第十八篇『竜の谷を脱出せよ』上
この物語を読んでもワクチン副反応を軽減出来ませんが、良い暇潰しになるでしょう。
「ほう……コレはコレは」
アジトの暗がりの中、ゼーブルはアゴヒゲに手を添えながら、ハエの仮面の映し出す映像を見つめている。だがその先に視えているいたモノは何と、見事なまでの砂嵐であった。
「天肆が、目覚めたか……!!」
一方、本来なら映像を伝えていたはずのハエ型の小型魔動機を掌に包んだまま、ゼーブルの腹心たるビアルは得物で前方を塞ぎながらひたすらに耐えていた。谷底から広がった薄緑色のマーブル状のオーラが全てを物語っている。
「ゼーブル様……ゼーブル様……!! ダメだ通じない……ルシーザが息をしていない……天肆族、げに恐るべし恐るべし……!!」
ビアルの周りには、へたり込んだまま沈黙するゴブリンがズラリと並んでいる。二つの触媒術を使いこなし、ゴーレムやオートメイトを何体も操り、凄まじい重量の武器を片手で振り回す程の凄腕の闘術士が、天肆の空間支配の前では戦力を失くしてオロオロするばかりとなってしまったのだ。
「クソォ……コモドのヤツは如何にある……」
そのコモドは谷底でうずくまり、魔力遮断効果のあるマントを使って、領域支配に抵抗しようとしていた。背後に二人と一頭を庇い、今にも地に付きそうとなる膝をガクガクと言わせながら、その背後にいる一人を見つめていた。
「……ケンちゃん、立てるんだな?」
「はい……」
「頼むッス……こちらはもう、頭を上げられそうにないッス……」
膝を付いてしまったミナージ、丸まったまま動けないアリファ、だがケンだけはこの領域支配の力をモノともせず、その足で立つことが出来ていた。
「もう一度問わん。そなたが、地上の者達か」
「そうです。僕達が、地上の者です」
前に歩み寄りながら、ケンは口を開いた。
「君が、天肆族の長、なのですか」
「……それはわらわの母上じゃ。わらわは……最早天肆の長になどなれぬ」
「どういうことなんだ……そこのシケイダーが関係あったりするのか」
「そうじゃ。そのシケイダーは、わらわの母上を追いやったヤツが、差し向けた者じゃ……」
「天肆の長を……何だって?」
コモドとケンが顔を合わせる。
「話せば長くなるがのう……それよりも名乗りが遅れたな。わらわの名はラマエル、そなたらは?」
「僕は剣介、皆からはケンって呼ばれています。そしてあちらにいるのが僕の恩人のコモド、ミナージ、そして竜のアリファです」
「そうか。ところでフルバなる者を知らぬか? 母上の知り合いだったという、魔女であると聞いたが」
「分かりました、案内致します。ですがその前に、この谷を出なければなりません。そしてこのままでは、あの方達が動くこともままなりませぬのです」
「それは申し訳ない、では……まずはその刺客をわらわに任せてもらえぬか?」
「え……?」
「まぁ見ておるが良い……天導術、エルドミニオン!」
一瞬で広がった翅が一回羽ばたいたかと思うと、放たれた薄緑色の光る鱗粉がシケイダーを覆う。すると何と言うことか、アブラゼミに似た色のシケイダーはたちまち緑色に染まり、一気にヒグラシを思わせる姿に変わったのであった。変色したシケイダーはゆっくりと身を起こすと、ラマエルの足元に立て膝を付けたのであった。
「もう案ずる出ないぞ。こやつは最早刺客などではない、わらわの臣下じゃ。今のところ地上で唯一のな」
笑顔を見せたラマエルに、驚愕を浮かべるケン。その背後にいるコモド達はというと。
「な……あのシケイダーを……呑み込んだ……!!」
「噂通りの支配力ッス……あな恐ろしや恐ろしや……!!」
戦慄に震えるばかりであった。
「すまなかったのう、今解いてやるから安心せい」
薄緑色のマーブルに染まっていた、谷底から見た空が急激に晴れてゆく。
「立てるかの?」
ゆっくりと身を起こす二人と一頭。身体の自由が戻ったのを確認すると、その口から大きな溜め息が漏れるのであった。
(なんて力だ……ケンちゃんとそんな変わらねぇトシ恰好なのに……)
そうコモドが心の中で呟いた、その時であった。
「これ聞こえたぞ? そなたにはわらわが、そこの童と変わらぬトシに見えるのか」
「え!? 思ったことを直接見られた!?」
「わらわから見れば、むしろここまで開けっ広げなのじゃな。地上の者は。ところでケンよ、そなたはいくつなのじゃ?」
「え? 十七ですけど……」
「何じゃ、わらわの一歩ほども生きてはおらぬではないか」
「え……年齢四ケタなんスか? ……まぁ天肆ってそんぐらい生きるって聞いてたけど……」
「天肆の時間は長いのじゃ……ところで、何やら谷の上からイヤな雰囲気が漂っておるのう?」
一瞬で緊張に染まる男達。そも彼らは如何にしてこの谷底に辿り着いたのであったか。
「そうだった……ビアルのヤツ、まだ居座ってやがるのか」
「ほほう、この地上人はビアルと言うのか。随分と大勢の傀儡を用意してたみたいじゃのう。それに……」
ラマエルの口元が、妙な笑みを浮かべる。可憐な外見に似つかわしくない、凄みのある表情であった。
「あの者、わらわを欲しておる以上に恐れておる。それもそなたらとは比べ物にならぬくらいにな」
「え、ビアルが?」
「……来るぞ」
ラマエルがそう言った直後のことであった。手首に巻かれた腕輪から鎖を放ち、恐れているはずのビアルが谷底に降り立つ。
「ビアル! 残念だったな、天の力はこちらがいただく!」
「ほう、今何と言った死神コモドよ。お前まさか、その力が使いこなせると言うのか?」
「ならばそなたは使えるというのか、ビアルとやら。そなた自身が恐れる、天の力を」
「恐れるだと。巨大な力を恐れるのは当然のことだ。だがラマエル、お前の力は、ただ手持ちに存在するだけでも意味を為すモノなのだ。この意味が分かるか?」
次の瞬間、ビアルが指を鳴らすと大量のゴブリンが一瞬にして一行を取り囲むのであった。
「天の力はそれだけでも抑止力となり得るのだ! 地上の民にとって、空間を制する力は真に恐ろしきモノであるからな!!」
「わらわに飾りになれと申されるのか?」
ニヤっとした口元の笑みと、全く笑みを浮かべぬ目元の合わさった顔がその返事を示していた。
「さ、お姫様。我々と共に来ていただきましょう。ラマエルを確保せよ!!」
「ふざけるのも大概にしろよビアル……!! ケンちゃん、ミナージ、やれるな?」
それぞれ得物を手に、黙って頷く二人。
「シケイダー! 行け!!」
ラマエルの命令でシケイダーが動く。先程まで敵対していたとは思えぬ忠実さでラマエルの盾となり、素手のまま次々にゴブリンを葬る姿はコモド達を唸らせた。
「凄ぇな……敵に回すと怖ぇがメチャクチャ頼りになるぜ……」
「大船に乗った気持ちでおるが良い、こんな機械人形にやられることはないぞ」
そう言ってラマエルが弾指を鳴らす。するとシケイダーはゴブリン数体に向かって掌を向け、次の瞬間にはそのパーツを宙に散らすこととなった。そんなラマエルの背後から更なる数のゴブリンが迫る。
「ほう、五体か」
ビクリ、とゴブリン達の動きが止まる。戦慄したのではない。広がったラマエルの翅から放たれた粉が、辺りを包んでいた。
「地上の悪人よ。そのような人形でわらわに手向かうには“ケタ”が足りぬぞ。天導術、エルバラック!!」
振り向きざまに触角から放たれた電撃が、一瞬にしてゴブリン達を鉄クズへと変えてゆく。
「怖ぇぇ……アレ喰らったらひとたまりもねぇよ……」
戦慄するコモドに構うことなく、ラマエルはその緑の眼をビアルへと向けた。だが彼の顔は何処か、微かな笑みすらも浮かべていたのである。
「ビアルとやら。そなたまだ“隠して”おろう?」
「フン、やはりお見通しか」
口元からも笑みを消し、ギロリとラマエルをにらみ付けながら襟に手をかけるビアル。その様子に気付いたシケイダーが前に躍り出る。胸に刻まれた格納紋をチラ付かせるその様子に気付いたケンが声を上げた。
「……ビズトロンを出すつもりだな!」
「察しが良いな少年。だが不正解だ。化鋼術!」
その手にあったのは三角錐の物体。素早く肩当に付け、ビアルが叫ぶ。
「自在鎖ァ! 行けェ!!」
三角錐を巻き込み、肩当から放たれる鎖がシケイダーに襲い掛かる。
「ジジジ……」
思わず笑うかのような声を出すシケイダー。だがビアルの顔もまた、妙な笑みを浮かべている。
「……いかん! シケイダー、逃げるのじゃ!!」
「ジッ!? ……ジャジャジャーッ!!」
ラマエルの警告は間に合わず、ビアルの放った一撃は複眼の間を正確に打ち抜いている。
「何で……!?」
「驚いたか少年、そしてお姫様。今拙者が放ったのは、魔力の干渉できぬ鉛で出来た錐だ」
膝をつき苦しみだすシケイダー。その一撃は体の中央を的確に捉えていた。
「眉間だけは支配力が弱い。そうせねば魔力が逆流する、先程の闘いを見て居れば分かることだ。そして見るが良い。シケイダーは己の支配する領域のために、あの鉛を外せずにおる。急所を捉えられたにも関わらずな」
「鉛を外せない……!? どういうことだ……?」
「考えやがったなビアル……逆支配、即ちタルウィジャックの空間版をヤツは使ったのさ!」
解説せねばなるまい。一度空間にバラ撒かれた魔力は、バラ撒いた本人の意識によってその効能を発揮する。だが、ビアルはより多くの魔力を瞬間的に支配領域の内部に注ぎ入れることで、効能の所有権を強引に奪い取ったのである。逆支配と呼ばれるこの技術はまさに切り札と呼べる反面、多くの生命力を瞬間的に使ってしまう諸刃の剣でもあるのだ。
「こうなったらまずいッス……アリファ、助けを呼んで来てくれ!!」
「おっとそうはいかんな。紋章術、不動紋」
ビアルの放った一撃に打ち落とされたアリファ。その翼には紫色の占領で刻まれた紋章が痛々しく疼いている。
「アリファッ!? ビアル、てめぇアリファに何の恨みが!!」
「恨み? 笑わせるな。しかし翼についたならその竜はもう飛べん、せいぜい庇いながら闘うが良かろう」
「クソォ……厄介なヤツだ、あらかじめ紋章術を仕込んだ暗器を用意してやがったな。だからあんなに大胆に魔力を……」
紋章術はあらかじめ染料に魔力を溶かし込むことで効能を発揮する。そこに化鋼術を用いた暗器に刻み込んでおくことで、その場で体内に存在する生命力以上の魔力を使うことが可能となる。二媒体としての強みを何処までも活かしたやり方であった。
「シケイダー如きに苦戦する貴様らと、シケイダー頼みの天肆様では先が知れるな。むしろ今ここで始末する方が慈悲深い、ゼーブルもきっとそうおっしゃるだろう」
「そんな勝手なことして、自分が処刑されるとは微塵も思っちゃいねぇみてぇだな。響牙術、ヴィブロスラッシュ!!」
飛び込んだコモドが素早く鎖を切断、シケイダーを開放して前に進み出る。
「まだ生きてるな。人間だったら即死するとこだぜ」
「どうやら骨があるのはコモドだけのようだな。紋章術、牢獄紋!」
「牢獄紋だとッ!? てめぇ本気か!?」
「コモドさん? アイツは何を!?」
掌に刻まれた紋章を光らせ、ビアルはその魔力を真上に撃ち上げる。するとコモドの周りと自らの周りに、半透明の光がドーム状に張られることとなった。その内部にはくっきりと紋章が刻まれている。
「説明してる場合じゃねぇ、離れろッ!!」
咄嗟にケンを突き飛ばしたコモド。彼の目の前で、結界は閉ざされたのであった。
「おい! 出せ!! くそッ!!」
斧と刀の両方を取り出し、メチャクチャに叩き付けるケン。だが、その結界はシケイダーの空間支配以上に堅牢であった。
「下がれ、ここはわらわが……天導術、エルバラック!!」
触角から放たれる必殺の一撃を、指を使って結界に向ける。一瞬放つだけでもゴブリンを分解するだけの放電を浴びせ続けるラマエル、だが!
「何という魔力の練りよう……コイツを破るのはわらわでも厳しいぞ!?」
肩で息をしながら、膝をついたラマエル。電撃を伝えていた指は最早プルプルと震えていた。
「天肆以上の使い手ッスか……アイツホントに何なんだよ!!」
早速刀で結界に斬り掛かるケンだが、何度叩き付けても
「ダメだ破れない……ここまでの使い手が何でゼーブルなんかに……!!」
各々の様子に失笑を返し、ビアルは呟いた。
「牢獄紋に、外からの声は響かない。逆も然りだ。安心したまえ、コモドを始末した後にゆっくりと料理してやる」
「そうはさせねぇよ……大体ビアルよぉ、一騎討ちなんて最初ッからするつもりねぇんだろ?」
猜疑に歪んだ赤銅色の隻眼は、微かな笑みすらも浮かべていた。
「ほう? その心は」
「さっさと出せ、てめぇ自慢の機械人形をなァ!!」
「生憎だったな。ヤツは今別の仕事にかかっておる」
「別の仕事だと……?」
コモドは咄嗟に結界の外に目を向けた。だが探すべき機械人形、ビズトロンの姿は見当たらない。
「その様子じゃコモドよ。ビズトロンを外に出してあの小童どもを襲わせるとでも思ったようだな」
「……で、正解か? どうなんだ」
「不正解だ。アイツは今頃……」
ビアルの視線が向いたのは谷の外側、ある町の方角であった。
「ペンタブルクの総合病院の白い壁でも、血で染めていることだろうな」
「な、何ィ!?」
「貴様の敬愛するウラルもコルウスも……無事でおるとは思えんなァ?」
驚愕するコモドにビアルは勝ち誇ったように告げた。
「さぁ拙者を倒してみろ。貴様の大切な、イリーヴを助けたければな!!」
「俺を捕らえたこと、後悔すんなよ……このクソ外道がァァァアアア!!」
駆け出していきなりの飛び蹴りを見舞うコモド、その一撃を手に隠した手裏剣から変形させたビアルラッシュが受け止める。しかし受けられたと感じるや否やコモドは何と相手の肩を思い切り踏み付け、その場から跳び上がる。
「逃がさん。化鋼術、針蜻蛉!!」
術名が唱えられると同時にビアルの得物が、先端から順に無数の針へと変わってゆく。その一本一本が畳針程の長さに加えてトンボを思わせる翅が四枚付いており、コモドにその先端を向けて襲い掛かるのであった。
「響牙術、ヴェレスネーカー!!」
いつの間にか回収していたターバンに魔力を宿らせ、針の群れに放つ。次々に襲い来る先端を絡め取り、コモドが再び着地する頃にはまるで針山の如き姿となったターバンは地に落ちた。結界にまで深々と刺さっている針を見たコモドに戦慄が走る。一歩遅ければ、自分がターバンの如き姿で落ちることとなったのだ。
「……そうだゴーレム! ゴーレムを使えば……」
内部の様子を見たケンが思い付いたように呟く。だが……
「ダメッス!! 牢獄紋の中でゴーレム呼んだら、コモドさんが潰れちまうッス!!」
「え、ブチ壊せないの!?」
「でも、あらかじめ牢獄紋を弱めておけば……」
「弱らせれば良いのじゃな?」
ラマエルの発言に二人が顔を向ける。
「え、どうやるって言うの……」
「まぁ、アレを見るのじゃ」
そう言ってラマエルの指が差した場所には、一本だけ結界の外に飛び出した針が見えていた。
「あそこはエルバラックが浴びせた場所じゃ。どうも見ている感じな、外と中の同時から攻められると弱いように見えてのう」
「外と中……連携が必要ということか、でもどうやってコモドさんに?」
「あの針の穴を使わせてもらおうぞ。さっきシケイダーにやられたことを、意趣返しといこうではないか。まぁ見ておれ、支配しきれぬ空間をどう制するか、をな」
翅を広げ、ラマエルが牢獄紋の上に立つ。そして飛び出た針の先端を指に少しだけ引っ掛け、何と血液を絞り出して垂らし始めたのであった。
「コモドよ、コモド。聞こえるか」
「え、ラマエル!? どうやって牢獄紋の中に!?」
手甲剣と得物で競り合う両者。だが声に対する反応は対照的であった。
「何、ラマエルがどうかしたというのか?」
困惑する両者。しかしラマエルは続けた。
「コモド、今わらわの声はそなたにしか聞こえん。ビアルに聞かれぬようにな。よってもう返事をしてはならぬぞ」
「……っ! どうやら気のせいだったみてぇだ、ぜッ!!」
一瞬だけ生まれたスキを突いて、コモドは相手の額に向かって頭突きを浴びせるのであった。額を押さえながら、イラついた声でビアルは呟く。
「チッ、騙し討ちとは味なマネをしおって!!」
「よいかコモド。この空間には既にキズがついておる。わらわの使った術とビアルの一撃が重なったためじゃ」
(ラマエルのとビアルのが? ……何を考えているんだ)
「よってわらわ達が外から仕掛けると同時に、コモドにも内側から攻めて欲しい。何ならビアルのを使ってもよいぞ。そうして弱ったところで……ゴーレム? を使えば確実に破壊出来るじゃ」
(なるほど、そうか! だったら……良い手がある!!)
一瞬だけニヤリと口元を上げると、コモドは落ちている針蜻蛉の一つを拾い上げ、揺らぎを宿してこっそりとケン達のいる方面に投げるのであった。
「さて、伝わったかのう……」
「それだったら心配ないッスよ」
「こっち来て、コモドさんから返事来てるよ!!」
二人に言われるまま、ラマエルが降り立つ。ケンの指差す方向にあったモノ、それは。
『俺の合図と共に、ここに描かれたような数字を攻めてくれ。全部で七つある』
「伝わった……!!」
そう呟いて結界の内部を見たラマエルに、コモドは親指を立てて答えるのであった。そして早速ある箇所に目をやる。同時にケン達もその箇所を見た。
「まずはあそこだ!!」
新レギュラー加入は楽しけれど、慣れるまでは更新が遅くなるでしょう。




