔導書がこぼれ、謁見室の床を転がる。
急に、横合いから突き飛ばされたのだ。
やったのは、
わたし、だ。
「ふざけないで」
自分の身体から、こんな声が出るなんて。
びっくりしながら、それでもわたしはとまらない。
「一度は不要と放りだしておきながら、いざ必要となったからってこの仕打ち、こんなの、ゆるされるわけがないじゃない」
「だから、間違いだといってるんだ!!」
無様をみせた怒りからか、ルイの貌から余裕の笑みが剥がれ落ちている。
その後を、彼が続けるその前に、わたしはリットくんの手をとって胸元へぎゅっと引き寄せた。
「そんなの、もうぜんっぜん『遅い』のよ。
リットくんはもう、わたしたちと楽しく暮らしてるんだから」




