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いただきます。  作者: 奏 杏実
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善哉

 美佳は久しぶりに取れた連休初日、足が遠のいていた喫茶店へ行くことにした。

 以前は週に一度は立ち寄っていたのだけれど、年末年始の忙しさと慌ただしさにすっかりご無沙汰していた。

「あれ?」

 新春らしく春めいた色合いの立て看板を見るともなしに見れば、右上の端の方へ貼られた手書きポップに気づく。

「へぇ……そう言えば、今日って鏡開きだったっけ」

 一日限定の文字に早くも注文を決めた美佳は、店の押し扉へ手を掛けた。


 カララン


 軽やかなカウベルを鳴らして入店すれば、カウンターのマスターと目が合う。

 店内は忙しい一時を過ぎた緩やかな空気が漂っていた。


「いらっしゃい。久しぶりだね」

「こんにちは、マスター。明けましておめでとうございます」

「これはご丁寧に。本年もよろしくごひいきに」


 お互い軽く頭を下げ合って挨拶すれば、どちらからともなく軽く笑う。

 美佳はいつも座るカウンター席につくと、さっそく注文した。


「今日は善哉ください」

「珍しいね」

「限定の二文字に負けてみました」

「なるほど。いつものブレンドは?」

「もちろん食後に頂きます」


 マスターはにこにことした笑みを浮かべたまま店の奥に姿を消した。

 美佳は注文の品が来るまでの間、今日一日をのんびり過ごすために仕事に関係する連絡や面倒ごとがないかをチェックする。問題なさそうだと判断すると、ようやく便利ツール・スマホをテーブルに置いて窓の外へと目をやった。


 室内にいるとわかりにくいが、外はなかなか強い風が吹いている。時折木の葉や風に煽られてはがれたらしいチラシなどが飛んで行く。

 そんな景色をぼうっと眺め、冷えた身体がじんわり温もりを持ち始めた頃、ほのかに甘い香りが鼻先をくすぐった。

 カウンターへ顔を戻すと、テーブルの上に朱塗りの椀と箸休めの塩昆布が添えられたお盆が差し出される。コトリと微かな音を立てて置かれたそれに、美佳の期待がぐぐんと高まった。


「ありがとう。いただきます」

「はい、召し上がれ」


 気安い掛け合いのあと、美佳は椀のフタに触れる。熱々の善哉から伝わる熱がフタに移っていて、指先がとても冷えていたことが分かった。

(今夜はじっくりお風呂につからなきゃだわ)

 夜の楽しみが増えたことに口元を笑ませつつ、フタを開ける。途端、もわんと温かな湯気が上がり、艶やかな汁と小豆の粒が姿を見せた。

 そこで、美佳の期待値はピークに達する。


 椀を手に取り、箸で摘まんだ小豆は大粒で艶々。丁寧に煮られたのか、歯で噛まなくてもつぶれる柔らかさ。そして上品な甘さの汁と真っ白の丸餅による色彩のコントラスト。

 夢中で、けれどしっかり味わって完食すると、ほうっという満足の吐息とともに椀と箸を下ろす。


「はぁ……美味しかった。マスターってお料理も上手なんですね」

「いやいや、実は作ったのは僕じゃなくて甥っ子」

「甥御さん?」

「そう。いま仕事やめて製菓学校に通ってるんだ。ちょっと待っててね」

 言うや、マスターは再び奥へと消えていく。少しして、何やら言い合う声が近づいてきた。


「ほら、来いってば」

「ちょ、叔父さん!」

 マスターに引っ張り出されたのは、美佳と同じか少し下くらいの年頃の青年。


「常連さんがせっかく褒めてくださったんだ。挨拶くらいしろ」

 促されて、青年と美佳の目が合った。

「初めまして。わたし、山口美佳っていいます。お善哉、すごく美味しかったです。実は関西出身なんですけど、こっちの善哉って汁気がないのばかりで。久しぶりに地元を思い出しました」

 嬉しいという感情のまま笑むと、青年の耳の端が心なしか赤くなったように見えた。


「あ、えっと……その。ありがとうございます」

 そのまま、目線ごと下がって俯いてしまう。なんとなく、もう少しだけ話したいような気になった美佳は口を開く。

「あの、小豆がすごく柔らかかったんですけど、何かコツとかあるんですか? あと、この小豆って○○小豆?」

 そこで、パッと青年の顔が上がる。

「よくご存じですね! 小豆はですね、前日からしっかり水につけて……って、すみません。甥の榊昌弘って言います」

 うっかり食トークに流れそうになった昌弘青年は、伯父のジト目に敏感なのか、咄嗟に自己紹介に切り替えた。


「なんだか、気が合いそうだね。珈琲煎れるから、そっちのテーブル使っていいよ」

 マスターはいつもの笑顔に戻ると、さりげなく二人から距離を取る。

 美佳と昌弘は数秒顔を見合わせるが、口を開くのは美佳が早かった。

「それじゃ、お言葉に甘えて」

 お冷やグラスを手に立ち上がると、昌弘が慌てて手を出した。


「あ、あの、グラスは俺が持って行きます」

「そう、ですか? お願いします」

 美佳はグラスをカウンターに戻すとテーブル席へ移動する。カウンターに向かう位置に腰を下ろすと、伯父と甥のやりとりがよく見えた。

(ふぅん……榊昌弘さん、か)

 口に残っていた善哉の甘みが、少し強さを増したような気がした。



.

先日参加した企画寄稿作。

主催さまの了承頂けましたのでUPすることにしました。

季節感の三文字は忘れてやってください……

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