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神様はサイコロを振ります  作者: 馬場太子
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神様のお仕事

 この世界は、私が過ごしてきた世界と少し違っている。


 まず、文明が発達していない。それこそ前までは農業なんてなかったぐらいだ。いわゆる石器時代と呼ぶのが妥当だと思われる。前に、『主人が帰ってきません。助けてあげてください、神様』という要望が多かったものだから、その原因である()りを無くせばいいと思って、人々に農作を伝授した、神様的には与えてやったと言うべきでしょう。伝授と言っても、施設に閉じ込められていた私が農業に関して知っているわけでもなく、抽象(ちゅうしょう)的なアイディアを与えるのみだったけど、『木の実とかを自分たちでつくればいいんじゃないかな』っていうヒントのような疑問をつぶやいてみると、そのつぶやきが世界に広がって学者さんを中心に試行錯誤(さくご)の末、今では稲作をするに至っている。


 私が神様になってから、初めてのつぶやき、人々はご神言(しんごん)と呼んでいるけど、それがどれほどの影響を及ぼすかを思い知った。その『神言』というのは私が使用できる能力みたいなもので、私が能力の使用を宣言してから伝えたいことをつぶやくと、世界に点在する巫女(みこ)の口を通して、それが人々に届くらしい。私は、この病室に似た(だが物が少ない分それよりも広く感じられる)密室の中で、壁に向かって独り言をするような感覚でつぶやいていただけなので、当然外の様子なんて分からないから、世界中の巫女さんの口が私とシンクロしているという異様な雰囲気を想像するしかできない。『神言』はその一回きりで、次に使うのはいつになるだろうか、古墳でも建ててもらえるように言えばいいだろうか。


 それで、農業を覚えた人間、特に米や芋などのでんぷんを含む植物を栽培できるようになったおかげで、わざわざ危険を犯してまで猛獣の肉を手に入れる、という必要もなくなりつつある。しかし、それはこれまで保たれていた生態系の崩壊も引き起こした。これまでは食料のためにという理由で獣を狩っていたものの、その理由が失われた今、獣の数が雑草のように生えてきている。そして、その増えた獣たちは縄張りを広げようとしているのか、よく、人々が暮らしている村を襲撃している。穴を掘る苦労もなく住処(すみか)を手に入れられるのですから、多少のリスクを払ってでも人工物を手に入れることは妥当でしょう。これに対して人々は防衛のためにという理由で獣を狩っているが、滅ぼされた村もあり、決していい状況とは言えない。


 そこで人々は、獣を狩る専門の職業を設けて、自分たちの文明を守ろうとしている。その職業は『冒険者』と呼ばれているが、その人達のおかげで生態系の崩壊はある程度くい止められており、狩った獣を食料として調達もされているので一石二鳥です。私の生きていた世界にはそんな便利屋さんはいなかったけど。


 私の過ごしてきた世界と違っていることは他にもある。それこそ、先ほどから言っている『獣』だが、私の生きていた世界のイノシシやクマなんて(なま)(ぬる)いもので、一メートルはある虫だとか、三メートルを越しているオオカミだとか、私の見たことない生物ばかりでいっぱいだ。それに、天が動いているのか、地が動いているのかという問題、私の生きた世界では地動(ちどう)が認められていたけど、この世界ではどうやら天動らしい。私の生きた世界でも宗教的な関係で、地動説が正しいことを証明されていたにも関わらず、それが否定されていた時代はあった。が、この世界では学者さんの計測によると、地動である根拠は何もないとのことらしい。


 私が施設に隔離(かくり)されていたから、外の世界を知る機会というのはテレビと会話のみだったので、きっと私の知らないことも多かったとは思っているけど、さすがにこれらは元の世界になかった自信は強い。


 別世界で神様になってしまった当初は驚いてしまったが、神様は自分の世界について何も知らないのである。世界を眺めて、そしてサイコロを振る。人々の視点から、世界をどう改善するのかを、一人で考え、それを世界に伝える。そして世界を眺めて、またサイコロを降る。それだけだ。


 神様は世界について、人々が知っていること以上のことを知らないのだ。


 神様がこんなにも不自由なことを知って――神様は世界を眺めて、喜んで、サイコロを投げることしかできないもどかしさを知って――今、この密室に閉じ込められているのは、前の世界で『何もできなかった』神様を『何もしてくれない』と批判していた私への(ばつ)だと受け止めています。




『助けてくれぇ、神様ぁ』


 密室に響く救済信号に意識を取り戻された。目の前に()えている水晶が(とどろ)いている。この水晶は人の見ている映像を映し出してくれる代物で、神様である私でしか効果を発揮できないらしい。便利な物のように思われるが、まず使用が制限されており、どの状況下において誰の眼にでもなれるというものではない。誰かが神様を頼ってきた時に、この水晶はその人の目玉になってくれる。この不思議な現象の原理は教えられていないが、困難に直面した時に生じる負のエネルギーの反作用として生じるエネルギーを利用しているらしく、実際は誰の目玉にでもなれるらしいが、それに必要なエネルギーが大きいのと、神様に身勝手な行動を取らせないためだと聞かされている。それから、両手で(つつ)み隠せるほどの大きさの目玉にそのまま映像が投影されるため、とても観辛(みづら)い。この水晶に手をかざせば脳裏(のうり)にイメージが映されるような、空想科学にありそうなマジックアイテムでは決してない。さらに、投影面が球なので外側の像が歪んでしまい、困難に直面しているその人の状況が全く分からないこともある。イチゴぐらいの大きさの鏡の方が断然マシなぐらいだ。


 だいたい、これまでに見てきた映像のなかでも何が起こっているのか理解できなかったのは半分以上で、今日の映像もそのようです。いっそ人々に電子情報の知識を与えて、監視カメラをつくってもらいたいぐらいです。


 ただ……、趣味が減ってしまうので、ここは()えて我慢すべき場面のようです。水晶の置台の下に収納されている二つの六面さいころ(一から六の六つの数字を表す面を持つサイコロ)を取り出す。


 もし、二つのサイコロの積が七以上の素数である組み合わせの目が出たら、おとなしくこの不便な眼を通して、行く(すえ)をおとなしく眺めることにします。同時に、私の生きた世界と違っていることリストに登録です。


 サイコロの適当な角を軸にして、コマをまわすのと同じように、長く、なるだけ長くまわってもらった。


「結果は自明、少し下界に降りるとしましょう」

 ここまでが書き溜めです。次回はいつになるか、そもそも次回はあるのだろうか。

 次回があるとするならば、きっと今回のような文体や言葉遣いが続くと思う。そもそも、これを書くに至ったのが、知人と異世界転生を書きあって互いの作品について批判するといった状況だったと思う。ここまで読んでいただいた諸君ならばすでに理解していると思われるが、私はかなりのひねくれものである。そもそも文の教養も才もない、目の前に広がる現実を重視する天然の理系である私が、知人の自称字書きに巻き込まれた形でこの作品が産まれることになってしまった。

 その知人にこれを見せてかえってきた返事は「なろう受けしない」と。十分に分かり切ったことである。そもそもここに掲載するためにつくってないのだから、ただただその知人に対する嫌味としてつくったのだから。それを忘れつつあった時にゴミ箱に入ってたこの文章に魅せられた私は、自分とその知人のみで共有されるには勿体ないほど面白いものと感じた。さてどうだろう、この作品がこの場で評価されるか否か、私と知人の予想に反するか否かを、じっくりと観察したいものである。

 さて、知人の投稿した作品でも見に行こう、タイトルはなんだったかな。ゴミ箱を漁れば出てくるだろう。

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