大合奏
「起床時間です、起きてください」
「もう起きていますから。もうちょっとだけこの体勢でいさせてよ」
「ダメです。この後の執務に間に合いません」
朝から晩まで、私の生活管理を手伝ってくれる少女、サラにはいつも目覚ましを頼んでいる。というのも、寝過ごして仕事に遅刻するということが何度もあって、私以外立ち入り禁止のこの部屋に、目覚ましのためだけに彼女のみ特別入るのを許可している。サラは当初、私を起こすのによっぽど苦戦したらしく、目覚ましがいてもいなくても、結果、寝過ごしてしまい、起こすことに失敗する度に彼女は涙をこぼした、いや、垂れ流した、の方が適切でしょう。そんな彼女を見て、それから目覚ましが煩わしいのもあって、この任を廃止しようとしても、サラは頑なに拒否し続けた結果がこれです。私の幸せな夢の中にまで干渉できる化物にまで成長してしまったのは本当に予想外な事だった。
私は朝がとても苦手です。ずっと施設で暮らしていたので、人並みの生活習慣を送っている自身はあったのだけど、きっと仕事の疲れ、それと読書に費やす時間が意外にも私の体に苦労させているのかもしれません。
「起床時間です! 起きてください!」
あれこれ思っているうちに、サラの声から興奮の念を感じさせてくれるようになった。もう少し、もう少し耐えれば、私にとって、とても心地よい朝の始まりを告げる鳴き声を拝聴できます!
「起床時間! 起きなさい!」
声音の凄まじさがついに絶頂に達そうとしていらっしゃる。敵を威嚇するようなその声音は非常に刺激的で私の心に傷を負わせるほどに鋭い。だけど、これを耐えれば、もう僅かに耐えれば、私にとって、非常に心地よい生の始まりを告げる鳴き声を拝聴できます!
「起きて、って言ってるのに……!」
声音から棘が抜き取られて、代わりに潤み成分が徐々に増していく。それは非常に感傷的で私の心に負った傷を癒してくれるほどに優しい。まもなく、まもなく、私にとって、最高に心地よいレクイエムを拝聴できるのです!
「……っ…………っ!」
時は来た。もう私に言葉は届かない。全身を使った生命溢れる静かな叫び、そしてそれに必要なエネルギーを取り込む際に生じるすすり声が私の体で響いている。私はこれを聴くために生き返ったと言っても過言でないと感じます。この、美しき鳴き声を私のためだけに披露してくれているもの、悦ばないわけないわ。きっとこの感覚を『悟り』と表現されるのでしょう。
そう、これは悦ぶべきことです。
外からの鳥の鳴き声が、彼女の鳴き声と共鳴している。外からの人々の愉快な話し声が、彼女の鳴き声と合唱をなしている。物を叩く音、落とす音、引きずる音、様々な鳴き声が、彼女の鳴き声の伴奏をなしている。世界全体が彼女を中心に演奏しているのです。私のためだけに演奏を披露してくれているのです。
そう、これは悦ぶべきことです!
さて、最後に同じぐらい美味しいものを、視覚を使っていただきましょう。どれぐらいこぼしているだろうか、どれぐらい垂れ流しているか、どれぐらい濡れているか、それを観たいのだ。
枕に埋もれた自分の顔を少しずつ独唱している彼女に向ける。
白い足袋、紅い袴、白い着物、そして、普段は白い、でも今は真紅い彼女の顔。
絶頂を超えた感動に思わず喉がじゅるりと鳴ってしまった。
「――ごちそうさまでした」
刹那、演奏の中断とともに、差し出した頬に衝撃が走った。いいえ、この私が自ら打楽器としての役割を果たして、この合奏は終わりを告げたのです!
「どうして私なんかが、こんな味もない服を毎日着ないといけないのかな」
「毎朝そんなこと言って飽きないのですか。だいたいその衣装を私たちが毎晩、どれだけの時間をかけて浄めていることか。だいたいあなたには――」
朝の恒例行事となりつつあるお説教を背景に着替えの時間です。品性は感じられるけども、かわいさが全く感じられないこのただ白いだけの羽織物。胸を隠す下着を身に着け、その上から羽織るだけの、何の工夫も感じられない原始らしさとでも表せるでしょうか。施設にいた頃も、テレビで都会の若者の奇抜とも言えるファッションを眺めながら、一日中、味がない服を着せられていたが、桃色の薄い縞模様があるだけあちらの方が断然マシだ。
下着を脱いで、胸の上から、もう成長することもない小さな胸であるが、晒を巻き付ける。そして、味のない羽織物は私の目の前から頭上を飛び越え、背後から絡みつく。腰のあたりを適当に縛って出来上がり。思えばこの衣装、私が着ると地面とこすれるかどうかってほど大きいのだけど、胸のサイズはしっくりくる。この違和感をサラに聞いたこともあるけど、記憶に残っていない。それほど当たり前な回答だったのだろう、私みたいな幼い体形でしかこの職業に就けない、とか。
いつもならこれと同時に、サラのご説教が止むはずなのに、今日はさっきのこともあったからか、なかなか終わる気配がしない。もしかすると最長記録をたたき出すかもしれません。ただ、太陽の位置を見てみると朝のお遊びが長すぎたのか、急がないと仕事に間に合わなくなりそうなので、お遊びはここまでにすることにしました。
純粋な私を理解してくれた上で私とのお遊びに付き合ってくれる。サラとの時間は私にとっての最大の息抜きで、私が人であったことを実感できるほどに幸福を得られる。そんなサラとの時間を手放したいなど思えるものでしょうか。
そして、繰り返されるあの日をともに過ごしてくれる、『その人』との時間もかけがえのないものです。彼が私の知る彼でなくなったあの日の最期に恐怖はあるものの、不思議とその結末を知る勇気を持っているような気がします。だから、きっとそれはおとぎ話の転部に過ぎず、私の送った物語の最期はハッピーエンドだったと信じています。
だが、今は恐怖する時間ではない。恐怖させる、一方で、歓喜させる時間だ。
「――ついにお目覚めになりましたか、おはようございます。時間がないので、朝食をお召しになりながら、本日のご予定をお伝え申し上げます」
私とサラの、そして私と『その人』との時間を中断し、これから万人のために世界を観なければならない、それが私の務めだ。
「本日も貴方にお仕えして参ります」
時には共に歓び、時には独に悦ぶ、それが私の務めだ。
「今日も、助けを求めている人々で世界は満たされています。どうか、いつも通り世界をお眺めになってください――」
時にはサイコロを振って未来を決定する、それが私の務めだ。
そう、だって私は――。
「――神様」
読者の皆様もどうぞご安心ください。主人公は少女です。しかし名前はまだありません。過去の自分に問い合わせをしても返信がございません。さて、どうしたものでしょう。