6話:三井夫妻に子供
次に、披露宴会場へ入り、各テーブルを回り挨拶して、歌や余興が行われ、両親への挨拶で新婦が涙をながし、1時間半で終了し、若者だけで2次会へ参加して、夕方16時には、ホテルに戻った。
その後、修善寺の三井家の物置部屋になっていた部屋の改築を友人の大工2人に依頼して廃材の中から程度の良い木材を探し板張りの8畳の部屋を3つこしらえてもらった。そして、電化製品、冷蔵庫、クーラー、テレビ、炊飯器、洗濯機、お風呂とトイレを入れ、総額300万円で作った。建設資金は、賢治がローンを組んで支払った。結婚して元気な夫婦だった事もあり5月、おめでたとわかった。
出産は、10月29日と解った。暑い夏には、奥さんは、汗をふきながら、部屋を歩いていた。そして、奥さんのために低めのベッドを買った。そして、あまりに大きくなるお腹を見て、双子じゃないのと、三井賢治の母が言った。奥さんが、検診の時に聞くと、その可能性が高いと説明した。やがて涼しくなり、1998年10月29日、男女の二卵性双生児を出産した。
「しかし、奥さんは妊娠中であり、気がたっていたので、投資の事は等分、秘密にしておこうと考えた」。
後日、男女の二卵性双生児の長男を三井一郎、長女を三井早苗と名付けた。あまり、大変そうに見えたので、三井賢治が、奥さんに銀行を退職しても良いと言うと、わかったと言い退職した。双子が生まれてから、奥さんと義理の母が汗だくで、双子ちゃんの面倒を見ていた。
三井賢治は、自宅で待機して20人の顧客から直接電話もらえれば、修理、転勤に伺うと言うことにした。そのため仕事に出かけてるとき以外、3人で双子ちゃんを見ていた。そして1998年が終わり1999年となった。その後、子供の面倒が中心で賢治が電話でバイク、車、電化製品、電気関係の仕事を電話が入るときだけ、家を出た位で2人で協力して子育てをしていた。その後、賢治の車で初詣でに行き家族の健康、商売繁盛を祈願していた。
それから、三井賢治は、アルバイトみたいに電話がかかって来たときだけ仕事に出かけて、それ以外は、奥さんの横にいた。この頃、郵便貯金が増えたのでN証券の口座に200万円を送金し証券口座を400万円にした。この夏も暑く、賢治の実の父が、見かねて、新しくエアコンを買ってくれた。やがて夏が終わり1999年10月になり、奥さんが、気分が悪いと言い、産婦人科へ行くと、おめでたですと言われ、予定日は2000年4月7日と告げられた。
しばらくして2000年を迎えた。2000年になると大きな災難が起こるという話もあったが、大きな特に事件もなかった。賢治の実の母も炊事、洗濯、掃除を手伝ってくれた。そして、一生懸命、子供の面倒を見てると時間の経つのは、はいもので、1999年は去り、2000年となった。今年も初詣で、家内安全と子供のミルク代を恵んで下さいと、三井賢治が心の中で祈った。
2000年2月22日、早朝8時半に、賢治の家にN証券の担当者から電話が入った。
「ヤフー株の気配値が16790万円と出ているので成行売りが良いのではと言われ、納得し、成行売りを指示」。
「すぐ、その後、田川さんから電話が入り、ものすごい利益をあげてるぞと言われ、成行売りを指示したと教えてくれた」。
「1999年3月26日と9月27日に2分割ずつし、合計4分割していたので、3株が12株に増えていた」。
「そのため田川さんと賢治の税引き後利益が15500万円ずつとなった」。
翌、2月23日、昼に、田川さんと賢治が近くの喫茶店で会って、成功を喜びあい田川さんが、ヤフー株をもう一度、下げ止まったところで買おうと言うと賢治が了解ですとと答えた。どの位、買いますかと賢治が聞くと、3株くらいで良いのではないかと言った。そこで500万円前後までだろうなと言った。田川が、証券会社に行って、直接、私から、担当者に伝えておくと言った。
その後、2000年3月以降、ヤフー株は、徐々に株を徐々に下げた。 そして2000年4月7日に次男が3050gで誕生し名前を三井富継「みつい・とみつぐ」と命名した。しかし、小さな子供3人なると賢治一家は、目が回るようにように忙しかった。2000年9月に入るとヤフー株が、一気に株価の下げ足を早めて、売り株数が増えて、勢いよく下げた。やがて2001年を迎えても日本株の不調は続き、特に爆上げしたインターネット関連株やハイテク株の下げがきつかった。
2001年9月4日、朝8時半に、賢治の家にN証券の担当者から電話が入った。
「最初に、私と上司の課長の2人の意見でヤフー株の現在の株価182万円、買いだろう言ったので3株を成り行き買いの注文を入れた」。
「その後、田川さんにも連絡すると3株買ったと言い、9時過ぎにヤフー株3株、買えましたと連絡が入った」。