第三篇『声を涸らしてオークを斬れ』上
この作品には時折流血描写が御座います。御容赦下さいませ。
それはイレザリア領の荒野でのことであった。月が昇る闇の中、キャンプ設営地は開かれていた。そのテントには大きく『エポラール商団』と書かれていた。この世界において有名な、ファッション最大手である。複数の小隊から成っており、このテントもその一つだった。
「しかしだだっ広い荒野ですよねぇ、皇都はあんなにガチガチに城塞が敷かれてるってのに」
「仕方ねぇよ、あんだけ邪竜に荒らされまくったんだ。しかし復興する気配がまるでないのは気にかかる、あの壁の中はあれだけ発展してるってのによぉ」
「皇都ジーケースって、そんなにすごいんですか」
訪ねたのは少年店員、前篇にてケンと仲良くなったらしいデルフであった。
「ああそうだよ。ジーケースの中は今まで見たよりも多くの人が所狭しと住んでいてね。宙を飛ぶ乗り物が縦横無尽に飛び回っているんだ。何処よりも発展した最先端都市さ!」
「一度見ればおったまげるぞ。明日の昼には着くから楽しみにしとけよ。オレも今から楽しみだぜ」
「因みに今いる場所も、かつては結構な町だったらしいぞ。今じゃ没落した、ビーネハイムなる子爵の家が治めていた農園だったらしい。今はこの通りだけどな!」
「今じゃ爵位もただの飾りらしいけどな、没落せずとも、治める土地がなくなればただの人ってことよ」
神聖イレザリア皇国。この一行が今見ているのは、高くそびえる壁に覆われた皇都ジーケース。そこ以外は、広い領土内にひたすら荒野が広がっている、謎と神秘に満ちた国である。かつてはあちこちに貴族が点在し、それぞれ土地を治めていたとされる。
しかし邪竜、その開発によるしっぺ返しが国中を蹂躙し、多くの村や町が消えた。ある町はわずか一頭の邪竜によって壊滅し、皇都に逃げた者は数知れず。そしてコモドが生まれた村もまた、このイレザリア領の中において一つの石碑と化した。
「よし、今日のところは寝よう。明日、楽しみにしとけよ!!」
それは突然のことだった。夜のしじまを貫いて、眠りを引き裂く恐怖が襲来したのは。
「オークだァァアアア!! オークが来たぞォォォオオオオ!!」
各々、武器を手にテントから飛び出す商人達。その視線の向こうには、かがり火の明かりに照らされる異形の姿。身長は一・五メートルから二メートル程、青黒い肌に入ったシャチを思わせる白い模様、額に隆起した太く短い角、剥き出しの歯、不気味に光る真っ赤な目、腰や手には褐色の毛が密集している。オーク、この世界で人間達から大変に恐れられる存在である。
「角を狙え、良いかッ!!」
手斧、杖、剣、槍等、それぞれが手に得物を持ちオークに立ち向かう。オークの急所は角、そこを抉り取られればすぐに死に至る。それぞれがオークにトドメを刺そうとする中、商人にとって恐るべき事態が起きようとしていた。
「荷物が! 荷物が燃えている!!」
何と、オークのうちの何体かが、かがり火そのものをくすね、テントに火を着け始めたのだ。咄嗟に駆け付けようとした人々を、オーク達がここぞとばかりに手にかけてゆく。爪が、牙が、生きた人間を解体する!
「クソッ、火を消せ!!」
そうしている間にも、灼熱のテントから炙り出される人達。そこに容赦なく、オーク達の爪が迫る。その中には、戦えずに中でかばわれていたデルフの姿があった。
「誰か、蹄竜に乗って応援を呼んでくれ!!」
商団のメンバーが一人、また一人屍に変わっていく。オークの数が多い。それだけではない、不気味なほどに統率のとれた動きでヒトを襲っている。そして、最も恐るべき存在が、このオークの群れにはあった。
「デルフ、こっちだ!」
デルフを何とか助け出し、手斧片手に応戦するメンバー。しかしその目線の先に、信じられぬモノが映った。テントを燃やして揺らめく炎の向こうに、巨大な影が立っている。
「まさか、アレは!?」
驚愕するこの男を巨大な手が掴み上げる。炎の奥に消えたメンバーを見て、恐怖のあまりデルフはその場にへたりこんだ。その姿をこの巨大な存在は、真っ赤な目の中に確かに映していた。
翌朝、血にまみれた商人を乗せた蹄竜が、ペンタブルクの町に到着した。商人は、次の言葉を残して、事切れた。
「オークが出た……ただのオークじゃない……旧ビーネハイム領……ごふっ」
ラァワの家に、赤い筒は届けられた。重大事件が起きた時のみ、この赤い筒は窓の隙間や郵便受け等から飛んで来る。インクシュタットに住む者の中で、この筒を見て戦慄せぬ者はいない。
「おいケン、事件だ、大事件だァァアアア!!」
思わず呼び捨てになりながら、コモドはケンの寝ている部屋に駆け込んだ。ケンは先程一度は目を覚ましたモノの、昨日のラァワによる儀式があまりに刺激的過ぎたせいか主に足と腰の痙攣が止まっておらず、まだ眠るように言われていたのである。
「え、何が起きたの……」
「コレを見ろ!!」
「……読めない」
しまった、という顔を浮かべてコモドは紙を自分に向ける。
「すまん。えーとな、昨日買い物したとこは覚えてるか、移動商団のエポラール商団ってとこ。あそこがな、イレザリアの都に着く前にオークに襲われたらしいぞ」
「オーク? に、襲われた!? デルフは無事なの!?」
「分からん。ただ、たった今から先遣隊を募集している。どうする?」
「……行く! 僕に何が出来るかは分からないが、それでも行く!! 初めて、ここで出来た友達なんだ、何とか出来るなら何とかしたい!!」
「そう言うと思ったぜ。スープ持ってくるから待ってなさい」
ケンは熱いスープに息を吹きかけて、少しずつ飲み始めた。ラァワ特性の薬草スープ、そのレシピは現実世界では再現不可能である。痙攣の収まったケンはコモドのお古に着替えると、昨日に購入した装備と刀を身に着けた。
「母さん、占眼符の結果は何と出てる?」
「弓張の月に陰りあり、巨悪の気配が冥鬼の背後に潜む、と出ているわね。ああ、冥鬼ってのはオークの古い呼び方よ。くれぐれも気を付けて。ただのオークではないとあったけど、恐らくオーク以上の何かがそこにあるわ」
「あの、オークって一体どんなの何です……?」
「おっと、忘れてた。母さん、オークってどの聖典に載ってたっけ?」
「オークが記述されているのは『十六夜の聖典』ね。魔女の聖典はいくつもあるけど、内容は様々。基本は年代史や各地の民話をまとめたモノだけど、この十六夜の聖典はそれらの補足を受け持つ一冊で、主に人類に仇なす存在が多く載っているの」
ラァワがそう言って弾指を鳴らすと、背後にある本棚から一人でに一冊の分厚い本が抜け出し、ラァワの眼前に姿を現した。艶めかしい手つきでその背表紙を撫でると、本が開いて彼女の手の上に乗る。そこには、線画で描かれた人型の怪物の姿と、相変わらず梵字やキリル文字等がチャンポンになったような文字が整然と並んでいる。
「ケンちゃんに分かりやすく読むとね、『オークとは人類を襲って食らう怪物であるが、気に入った相手を見つけた場合はその死体の額に角を突き刺し、自らの一部を分け与えて新たなオークとする習性がある』ざっとこんな感じよ」
「人を、オークに変えてしまうのですか?」
「そうだ、だからコイツらが増えた時ってのは死体がその辺に放置されてるような事態でな、世の中が荒んでいる証拠とされてるんだよ」
ケンにオークのことを語りつつ、コモドはその腕にサラシのようなモノを巻き付けている。その上から深紅の手甲を着けると、肘の部位から黄金色の刃を出し、戻す。そして竜の頭を模したゴーレムサモナーを左胸に装備し、ベルトで留める。正面のバックルには、竜の頭を象ったレリーフが施してあった。左の腰にはカードデッキ、ゴーレムサモナーを始めとする魔動機の起動や制御に使うモノである。
「ケンちゃん、この袋を頼む。中には治癒符や薬草の詰め合わせ、いざという時に役立つモノばかりだ」
「行ってらっしゃい、二人とも。生きて帰るまでが調査ですからね」
コモドとケンを送り出したラァワ。しかしテーブルについたラァワは、筒の中に入っていた紙を見てその表情を曇らせていた。
「ビーネハイム家の領地ね……コレは何かの因縁かしら……」
ペンタブルクの役所に向かうコモドとケンを、物影から見る目があった。濃い緑色の服は近世ヨーロッパの貴族を思わせる。白髪の混ざった髪とヒゲは短く切りそろえ、二人を見据えるその目は黄金色をしている。腰に差したサーベル状の得物を時折触りつつ、何処かドスの利いた声で独り言を漏らす。
「あの子供はコモドが拾い上げたか。探りを入れる必要があるな」
その手には、何処から持ち出したかティーカップ、片手で皿を持ちもう片手で茶を口に運んでいる。
「コモドよ。このゼーブル、ビーネハイムの屋敷で貴様の来訪を歓迎しよう、オークによって!」
飲み干したカップが左手の中に消える。その左手を顔にかざした時、男の顔はハエを思わせる仮面に覆われていた。
「ん、今誰かに見られていたような?」
コモドがその場を見た時には、男の姿は消えていた。
「どうかしたのですか」
「気のせいだったらしい。行くぞ……あ、いやちょっと待て」
「む!?」
立ち止まるコモドに、姿をくらましていたゼーブルがその身を固める。
「すいませーん、ジロ二つ下さい」
「はいはいジロ二つねー」
「ジロって何ですか?」
安堵したゼーブルはその場を速やかに立ち去るのであった。
「ジロってのはな、要はこの辺のイモでな、主食といったとこだぜ。ケンちゃん、今朝はスープしか飲んでねぇだろ? 朝はしっかり食っておこうな」
ジロという植物は、現実世界におけるタロイモに酷似している。水田で育ち、ハスに似た花が咲き、フキに似た葉を持っている。主に肥大化した根を食用とするが、実も葉も茎も同様に食すことが出来るという優れた作物である。
「大抵は特殊な紙で包んで蒸し上げる。単純に剥いて食らい付けば良い、歩きながらでも旨いぞ」
出来上がったジロに、文字通り早速食らい付いたケン。イモ特有のホクホクとした感触と同時に、噛み締めるごとに粘りと甘味が口の中に広がっていく。二口、三口と、ケンは夢中でジロをかじっていた。
「その様子じゃ割と気に入ったらしいな。割と色々料理出来るしハズレがないが、王道はやっぱ今食ってる蒸かしイモだぜ。多分食い終わるころには役所に着く、包み紙は俺に渡してくれよ」
「わふぁりまひた(わかりました)」
(んー、確かに旨いんだけどサトイモだよなコレ。ジャガイモじゃねぇのか異世界なのに)
ラァワの家以外に如何にもなファンタジーの風というモノが、何処にも吹いておらぬ異世界の町にケンは一体何を求めているのだろうか。朝の光を背に浴びて、二つの影が入っていく。『ペンタブルク町役所』と書かれた建物に。
「ケンちゃん、コレを」
コモドが手渡したのは小さな木札であった。この世界の字が彫ってあるものの、今のケンには当然読めない。
「そいつは国境を超えるのに必要なモノさ。関所でコレを渡すことで、出国者の管理をしている。多くの国境をまたぐならその分多くのコイツが要るぜ、今回は一つで良いけど」
既に役所の中には何人か、集まった人々が待機している。その中に一人、コモドに近付いて来る姿があった。
「コモド、まさかアンタまで来るなんてね」
女性の声にコモドが振り向く。
「誰かと思えば、ラビアじゃないか。足の具合はどうだい」
「一度見てもらおうかと考えてた所よ。素材費でも集めに来たのかい?」
ラビアと呼ばれたこの女性、髪は黒く目は黄金色と何処となくラァワにも似た特徴を持っていた。しかしその腕から背中にかけて皮膜にも似た部位が付いており、ヒトにはない長い耳たぶが目を引く。その右脚は膝から先が金属の義足となっていた。
「それもあるけどね、今回はコイツの友人が襲われたらしい。何とかしてやりたくてな」
ケンの背中を軽く叩きながらコモドが答える。
「ふぅん、知り合いなの?」
「こないだ拾った。行くアテがなさそうだし母さんの制度使ってウチに入れたってとこ」
「あ、初めまして。ケンです」
「あたしはラビア、よろしく。じゃあ手続きしてくるから」
「ケンちゃん、あんまり女性をジロジロと見るクセはやめた方が良いぞ」
皮膜のためにバックリと開けた、ラビアの背中から目を離せないケンの耳を軽く引っ張ってコモドが注意した。
「あの人とは一体何があったの?」
「俺の重要な客だ。各地を旅している格闘家でな、強い相手には目がない。彼女の義足は、俺が初めて作った義肢でもあるんだ」
「その割に向こうは何かツンケンしてたけど?」
「嗚呼、元々彼女が着けてたモノ、俺が壊しちまってな。試合とはいえ責任感じて作ることにしたのよ。そしたら、コレが気に入ってもらえてね。今俺が、売れない職人が続けていられるのも彼女のためかもしれん」
「売れてなくても続けられるって、ひょっとしてあの人にホレてる?」
「おっと忘れてくれ、そこは忘れてくれ。義肢ならそこそこ売れてるんよ、彼女が着けて歩いてくれる御陰でな」
「へぇ、意外と見る目あるんじゃん、コモドって」
「ラビア!! 聞いてたのか今のを!!」
顔を真っ赤にして頭を抱えるコモドを見ながら、ラビアはケンにそっと耳打ちした。
「ああ見えてコモドって子供っぽいとこがあるから。そこが可愛いんだけど」
「可愛い……ですか」
彼の子供っぽさなら、前日に見たばかりである。しかしケンの感性では「可愛い」とは思えなかったようだ。
「ケン! 仕事だ、行くぞ!!」
蹄竜に乗り、一行はイレザリア領地へと向かう。大型の竜を手配したコモドはケンを後ろに乗せ、町から町へ駆けて行く。川を越え、森を抜け、コモドの工房のあるジーペンビュルゲンをも越えて、欠伸をしている闘竜の隣を通り過ぎて辿り着いたのは第一篇にも登場した関所であった。
降りた人に竜は喉元に下げた魔動機の箱を近づけた。彫られた数字が巻き上がり、金額を表示している。財布の中身を投入すると数字は全てゼロになり、竜達は駆け戻って行った。
「こうして見ると、野生の闘竜ってタダで乗れる分ちょっとお得だったりするの?」
「いや、先に干し肉を渡しているし、それでもダメという個体もいる。そんなに安い存在じゃないぜ竜ってのは」
関所では、受付係の男が悲しい表情で木札をまとめていた。
「ウラルさん、その木札はひょっとして……」
「御察しの通り、商団の面々が残していった木札ですよ」
商団の木札を箱に入れ、ウラルは調査隊の木札を回収する。関所の蹄竜を借りて現場へと赴く面々に頭を下げ、手元の木札を強く握りしめると、その手を額、左肩、鳩尾、右肩に滑らせる。
「どうか、無事に帰って来て下さいよ」
走れども、そこに広がるは荒野のみ。国境を越える前、インクシュタットには駆けるごとに異なる景色が目まぐるしく変わっていった。イレザリアの光景に、ケンは訪ねた。
「コモドさん、この荒地は一体何なの、神聖イレザリア皇国なんて名前なのに土と草しか見えないよ」
「コレがイレザリアの現実さ。さっき関所通っただろ、あの近くには元々小さな村があったんだぜ、それが今や皆こうだ!!」
「コモド、そろそろビーネハイム領地よ!!」
真上に輝く太陽が、昼の訪れを告げる頃、一行はビーネハイム領に入り込んでいた。果てしない荒野もかつての貴族の領地という境目を利用し、区切りを作ることで旅人は把握する。インクシュタットから訪れる者にとって、ビーネハイム領の目印は二つある。
「アレが皇都ジーケースだ。すげぇ壁だろう、噂によるとあの中には何処よりも優れた最先端都市があるという。そしてあそこにそびえ立っているのがビーネハイムの屋敷だ。石造りの建物だから主人がいなくなってもなお残っている、皮肉なことよ」
「コモド、ちょっとアレ見て」
彼らが見たのは、焼けた布切れに燃え尽きた木材であった。竜の足に引っかかった布は恐らくマントだったのだろう、焼け残った紋様が惨劇を語っている。
「松明から燃え移ったのか?」
竜から降りて、各自その場にある惨劇の痕跡に向かう。焼けたテントをめくり上げると、中には食料だったと思われる炭が転がっている。一際大きなテントから焼けた布が大量に宙を舞う。商品だったらしい。
「おい皆見てくれ!!」
その大きなテントを見ていたメンバーが声を上げた。
「松明がテントにやたら集まっている、燃え移ったというより火を着けたように見えるんだがどうだろう」
「オークがやったのか? ちょっと考えにくいが」
しかしそこに、ラビアが声を上げた。
「あたし、前にイーゼルラントで聞いたことがあるんだけど、オークは一体に付き三体しか仲間を作ることが出来ないらしいの。そしてその三つ目のオークには、それまで経験したことや知恵等を全て受け継がせることでとてもつもなく強いオークになるのだとか」
「トロール、と呼ばれるヤツかい」
メンバーは皆互いに顔を見合わせた。トロールがいるのなら、今回は苦戦が免れない。
「巨悪の気配が冥鬼の背後に潜む……トロールのことだったか」
「コモドがメンバーにいるなら何とかなるぜ!!」
「いや、重圧かけないでくれ。俺、トロールのホンモノは見たことがねぇんだよ。せいぜい母さんの本に載ってるだけだ」
「安心してコモド、見たことある方が珍しいわよトロールなんて。それより皆、来たわよ」
ラビアの目がある一点を睨んでいる。長い耳たぶがその方向になびいている。長い着け爪を三本の指に通し、構えをとると叫んだ。
「ビーネハイムの廃墟が根城のようね。オークを蹴散らしたらカチ込むわよ!!」
「いや、蹴散らしたら一旦テントを開こう。ひょっとしたら向こうから出てくるかもしれん」
「確かに、カチ込むにしても後方支援は欲しいわね」
荒野の土を割り、遂にオークは現れた。その様子を、セーブルは廃墟の中から見つめていた。茶を飲んだカップを皿に置き、不敵な笑みを浮かべて呟く。
「さぁ、見せてもらおうか。死神コモドよ」
次回、下ではついにコモドがオークとぶつかります。お楽しみに!