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19話:東日本大震災への義捐金から見える実像

 自治体により液状化の危険度が低いと認定されていた地域でも被害が起きた。また津波によって東北・関東の6県で2万3600ヘクタールの農地が流失または冠水し、塩害も発生したため農林水産省は3年後の完了をめどにがれきの撤去や土中の塩分の除去を進める方針を固めたと報道された。その他鉄道、高速道路、国道が寸断されて、物資の移動が不可能になり、東北中心部が孤立状態となった。


 その晩のニュースで仙台空港に津波が押し寄せ、利用客が屋上に避難する姿や仙台湾の対岸の工業地帯で大きな火の手が上がった。3月と言っても東北の春は遅く、交通網が寸断され物資不足、特に暖房用の灯油、ガソリン、食料の不足が、そのため地震被害の比較的少なかった日本海側、新潟経由で、青森へ、第一陣が、貨物列車で灯油、ガソリンを送ることができた。これには、元、国鉄マンたちの無私の精神による努力で実った成果と言えよう。


 その後も全国から学生、社会人を問わず、東日本大震災の後処理のため多くの人々が復旧したばかりの道路で東北に入り援助した事は、いまだに映像として残っている。インターネットを通じた募金活動、経済的に余裕のある芸能人やタレント、歌手の大勢が、それぞれ米を持参したり炊き出しをしたりして、東北の被災者を助けたことは、記録として、残された。海辺の町の多くが町ごと無くなり呆然と立ち尽くす老人の姿が涙を誘った。


 その他、両親をなくした震災孤児「両親とも死亡ないしはひとり親家庭の場合は片親が死亡した児童」震災遺児「両親のどちらかが死亡した児童」のための募金には多くの寄付が集まった。日本以外でも、台湾での東日本大震災のためのチャリティー・ショー3月11日19時からは、日台共同制作の特別テレビ番組『元気日本謝謝台湾』を中天娯楽台で放映した。


 震災発生当時、馬英九総統の温かい呼び掛けにより、台湾では短期間のうちに200億日本円を超える義援金が集まった。こうした動きは日本を勇気付けたほか、日本と台湾の特別な絆に改めて気づかされ、また、台湾と日本の関係にとってターニングポイントになった」と述べ、台湾に対して改めて感謝した。ちなみに、東日本大震災後の海外からの義援金を調べてみると、興味深いことが分かる。


 東日本大震災後の海外からの義援金の1位は米国で29億9811万円、2位は台湾で29億2895万円、3位はタイで20億5931万円、4位はオマーンで10億7671万円、5位は中国で9億1997万、インド4億8695万円、ドイツ、2億6365万円、大韓民国2億1558万円、ロシア10億8218万円となっている。これを見ると、どこが親日国か、よくわかる。


 台湾から200億円を超す義捐金と、560トンもの支援物資が寄せられた。台湾の人々が「最も好きな国」日本へ示したこの親日ぶりに、多くの日本人が深い感動を味わった。3月12日19時からは台北市の国賓大飯店「アンバサダー・ホテル」で、「追悼・復興レセプション」を開催し、今井正所長が台湾各界に感謝を伝える。馬英九総統や関連部会の代表者、レスキュー隊や民間団体など600人近くが招待されている。


台湾の赤十字会とテレビ各局が18日夜、東日本大震災の被災者支援のチャリティーイベントを開いた。4時間の生中継の間に電話で義援金を受け付け、7億8800万台湾ドル「約21億円」が集まった。台湾の有名歌手らとともにジュディ・オングさん元サッカー選手の中田英寿さんらが参加。馬英九総統夫妻や政権幹部も受話器を握った。鴻海グループ総裁、郭台銘氏が約5億4千万円を出した。「アイフォーの受託企業の代表」。


 その中に人知れず、個人で10億円を寄付したエバーグリーングループ総裁の張栄発がいた。。日本統治下の台湾に生まれ、一代で世界有数の海運会社を育てた実業家。縁深い仙台が被災し、大きな被害を受けたのを見て涙した。日本統治期の1927年、台湾北東部に生まれた張氏は、少年時代から海運会社で働く一方、夜間学校に通い苦学して航海士となり、船員生活を送った。


 会社を設立後、日本で購入した中古貨物船で海運業に乗り出したのは、30代前半の頃。1968年、グループ前身の長栄「エバーグリーン」海運を立ち上げ、80年代に国際コンテナ船業務を柱に事業を急拡大。史上初の世界一周航路で名をはせた。89年にはエバー航空を設立して航空事業に参入し、ホテルや金融を抱える巨大グループに成長させた。


 東日本大震災発生時は、既に経営の前線から身を引きつつある時期だった。巨大な津波が仙台市の海岸部や、東北の市街地を飲み込んでいくニュースは、台湾でも大々的に報じられ、その悲惨な光景も見て、張氏はどう感じたのか。3月11日、エバー航空が、定期便を飛ばしていた仙台空港に大津波が押し寄せたのは、地震発生から約1時間後の午後4時前後だった。台北にある総裁室で、張氏は、テレビで流れるニュース映像をみて涙を流していたという。


 すぐ、張氏はポケットマネーから、被災地への巨額の寄付を決め、日本赤十字社を通じて送った。また、海運や航空のグループ傘下企業に対し、毛布などの支援物資を運搬するよう指示。エバー航空の機材を使用して、各国政府や国際援助組織の物資まで、無償で日本に運んだ。深刻な被害が判明するにつれ「眠れないほど胸を痛めた」ようだ。これは、惜しみない支援を即決したのは、仙台が、張氏にとってゆかりのある土地だったと想像される。

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