26.酔いどれ画家の、クルトさん
「狭くて申し訳ないが、ま、自由に掛けていただこう」
男、クルトは雑多に積まれたものを退かして、わたしたちを迎え入れた。
彼自身の外套に新聞、湯飲みなどが紛れてはいるけれど、
散らかっているものの多くは、あるひとつの目的のため、集められたふうにみえる。
というか、それらの大半を集めたのは他でもない、わたしである。
「ん? なんだ、おまえら座らんのか」
よいしょっと腰掛けたわたしの左右に、マルカとヴォルフ。
ふたりともちょっとだけ渋い貌をしているのは、クルトに待たされたからだろうか。
まあいい、といいながら、湯飲みに残った中身をひとくち。
とん、と卓の上に置かれた酒瓶に映るクルトの顔を、わたしはみるともなしに眺めていた。
マルカやヴォルフよりもひとまわりは年上だろうか。
はじめて会ったときとは違い、お髭もきちんと整えられてはいるみたい。
「いやなに、描きあがった記念にね、引き渡した後久々に空けてやろうかと。大丈夫。あれから一滴も呑んではいませんので」
わたしが酒瓶に気をやっているのに感づいたか、クルトは頭を掻きながらそういった。
「よかった。安心したわ」
「誓って、約束を違えるようなことはいたしませんとも」
そういって頭をさげる様子は不思議と優雅にさえみえる。
やっぱり、なんだか前とは別人みたいだ。
クルトとはじめて出会ったのは、リュミエール王国で一番おおきな酒場の隅っこ。
毎日のように飲んだくれている追放者さんがいるって聞いて、どういうこと? って訪れたわたしたち。
ほとんどはなしもできないほどに、ぐでんぐでんに酔っ払ったその男。
彼が完全に酔い潰れ、眠り込んでしまうその前に。
クルト、という名前と、
「絵。そう、そうだ。かつて私は絵描だった、というわけだな」
それをわたしは、聞き出した。
「お絵かきの道具を、用意したらいいのかしら」
「足りんな。絵描きたるもの、アトリエのひとつも構えなければ。ま、贅沢はいわんがね」
クルトを運び込んだ『追放者さんたちのおうち』のなかで、二日酔いに顔をしかめながら彼はいう。
「わかりました。なんとかしてみましょう」
「本気か? こんな馬の骨ともわからん男に」
一緒にいたマルカやシエラが止める前に、クルトは自分で自分を指して、そう続ける。
「追放者さんには、できるだけのことはしたいと思っているのよ。まかせて!」
胸をはってみせたわたしに、クルトは驚いたようにふっと笑った。
お父さまにお願いし、半年分の食後の甘い物とひきかえに手に入れた、町外れのちいさな小屋。
それをアトリエと言い換えてクルトにプレゼントしたその時にも、彼は同じように笑っていたっけ。
「お礼に、はじめての作品は貴女に献上いたしましょう」
いろいろと忙しくしていたものだから、あっという間に時間は過ぎた。
『アトリエまでお越しください』
届いた手紙にさそわれて、やってきました今日この日。
実のところ、わくわくがとまらないわたしである。
生まれ変わるその前から、わたしは絵というものが大好きだ。
過去世、王宮から外に出ることのなかった私にとって、絵は『そとのせかい』を教えてくれる大切な存在だった。
私のために、たくさん描かれた肖像画も悪くはない、のだけれど、
そのなかに少しだけ紛れ込ませた風景画。それからそれから、動物さんや、名も無いふつうのひとを描いたものとか。
あれはとってもよいものだ。
いまは自由に出歩けるけれど、
絵は別腹、みたいなもので、好きってことに変わりはない。
「それで、例のものはどこかしら?」
好きを表に出さないよう、わたしはちょっとすましてそういった。
「それでは、ご案内いたしましょう」
クルトは立ち上がって、わたしを部屋の奥へといざなった。




