27.甘いものとわたし
「これは、なんといえばいいか……」
イーゼルに立てかけられたキャンバスを前にして、マルカは難しい顔で見入っていた。
「馬、ですかね、これは?」
「それは木だな。それと蝶だ」
「蝶?? それは失敬……」
首をかしげるマルカに、ヴォルフがとってかわる。
「なんだあ? こりゃ、子どもの落書きかい?」
「馬鹿、そんなわけないだろう。しかし、これは難解な」
はっはっは、とクルトが笑う。
「なに、どのように見てもらっていいのだぞ。どう感じるかは受け手の自由だ」
みんながやいのやいのと騒がしい中、わたしはじっくりと絵にむきあっていた。
「森の中の花畑。蛇。それにこれは……女の子かしらね」
「え、女の子? どこでしょうか」
「まさか、この赤と白の点々みたいなこれか?」
マルカにヴォルフが、顔をくっつけるようにして絵に向かう。
「もう、違うわ。そっちは花畑に迷い込んだ蛇で、女の子はこっち」
「はは、まさか!! それはただの描き間違いの染みかなんかじゃないのか?」
くつくつという笑い声が、後ろから聞こえた。
「ほう、姫君にはおわかりになるか」
「ええ、おもしろい絵よね。気に入ったわ」
「それは重畳。では、もらっていただけるので?」
「ありがとう。さっそくお部屋に飾らせてもらいます」
「まさか、このようなところで、我が芸術の理解者に巡り会えるとは……」
クルトは満足そうに頷いた。
わたしも、こんなに凄い絵を描くひとに出会えてうれしくてたまらない。
「おい、わかるか? 姫さまは女の子だっていってるが」
「いや、全然わからん。しかも蛇だと? まさかこれがか?」
わたしとクルトさんががっしりと握手するうしろで、残りのふたりはいまだにやいのやいのと騒いでいた。
□■□
「では、絵の完成記念に」
クルトはそういって、酒瓶のふうを切った。
「どうだね? 姫君も一杯、いかがかな?」
わたしはもちろん首を振る。
「ご遠慮させていただくわ。そうね、もし甘いものがあるならいただきますけど」
「あいにく、そういったものは置いていないな」
ちょっとだけの期待がかなわなかったので、わたしはちょっとだけしゅんとした。
「なんだ? そう失望することもあるまいに」
クルトは不思議そうな顔をして続ける。
「小国といえども姫君であらせられる。お城へ帰れば甘いものなぞ食べ放題なのであろう?」
「そうだったら、いいんだけどねぇ」
「違うとでも?」
隣で控えていたマルカが、こほんと咳払いしてみせた。
「アンネローゼ様はこのふた月、お城では甘いものを召し上がっておられないのだ」
「ほう、それはまた、どうしてだ?」
たいして興味もなさそうにクルトが聞く。
「どこのどなたかに、アトリエなどを差し上げたおかげで、だ」
お椀に酒を注ごうとしていたクルトの手が、ぴくりとととまった。
「ちょっと、マルカ。それはいわないのがお約束ってものでしょ?」
「しかし、アンネローゼ様」
クルトはアトリエの中を、ぐるりと見まわした。
「ヒマを持て余した、貴い方の道楽、だと思っていたのだがな」
「貴様」
「いいのよ、ごめんなさいね、クルト。こんなにボロっちい小屋みたいなところしか、用意してあげられなくて」
クルトは、じっとわたしを見つめた。
「なぜ、こんなことをする?」
わたしは口籠もった。
まさか、前世の話をするわけにもいかないし。
「甘いものが好きなのだろう? ならば毎日毎食、食べればいいのではないか? それが出来ぬような立場でもあるまい」
むむむ。
とわたしは眉根をよせた。
甘いものを毎食いただく。
それに関しては、考えたことがないではないのだ。
だから、わたしは口を開く。
「そうね。そうしたいって、思ったことは何度もあるのよ」
「ならば、なぜだ?」
「どんなに大好きなものでも、ひとりきりで食べると、あんまりおいしくないのよ」
「ふむ?」
わたしは、けさがたのお父さまとお母さまを思い出していた。
今日だけじゃない。
昨日も、その前も、わたしがもの心ついたときから、ずっと。
いえ、それより前。
転生した直後のことからだろう。
お食事はいつも、お父さまとお母さま。それからわたしの3人いっしょにいただいてきた。
それは、転生前には考えもしなかったことだった。
豪華に飾り立てられた食堂で、豪華な食材でつくられた、食べきれないほどの豪華な食事をすこしだけ。
それが、私のあたり前だったのに。
「みんなでいただくお食事は、とってもおいしいんだって、識っちゃったのよねえ」
だから、とわたしは続けた。
「国中のみんなが、おいしいお菓子を好きな時に好きなだけ。食べられるようになったらいいなって、そう思ったのよ」
リュミエールは貧しい。
残念だけど、1日3食、食べられないひとだってまだまだいるのだ。
ましてや、甘いものなんて。
「みんなが好きなだけ食べられるようになったのなら、わたしも遠慮せずに甘いものをいただくわ」
それまでは、とわたしは続ける。
「少しばかり我慢することがあったって、それがなによって感じじゃない?」
「そうかな? いや、そうなのだろうな」
「みんなの中には、追放者のみなさんだって入っているのよ。クルト、あなたもね」
「なるほどな。これは恐れ入った」
クルトはくっくっと笑っている。
いつもの皮肉めいた笑いとはちがい、なんだか本当に愉しそうだ。
「そのときはクルトもいっしょに、お菓子をたくさんいただきましょう」
「あいにく、甘いものは苦手でね」
笑いながら、クルトがいう。
「え、そうなんだ……」
「だが、そのような時がきたら、必ずご相伴にあずかろう」
いって、クルトは酒瓶の栓を締め直した。
中身は、まだ一滴も注がれていないのに。
「あれ? お酒は飲まないの?」
「なに、そのときには、甘ったるい口の中を濯ぐものが必要だろうからな。酒はその時までとっておくさ」
「ふうん」
そんなに苦手なら、ムリして食べなくてもいいのにな。
不思議そうな貌のわたしを見て、クルトの笑い声が、ますます大きくなっていった。




