21.エリィの事情(上)
「私と、踊っていただけませんか?」
差し出されたその手をとるまでに、彼女にはいくらかの時間が必要だった。
「よろこんで」
瞬間、あたりからにざわめきが広がっていく。
「おお、アレン皇子が今宵のパートナーをきめられましたぞ」
「なんと、それではあのお方が?」
「ああ、ゴルドー帝国第二皇子、アレン様だ」
「あれがか。なんでも文武二道に達し、皇帝の覚えもめでたいとか」
「次代の皇帝はアレン様だと、帝国内ではもっぱらの噂だとか」
「わが国王も、今のうちから媚びを売っておこうと、そういう腹なのだろう」
「なるほど、それでこの宴か・・・・・・」
周囲の雑音など意にも介さず、アレン皇子はどこまでも優雅に踊っている。
そうして、誘われた姫のほうもまた、彼の動きによく応えた。
舞踏会の主役がふたりであることは、誰の目にもあきらかだった。
「しかし、あの方はどなたなのだ? アレン様のお相手をしている・・・・・・」
「なんと、お主もしらんのか。可愛さの中に気品がある。あのようなお方には、儂もとんと見覚えがない」
「わが国の姫様方ならば・・・・・・」
男たちはそういって、ホールをぐるり見回した。
はたして、アレン皇子たちから少し離れたその場所に、彼を見つめる視線が三組。
そのいずれもが美姫とたたえられる、この国が誇る三人の王女たちだ。
皇子と、そのパートナーをみつめる目は、そのいずれもが濁って燃えているようにもみえた。
「あの方は、マリア様ですわ」
男たちに、よこあいから声がかかる。
飲み物を持った盆を抱えた、給仕の女だ。
「マリア様? それはどなただ?」
「馬鹿。マリア様といえば、第四王女殿下であろうが」
「しかし、わが国の王女様は三人ではなかったか? ほれ、あそこにいらっしゃる・・・・・・」
「四人なのだよ。もう一人、王が庶民に生ませたとかいう、」
「ああ、そういえば聞いたことがあった。しかしあれが?」
「しかし、なんとも可憐な」
「あれでは、三人の美姫様方も、かたなし・・・・・・おおっと」
誰かに聞かれてはいないかと、男たちはあたりをみまわした。
さいわい、あたりには彼らの戯れ言に耳を傾けているものは誰もない。
先ほどの給仕も、もうどこかへいってしまった後だった。
「よろしければ、次の舞踏会でもご一緒していただけませんか? ですって」
「すごいじゃない。やったわね」
舞踏会に潜り込むため、こっそり拝借していた給仕の服を脱ぎながら、エリィは応えた。
「ほかにはほかには? なにかおっしゃっていなかったの?」
「あなたのようにお可愛らしいかたは、はじめて見た、ですって」
ま、と驚いて見せるエリィ。
「今まで生きてきて、あんなにうれしかったことはなかったの」
頬を真っ赤に染めながら、マリアは顔を上げて彼女を見た。
「ほんとうにありがとう。エリィ」
そういうと、マリアは立ち上がってエリィに抱きついた。
「なにいってるの。あなたが幸せになるのは、これからじゃない」
速くなる鼓動に気づかれないかとどきどきしながら、エリィはそういってマリアの頭をふわりとなでた。
□■□
女の子なら誰もが抱く『可愛いものが大好きだ』っていうあの感情。
まわりの女の子たちよりも、それがちょっと、いいえ、だいぶましましなんだっていうことに、やっとのことで気がついたちょうどその頃。
エリィは化粧師になっていた。
可愛い子をますます可愛く輝かせる、お化粧術。
独自に編み出したその技術は、けれど見向きもされなかった。
雇い主候補のえらいひとたちは、庶民階級のエリィなど見向きもしなかったし、
そも流行の厚化粧とはかけ離れた彼女の技術を、必要としてくれる者もなかった。
「あまり、お支払いはできないのですけれど」
そうすまなそうに目を伏せるマリア様と出会えたのは、いくつもの幸運が重なったからか。
それとも、エリィの可愛いもの好き一念が、なにかに勝ったからだろうか。
「まかせてください、マリア様。あなたを誰よりも輝かせてみせるわ」
「いいのよ。私がお姉様方より目立つわけにはいかないのだもの」
なるほど、とエリィは思う。
目立ちたくない、というマリアにとって、必要以上に塗りたくらないエリィの化粧術。
それがちょどよかった、ってところなのかも。
「わかりました。では化粧の盛りは控えめに・・・・・・」
なんていってはいたけれど、エリィにとってもその依頼は、まさに願ったり叶ったりだ。
まさに彼女が腕を振るうに、うってつけの相手。
それが目の前にいる第四王女なのである。
可愛さに全振りしたようなお顔に、少女のようなみずみずしい肌質。
そこにエリィが腕を振るった結果が・・・・・・
□■□
「うんうん、いいじゃない。これにしましょ」
マリアの用具箱を隅までさらって、エリィが見つけたチークの小瓶。
この前つかったものよりもほんのりと明るい色だ。
今回は皇子から誘われたのだから、ちょっぴり派手でも問題なかろう。
エリィは、このところ日に日に明るく華やいでいくマリアの顔を思い浮かべながら、そう思った。
「アレン皇子、様ねえ」
帝国第二皇子にして、あの見目麗しさ。
マリアでなくても、世の女子どもが放ってはおかないだろう。
例外は、可愛いもの以外眼中にない、エリィくらいのものだ。
「それでも、マリア様のお相手にはまだまだ不足」
むしろ、うらやまけしからん。
「だなんて、思っているわけではないけれど」
そうひとりごちながら、エリィは立ち上がった。
次の舞踏会に向け、まだまだ用意して追いたいものは数多い。
王宮から呼び出しがあったとかで、数日家をあけているマリアがかえってくるまでに、
おおよそのことはすませておきたかった。
そうして忙しくしていたので、エリィは気づいていなかった。
屋敷、とはお世辞もいえないほどのマリアの棲む小さなお家。
そのぜんたいが、冷たい空気に包まれていることに。




