26話:田川さんの過去とエピソード葬儀で披露
その中には、施設名、住所、氏名、役職を書いて、香典袋だけを置いて、これで失礼しますと言い、返礼品を渡そうとしても、公的な者で結構ですと辞退する人が多いのが目立った。8時半には、そういう人が多く、5列に記帳場所を用意したが、列ができたほどだった。それが、ほとんど、役所、社会福祉、商工会議所、ライオンズクラブ、ロータリークラブばかりだった。また、大きな花輪も所狭しと言う感じで並んでいた。
やがて9時になり型どおり、喪主の三井賢治が、今日は、遠いところ、亡き、田川のために来ていただい、ありがとうございますと話を始めた。田川は、18年前、伊豆の函南の結核サナトリウムで隔離入院し完全治癒して退院。その後、彼は、一人ぼっちで伊豆に身寄りもなく、バイクが壊れたと言い、私の所に来て、バイクを修理したのが最初に出会いでした。親しくなり酒を飲んだ時、入院した5年間の話をしてくれた。その話は、地元の農民、漁民たちが自分の命を救ってくれたという話だった
地元の心の優しい農民、漁民たちがサナトリウムに隔離されてる、名も知らず縁もゆかりもない、あかの他人に、自分たちの野菜、果物、コメ、魚、貝などを無償で持ってきて守衛さんに入院患者さんへ渡してと黙々と運んでくれ彼らは、命をつないだのですと言うと、涙で声が詰まった。これを聞いていた人たちは、ハンカチで流れる涙を盛んに吹いて聞いていた。そして喪主の挨拶を終えて、葬儀が始まった。
お坊さんが入ってきて、お経を唱え始めると4つの焼香台が置かれ、次々と焼香する人が現れて列に並んで、焼香を済ませていった。焼香を済ませるとすぐに帰る人も多かった。
その後、山ほどの弔電が届いていて、素早く2人で交代交代で途切れない様に発表した。総理大臣、厚生大臣、国会議員、県会議員、市会議員、有名人、商工会議所、ライオンズクラブ、ロータリークラブからも届いていた。
お坊さんの読経が終わり、焼香も終わったのが、始まってから90分後だった。その後、ご遺体を荼毘にふしますので、参列者の方は、精進落としが、用意しておりますので、食堂で、お待ちくださいとアナウンスが流れ、食堂へ向かった。食堂へ行くと、三井賢治の所へ、多くの人が、挨拶しに来て、喪主のスピーチ、感動的だったよとか、田川さんってすごい人だったのですねとか、言う人が多く三井賢治の席に来た。
中には、こんな田舎に、多くの新しい大きな老人施設ができるなんて、不思議だなと思っていたが、東京の方から大勢の恵まれない介護の必要な老人を受け入れていたのかととか、初めて知って驚いたという地元住民が多かった。でも、資金繰り大変でしょうとか、どうやって、金を作ったとか、聞かれて、返答に困り、三井賢治が、多く地元の皆様のおかげですとだけしか言わなかった。
やがて、午後になり骨拾いの儀式となり、その役を三井賢治と内縁の妻、東出さんが、執り行い、骨壺に収めて、三井賢治が、その壺を抱えて、奥さんと東出さんも一緒に三井家の菩提寺に向かった。一緒に、お寺まで行く人は20人いて、車に分乗して、移動した。墓に骨壺を安置して、そのお墓参りが次々と行われた。空は、全くの晴天で、田川さんの背負ってきた荷物を全部おろして、晴れ晴れとした表情のように感じられた。
そうして14時過ぎ、葬儀がすべて終わり三井賢治と東出さんが、皆さんに、お礼の挨拶をして、葬儀を終了した。帰るときに、東出さんが、明日、田川の持っていた書類や遺産のことで、ご相談したいので、来ていただけますかと言われ、明日の10時に伺いますと言った。そして、家に帰っていった。翌日、東出さんの家を訪ねると、お茶を出してくれ、亡き田川さんのタンスの引き出し3つを全部出した。
そしてタンスの引き戸の中の書類全部を床に出した。すると、郵便局の通帳が2冊、MB銀行、MZ銀行、MS銀行の通帳が2冊ずつ、N証券の投資通帳が出てきた。その中で、通帳にパンチの穴の開いてるものだけを除いて、5冊あった。銀行の通帳と郵便局の通帳とN証券の通帳を持って、三井の車で沼津へ走った。到着して、まず3つの銀行へ行き、通帳の残高を打ち出した。その後、N証券でも打ち出し、郵便局に持ち込むと、通帳がいっぱいになり、打ち出せず、係員に事情を話した。
すると新しい通帳にデータだけを出すことができるが、それ以外の引き出しについては、計算センター本部と交渉して欲しいと言われ、ここではできないと言われた。残高だけを打ち出してもらいうと3冊にもなり、その残高が6889万円となっていた。その他、MB銀行、MZ銀行、MS銀行の通帳の総合計が5329万円、N証券の投資残高が18700万円となっていた。困ったとき、以前、世話になった黒田さんに電話を入れた。
電話口に黒田さんが出て、久しぶりですと三井賢治が言い、その後、お加減はいかがですかと聞くと、少し、ボケて忘れる事が多くなったが、足腰は、大丈夫だと言った。以前んから遺書にやっていた田川さんが、亡くなり2016年1月27日に葬儀をしたと伝えると、ちょうど、その日、伊東温泉で旧友に会っていたので、出席できなかったと言い、その後、田川さんの墓前に線香をあげてきたと教えてくれた。




