23.エリィの事情(下)
「ひとつ、よろしいですかな? 隊長殿」
エリィの言葉に、ルイはふ、と笑みで応えた。
隊長に向かって小さく手を挙げ、よく通る声がそれに続く。
「は、もちろんです。閣下」
びく、といっそ怯えるように場所を譲った隊長の態度が、両者の力関係を表している。
そうして、ルイがゆっくりと口をひらいた。
「帝国としては今の決定に異存ありません。使用人に慈悲をあたえてやる主、そういう話があってもいいでしょう」
隊長があからさまにほっとした貌を見せた。
「マリア様に関しては・・・・・・」
エリィは祈るように、ルイの次の言葉を待った。
「当然、皆様方の判決を支持いたしますよ」
「そんな!」
と、あげたエリィの声は、誰にも届かず、黙殺される。
「ま、こちらとしては、何でもよいのです。皇帝の血に、薄汚い庶民の血が混じるようなことがなければ、ね」
思わず立ち上がりかけたエリィの肩が、兵士のひとりに押さえ込まれた。
「まったく、わが皇子にも困ったものです。難儀な主を持つと、苦労しますな」
と、ルイはにやり笑った。
この男は!!
エリィに睨まれても、ルイは表情のひとつも変えない。
マリアの命を救う。その希望が断たれた瞬間だった。
「さて、貴様らへの処分であるが、」
怒りで頭の中を赤くするエリィに、とってつけたような隊長の声が届いた。
「貴様らは追放処分。追放者として、国外への強制退去を命じる」
「え、追放?」
「そんな、酷い」
「追放だんて、死刑とほとんどかわらないじゃないか!!」
「・・・・・・追放」
あたりがふたたびざわめきはじめる中、エリィも口の中でその単語を転がした。
追放者。
エリィたちの国でも、追放者に対する扱いは酷いものだ。
まともな仕事になんて就けないし、人間あつかすらされないほどの差別を受け、常に追い立てられる、そんな立場。
「追放になるくらいなら、マリア様といっしょに死刑になった方がましよ」
そんな声すら聞えてくる。
貧乏所帯とはいえ、仮にも王族の元ではたらいていた自分たちが、追放のような屈辱に耐えられないという気持ちはエリィにもわかる。
エリィは怒りのあまり、後が残るほど強く握りしめていた手を、ゆっくりほどいた。
マリアさまにお化粧をしてあげた手。
追放者になれば、その化粧師という仕事にだって、もう一生就けないかもしれないのだ。
それでも、
エリィは五本の指をとじたりひらいたり繰り返しながら、
その手を握ってくれた、マリアの手の感触を思い出していた。
細く、頼りない、まるで彼女をそのままあらわしたようなあの手のことを。
連行され、まわりに誰ひとり味方してくれる者もいない中、どんなに心細かったか。
「それでも、私たちの命を購ってくれたのですね」
胸の中に、その手をしっかり抱くようにして、エリィは思った。
ならばこの命、最期まで無駄にはいたしません。
ルイという帝国将軍にも、それから隊長や兵士たちにも、彼女の表情をうかがい知ることは出来なかった。
□■□
「終わったわよ。お姫様」
いわれて、アンネローゼが手鏡で自分の顔をしげしげと眺め回した。
「ん、え、あれ?」
不思議そうに、鏡を見つめている彼女。
「ほんとに、苦労したのよ。きにいっていただけたかした?」
その言葉とは裏腹に、エリィはほとんどアンネローゼの顔に手を加えてはいなかった。
エリィが考案したナチュラルメイク。
その極限。
かわいさあふれるアンネローゼにはぴったりのやりかただ。
アンネローゼはちょっとだけ納得がいかないように、鏡の中を見るのをやめない。
まるで、自分の中にあるなにかと、引き比べているみたいだ。
-普段は天真爛漫を絵に描いたような方なのに。
そういう時のアンネローゼは、どこか影のようなものをまとっていて、エリィはそれが不思議だった。
-あの方とは、ちっとも似ていない、だなんて思っていたけれど。
国を追われてからのエリィの労苦は、思い出すだけでもキツく、厳しいものだった。
そんな彼女を拾い上げ、もう二度と出来ないと思っていた化粧師の仕事をあたえてくれたアンネローゼには、感謝してもしきれない恩がある。
-でもそれ以上に、お可愛くていらっしゃるのよ。
ひとしきり鏡を眺め終えてから拳を握ると、アンネローゼはふんすっと立ち上がった。
まるで、 自分にまとわりつく影を、振り払うかのように。
-まもりたい、あの笑顔、なーんてね
エリィは心の中でそう独りごちてみせながら、
しっかりと右の手を握りしめていた。




