30話 リリィの想い
約束の日曜日、俺はリリィと一緒に池袋のショッピングモールに来ていた。
休日だからか、とても混雑している。しかもカップルだらけだ。
「海は?」
「まずは買い物でしょ、見たい服とかあるから」
そういうと、リリィは俺の手を引いて、ずいずいと進んでいく。各所で『誘拐ヤンキースのリリィじゃね?』『彼氏いたんだ…』という声が上がっているけれど、大丈夫なんだろうか……。
「…雨川が彼氏とか……ま、悪くないね……」
「……いつものツンデレどうしたんだよ」
「うっさい!」
例のごとく、リリィの耳は真っ赤になっている。俺の顔も心なしか火照っている気がする。
……小雪の顔がちらつく、あいつ今ごろ何してるんだろ、飯ちゃんと食べてんのかなぁ。
アメリカの飯がもしかしたら体に合わないかもしれない。俺が一緒にいてやれば、小雪の好きな食べ物、カロリー計算した病院食だってつくってみせるのに。
「雨川、この服なんてどう?」
「……いいんじゃないか?」
「……」
「……」
「……アタシとデートしてるのに、他の女のこと考えてるでしょ」
「そっ……そんなことないぞ」
「隠さなくてもいいよ、顔にでてる」
「………すまん」
「べつにいいよ、アンタのそういう、誰かの為に一生懸命になるところ、嫌いじゃないし」
リリィはふわりと笑う。少しだけ、心が安らぐ。俺はリリィや小雪に甘えてばっかりだな。
「ごめん……リリィ、迷惑たくさんかけちまって……お前が気を使ってくれてるのに、俺は……本当に情けないよ……」
「……今日、アタシは雨川とずっと一緒にいる。」
「……え…っ?」
ショッピングモールの喧騒が、ピタリと止んだ気がした。この言葉は……たしか俺がリリィに言った……。
「この言葉に、アタシがどれだけ救われたと思ってんの?」
恥ずかしそうに伏し目がちに、リリィは俺に告げる。
「言われた方は、なかなか恥ずかしいな……これ……」
「…でしょ?因果応報ってやつだね。アタシが受けた恩は、10倍にしてアンタに返してあげる」
「……リリィ、ありがとう」
「だから……その……アンタも、アタシに受けた恩は、きっちり10倍にして返さないとだめなんだからねっ」
「10倍どころか、100倍にして返してやるよ」
期待してる、とリリィが踵を返し、また服を見ている。もちろん耳は真っ赤だ。
すこしだけ、寂しさが和らいだ気がする。友達って、こういうことなのかもしれない。
その後、俺とリリィは服を見たのち、軽く昼食をすませ、電車に揺られること30分。
海に来ていた。
「やっぱり冬の海は寒いね」
「そうだな」
「ちょうどこの方角がアメリカなんじゃない?叫べば届くかもよ」
この先に、小雪がいるのか。叫ぶだけじゃ足りない。会いに行きたい。
「俺、遠泳得意なんだよ」
「本気で言ってる?」
「冗談だって」
「アンタが言うと、冗談に聞こえない」
「叫ぶのは無しだ、小雪だって、叫びたいのを我慢して、頑張っているはずだからな……だから祈ることにするよ、無事に帰ってこれるように」
「……そう」
波の音が、心を落ち着かせてくれる。来てよかった、小雪に対する気持ちの整理がついた。
小雪に、半年以上も、告白の返事待ちをさせているんだ。2ヶ月くらい、俺が待てなくてどうする。
「雨川」
「ん?」
波の音でかき消えてしまいそうなほど、小さな声だった。リリィは決心したような面持ちで俺を見ている。
「アタシのこと、どう……思ってる?」
………この言葉の意味をわからないほど、俺は鈍感じゃない。
リリィは今、首を差し出しているんだ。わかっている結末を受け入れるために。自分から首を差し出している。
俺は小雪が好きだ。世界中の誰よりも。
残酷かもしれない。俺だってこの言葉を小雪に告げられたら、とても悲しい。けれど伝えなきゃいけない。リリィの勇気を踏みにじるような真似だけはしてはいけない。
俺は、波の音に、声がかき消されないように、リリィに伝える。
「友達だと、思ってる」
リリィは一瞬泣きそうになって、次に困った顔、そして最後に、微笑んだ。
「そう……だよね。まだチャンスはある? 」
「……俺、12年間片想いしてるんだ、小雪に。」
「……そっか」
「………」
微笑んでいたリリィはいつの間にか泣いていた。俺はリリィと友達でいたい。だけど、この言葉を伝えることはできない。
片想いの苦しさを俺はよく知っている。友達として割り切れるほどの好きなら、リリィは泣いたりなんかしない。
可能性のある片想いは、苦しくても、耐えられるけれど。
可能性のない片想いは、残酷だ。報われない恋ほど苦しいものはない。
「アタシも、雨川と12年前に出会いたかったな」
「………」
思わずリリィを抱きしめそうになる。ダメだ。優しくするなんて今はできない、しちゃダメだ。
リリィは涙を拭って右手を前にだす。
「これからも、アタシと、友達でいてくれる?」
「いいのか……?」
「……うん。まだ少し、苦しいけど、時間が経てば、変わるかもしれないし……」
「そう……かもな……」
リリィの右手を握る。細くて繊細な手は、すこしだけ震えていた。
「リリィ、俺にとってお前は、かけがえのない大切な友達だ」
「うん……ありがとう」
この言葉がどれだけ残酷か俺は知っている。知っているはずなのに伝えられずにはいられなかった。
そして、リリィとのデートから2ヶ月がたった。
木々の葉はとうの前に枯れ落ちて、冷たい木枯らしが吹いている。ここ数日、東京では珍しい雪が続いている。
すこしだけ積もった雪を、部屋から眺めながら。俺は涙を流していた。
約束の日の、1日前。
12月23日
明日、小雪が帰ってくる。
眠ったまま。




