第十一篇『鮮血に染まるスミナ河』上
この物語を読む際には、落ち着いた空間で、立ち止まるか座るかして読むことを推奨します。
夜道を歩くその背後に、怪しい影を見た経験はおありだろうか。もし今この頁を見ながら歩みを進めているのであれば、今すぐ閉じて振り返ることを推奨したい。仮にもしそのような経験がおありでなおかつ安全な場所でこの頁を開いているのであれば、この先をゆっくり読み進めて頂くとする。
まさに今、ペンタブルクに流れるスミナ河沿いの道を、一人のうら若き女性が歩いている。その手には市場で買ったと思われる食料を抱え、家路に急いでいた。
「……ん?」
ふと何かを感じ、背後に目をやる。まるで何かの吐息を思わせる音を、かすかに耳にしたためである。だが振り返ったその先にはかがり火が点々と、ただそれだけが目に入るのみであった。首をかしげ、再び前を向き足を速めるその背後のかがり火に、鋭く湾曲した刃が掲げられたことには、彼女の目には見えていなかった。
「シャァァァ……」
その自宅前に着いたその時、扉に手をかけようとしたまさにその時である。ドンッ、という音と共にその取っ手に何かが突き刺さる。それを見た女性はひたすらに戦慄した。飛んで来たのは鎌、それも柄に長い鎖が付いている。その鎖に目をやりながら、女性は徐々に後ずさりしつつ背後を振り返った。
「だ、誰……!?」
次の瞬間、ピンと張られた鎖が急に女性の首に巻き付き、悲鳴を上げる隙さえ与えられずにその場に引き倒された。手に抱えていたモノが辺りに散乱し、女性はもがきながらも暗闇の中へズルズルと呑み込まれていく。扉に真っ赤なしぶきで染まるまで、そう時間はかからなかった。
翌朝、スミナ河の水は赤いマーブルを描いていた。川岸から見つかった死体は十体、その中には先程の女性も含まれていた。いずれも著しく斬り刻まれており、同一犯と思われる犯行の中、生存者はわずか一名。しかし第三者が助けに入らなければ犠牲となっていたであろう。
『吸血ナビスの再来か!』
『凶悪通り魔発生。一夜にして十名惨殺される!』
赤い筒はこの日の朝も届けられることとなった。
「十人か……考えていた以上のバケモンが現れやがったぜ」
「コモドさん、どうするんです。……受けるんですか?」
赤い筒の中身を読んだコモドに、ウラルが問いかける。
「実際に見ちまった以上は放っておけんのです。役場に行って来る、相当にデカい金額が降りるだろうし、それに……」
「それに?」
「……裏でヤツらが動いてる、そう感じるんです」
「暗黒組織ブラックバアル、ですか」
コモドはゆっくりとうなづいた。そして病室を出ようとした、その時だった。
「コモド、朝帰りするなら連絡ちょうだいよ」
「うおっと、母さん!?」
「あ、僕もいますよ」
ばったりと出くわしたラァワとケンにコモドは驚くばかりであった。
「――で、この符の中を見て欲しいのよ」
ラァワが取り出した占眼符、その紋様から映像が浮かび上がる。腹部から鎖を出して斬りかかる男に、赤いターバンを巻いたコモドが対峙しているのが見える。斬撃を捌かれるや否や、踵を返して逃げ去るその姿を見るや否や、ウラルとコルウスの額からドッと汗が流れ落ちた。
「某も正直驚いとるんですがね、ウラルさんコイツやはり……」
「随分様子が変わってますが、コイツは正真正銘吸血ナビス……!! なるほど。機械人形の体を、どういう形でか手に入れたというワケですか……」
「それもそうだけど……母さん、この辺りを詳しく見せてくれる?」
「ん、ここ?」
コモドが指差したのは、まさに鎌を脇腹に仕舞い込もうとしている右腕であった。ラァワは指二本でその位置を拡大して見せると、朧気ではあるもののドクロの意匠の模様が見えている。更に拡大して見て見ると、昆虫と思しき二枚の羽が描き込まれていた。
「……ハエの羽の数と言えば」
「二枚」
「ドクロを背負ったハエと言えば……」
「ブラックバアル……アイツら、怪物を蘇らせやがったな!!」
コモドの予想がピタリと的中する。同時に戦慄が周囲を包み込んだ。死人すら利用する悪辣さはゼーブルの手口として分かっているつもりであった。だが今回のナビスは、デングのように理性なく殺戮に溺れた死体などではない。蘇ったのだ。占眼符に映った姿が如実に表している。機械化された下アゴ、肋骨に仕込まれた得物、まさに人形の肉体を以て、二五年の歳月を得てこの怪物は娑婆に舞い戻ったのである。ブラックバアルの持つ悪質さを、彼らはまだ理解し切れてなどいなかったのである。
「え、でも前のゴブリンみたいに、単なるそっくりさんの可能性も」
「いや、対峙すれば分かる。アレはただ命令のままに動くモノなんかじゃねぇ。明確で邪な意思を持って動く人間だ」
「コモド、どうする?」
「……面白ぇ、やってやろうじゃねぇか。ケンちゃん行くぞ」
何とも不敵な笑みを浮かべ、コモドは病室を後にするのであった。
「ちょ、いつになく好戦的……」
そう呟きながらも、ケンはそのままコモドに着いて行くのであった。
「好戦的……そう言えば確かにそうね、満月の過ぎた後は……」
「大丈夫だとは思いますがね。まだ一日目ですから」
ウラルが続いた。
「ケンさんには、話してあるのですか」
「……そう言えば、私の口からは話してないわ。いつかは言っておかないと……」
「まぁ、無暗に怖がらせるのも考えモノですけどね」
そう言ってウラルとラァワは暦を見る。今から十二日の後にある、新月の日に印が打ってある。
「また、新月が訪れるのね……」
同じ頃、ゼーブルは隠れ家にて虚像を映しだしていた。ナビスの目付役として出した、イリーヴの録画した様子を確認しているのだ。
「……一人、殺りのがしたな」
「そのようで御座いまするな」
ゼーブルの言葉にガブルドが続く。
「なるほど、早速横槍を入れてくるとは思わなかったぞ。コモドめ」
「しかし噂通り、ナビスはさっさと逃げ帰ったようで。臆病者には困ったモンですじゃ」
「いや正解だ。まともに戦ってキズでも負えば、せっかく与えた恐怖が薄らいでしまうではないか」
赤い複眼をぼおっと光らせながら、ゼーブルが発言する。
「キズが付けば、民衆の中では所詮はヒトの子という認識が生まれる。だがキズ一つ付かずに一方的に殺戮を繰り返し、そしてやられた一人が証言をしたならば。しかも相手が、二十年前に死んだはずの過去の罪人だとすれば。怪物となる、例え信仰心のない者でも戦慄せざるを得んだろう。恐怖を与えるには、ヒトをより恐ろしいモノだと、意識の底で思わせれば良い」
「そんなハッタリ通じますかの」
「現にナビスが怪物なのは事実だろう、ヤツは人形と化す前からそうなのだからな。それに恐怖という感情程、御しがたいモノはない……」
仮面の下でほくそ笑む表情が見つめる先に、自らの放ったハエ型機械人形の撮影する景色が映っている。そこには勇み歩を進めるコモドと、その後ろを何とか着いて行くケンの姿があった。
「ガブルド」
「はい、ゼーブル様」
「この映像を見たまえ」
イリーヴに映像を収めさせると、今度は自らの仮面から壁に投影する。
「この後ろから何とか着いて行くヤツが見えるな」
「ええ、例の拾われたガキで御座いますね。子育てでも始めたんですかね、死神の弟弟子にしては何ともトロ臭そうな顔ですじゃ」
「ヤツは使える。例の装置の実験台にしてみようと思うのだがどうだろう」
ゼーブルはポケットの中から、カプセル状の物体を取り出した。明かりに透かすと中には、羽の退化したハエのような極めて不気味な姿の存在が蠢いている。
「オルニソで御座いますか……なるほど、魔女の愛弟子制度がヤツらにとってアダとなると」
「上手くいけば良い前例になる。所詮は家族ヅラをしているだけの他人だと、分からせてやるのだ。では陽が沈む時まで待機するが良い」
それだけ言うと、ゼーブルは奥の部屋へと姿を消すのであった。その間を使い、ガブルドはつかさずイリーヴの元へ向かう。
「良いかイリーヴ、ゼーブルは敵じゃ。今は従え、しかし油断しきった所をつかさず屠るのじゃ。今夜、ガキを攫った後こそが好機じゃ、分かったな?」
「分かりました、ガブルド様」
機械で合成された音声を発しつつ、イリーヴの顔が見る見るうちにヒトの姿に変わっていく。その容姿は生前の姿に近く、しかし歳を重ねた風貌を見せていた。うっすらと開けた目は深い緑色で瞳孔がなく、首から下は機械人形の姿を隠すように黒いマントを羽織っている。
「今はしばし休むが良い、ワシの大切なイリーヴよ……」
うずくまり目を閉じたイリーヴを確認すると、ガブルドは茶を淹れようとカップを手にした、その時だった。
「さぁエスカ、今日は姉様方にアイサツをするのだ。お前は吾輩の七人目の花嫁、席ならとうに用意出来ておる」
それを聞いたガブルドは思わずゼーブルの消えた扉に目をやった。いつもなら鍵をかけるそれが、今はなんと少しだけ開いているのが見える。
(七人目の花嫁ということは、ワシと合流する前からあのような生きた人形を持っているということでもあるな。ワシが見たことあるのはエスカだけ、人形師としては残りの六人も確認せねばならぬ……ゼーブルめ、一体どんな淫らなコレクションを抱えておるんじゃ)
ゼーブルに対する恐怖よりも人形師としてのサガが勝ったか。カップをその場に置き、足取りも軽やかに扉へと吸い寄せられていく。
「見たまえエスカ、この白く輝くようなこの顔を。そして細くくびれた腰に、しなやかな指を」
(なんと、エスカの時点でも美しい姿を保っていたというのに、それがまた更に存在するというのか)
職人としてのサガがうずく。ヒトを素材としたというおぞましい事実は今や忘れかけてすらいた。
「次にこちら、つぶらな目が素晴らしかろう。そしてこの白く美しいうなじを見たまえ。世の男を惑わせるには十分過ぎようぞ」
(嗚呼素晴らしい、是非ともこの目に焼きつけねばならぬ。ええい、どの部屋なのじゃ全く)
情熱と好奇心、そしてわずかな恐怖が焦りを生む。少しでも早く目に入れ、素早く退散せねばならない。
「お前の席はここだ、吾輩の妻達と顔を合わせて卓を囲み、末永く暮らしてゆくのだ」
(あった、あったぞ、この部屋じゃな……)
鍵穴から差し込む光に気付き、耳をあてると確かにそこからゼーブルの低い声がする。扉にベッタリと顔を付け、目を見開き中の様子を覗き見た。だが、期待に満ちていたガブルドの表情は一瞬にして凍り付く。脳内が恐怖一色に染まり切ったその時、彼は腰を抜かしてその場からあとずさるのみであった。カタカタと震える口から台詞が搾り出されたのは、イリーヴのいる部屋まで戻った時のことである。
「が、がががが、が、が!! ガイコツが、ドレスを着て座っておる……!!」
「ほほう、吾輩のコレクションはお気に召さないと見えるな」
「えッ!?」
ゼーブルの声が真後ろから響き、ガブルドは戦慄の表情をそちらに向けた。
「言ってくれれば丁重に案内したモノを、こっそり覗き見るとはいささか水臭いぞ、ガブルドよ」
「ゼーブル様、貴方にはあの白骨死体が、美しい花嫁にでも見えておりますのか!」
「見えている。白き骨となってもなお美しい、吾輩の自慢の花嫁達がな」
わなわなと震えだすガブルドを見て、ゼーブルは言葉を続けた。
「さぁ案内致そう。貴様の望み通り、美し過ぎる我が花嫁達の元へ」
差し出された手を振り払い、ガブルドはイリーヴの元へ駆け込み叫ぶのであった。
「起きよイリーヴ! あの狂人を今すぐ討てッ!!」
だが、イリーヴは。沈黙したまま動くことはない。
「何故じゃイリーヴ、立て、立つんじゃ!!」
「無駄だガブルド。貴様がこのゼーブルへの反逆を企んでおることくらい、気付かぬとでも思っておったか」
「んなッ……!?」
「イリーヴ、ガブルドを捕えよ」
一瞬にして起動したイリーヴがガブルドに組み付き、はがい締めにする。そこにゼーブルがポケットに手を入れながら近付くと、その中身を目の前に見せながらそっと囁くのであった。
「オルニソの実験台になるが良い。あのガキに試すのはその後だ」
「お、お止め下さいゼーブル様ッ!! イリーヴ、ワシじゃ、ガブルドじゃ!!」
ゼーブルの左手がガブルドのアゴの下を掴み、無理矢理こじ開けるや否や右手につままれたカプセル状の物体が投入するとアゴを押し上げ口を閉じさせ、今度はグイッと上を向かせる。喉をくっきりとした形が降りていくのを確認すると、イリーヴに解放させるのであった。
「どうだね、自ら開発したオルニソの味は」
「あがァァァアア!! あ、お、お助け下さいま、アッ、ギャアアアァッ!!」
皮膚の下を、くっきりした虫の形が這い上るのが確認出来る。しきりにその部分の皮膚を掻きむしるガブルド。徐々に、徐々に、その形は腹から首へ、そして遂にはコメカミに到達するのであった。
「では、今夜は予定通りに動くが良いぞ」
「……っとまぁ、こんな感じのヤツだよ、ナビスってのは」
「メチャクチャ怖いじゃないですか! 何で、何で受けたんですかホントに!!」
茶を口にしながら、コモドからナビスに関する説明を聞いたケンはそう返していた。
「あり得ねぇことが起きたから、だ。どうにも好奇心をそそられるじゃねぇか」
「理由がおかしいって!!」
「それにコイツを仕留めれば相当な額が手に入る。ケンちゃんの喰いモンでも俺の酒でも好きに買えるぜ」
「あー……なるほど……」
討伐依頼を受けた理由の一つが自分であると理解したケンは最早何も言えなかった。誰かを拾い養うという行為は決して無償で出来ることではない。食料にしても何にしても、確実に一人分は余分に必要とするのだ。
「生前のヤツは抽出刑にかけられて死んだ。だから死体も割と新鮮なまま手に入ったんだろうな」
「抽出刑……って何ですか?」
「この国での刑罰だ。生きたまま生命力だけを徐々に抽出し、色々と使い回せる資源にする」
「ちょっと色んな意味で待って!?」
「そんなに驚くことかァ?」
しれっとコモドが話した内容に驚くケンであったが、コモド自身もケンに驚いたようであった。
「基本的にな、ここで捕まった罪人は特殊なイスに拘束されてな、日に二度か三度少しずつ生命力を抜き取られる。純度を高めるために食事も最低限しか与えない。それが短くてひと月、長くて数年続くんだけどよ、五年以上は実質的な死刑と考えて良い。まず生きられねぇからな」
「え、懲役とか禁固とかじゃなくて、全部抽出なの!?」
「他の国にはあるらしいがな、この国ではそうだ。ムショに行ってみると分かるが大体どいつもコイツも顔が青ざめてるぞ。まぁ生きてるうちは貴重な資源だ、どうせ外に出せねぇなら無駄にならんようにしねぇとな。言っとくけど魔女摂符やゴーレム呼ぶのに使うカードあるでしょ、アレの市販品は生命力を抽出した染料で紙を染めたモンだからな」
「え、えぇ……。ナビスの方がマシに思えて来た……」
「おいおい誰彼構わずこんな目に遭わせるワケじゃねぇぞ? 理不尽をバラ撒くヤツにはそれなりの報いがあるんだぜ」
コモドはそう話しながら、口元をニンマりと上げていた。その異様なまでの良い笑顔にケンは戦慄する。
「そうそう。五年抽出して生きてた例がないのはもちろんだがね、二年や三年で死んだヤツもゴロゴロいるからな。もし何かやらかして捕まったとしてもカン違いすんなよ、要はもしそこまでやっても生きてたら出してやるという意味だからな、アレ」
「……はい」
この国の人権感覚は、ケンの生まれ育った国とは異質なモノであるという事実。孤児には優しくとも罪人は資源扱いという両極端な一面は、生命力によって回る世界の側面を実によく表していた。
「今のところ聞いたことがないがな、もし魔女がこの国で重罪を犯したなら更に酷な内容が下される。聞きたいか?」
「うーん、怖いモン見たさという意味では聞いてみたいけど……」
「抽出の上をいく、摘出刑が待っている。極刑でな、魔女の素嚢と卵の両方を抜き取られるのさ」
「抜き取られたら、どうなっちゃうんですか……?」
「魔女でなくなり、ただのヒトになる。だが高齢の魔女程コレが響く。魔女の長寿と若さの秘訣こそがあの臓器だからだ、それこそあっと言う間に歳をとってな、あとは死を待つばかりの存在と化す」
魔動文明ともいうべきこの世界において、主な動力はヒトの生命力から成る魔力である。かつては魔触媒との巡り合わせが良い者の特権だった魔法は、あらゆる者が扱える魔動機の登場により一気に身近なモノとなった。だがその魔動機の動力は何になるのか。それが抽出された生命力なのである。既に触媒と抱き合わせにして固定した魔力を、使い手の生命力を以て着火するという仕組みこそが魔動機を動かすのである。
「確かにこの国の刑罰は受刑者にとっては何処までも残酷だろうな。いっそさっさと楽にしちまった方がマシな気もするよ」
「流石、過酷な人生送った人は言うこと違うな……」
「それはそれとして……そろそろ出るとしようか」
少しだけ欠けた月が銀の髪を照らしている。その遥か前を、もう一つの影がおどおどと歩いて行く。
「相手は武器を持たんヤツを狙うと考えて良いだろうな。よって敢えて、刀は外から見えないようにするんだ」
刀を布で隠し、あたかも何か違うモノに見せかける。
「俺は後ろからこっそり着いて行く。一人でいるように見せかけろ、おびき出すんだ」
打ち合わせ通りに夜道を歩くケンの姿を物陰から見ながら、コモドは周囲に目を光らせている。何処からだ、何処からヤツは現れる。赤銅色の隻眼には戦意と殺気、そして若干の恐怖が浮かんでいた。一方のケンの瞳はまさに恐怖一色、夜道を灯すかがり火が暗闇をより一層強めており、その中からいつあの凶悪通り魔が現れるのか、気が気ではなかった。
(出ろ、ナビス。お前のような卑劣漢なら、喜び勇んでケンちゃんを斬り刻みに来るだろう。だがそうはさせん、そしてお前の自由も今日までだ! 出て来い!!)
だがしかし。標的は現れない。そればかりか、ヒトの気配がそも消えている。あまりに長い一分間、緊張に満ちた一秒間が刻々と過ぎるばかりであった。パチパチと、かがり火の薪が燃える音が却って静寂を強調する。このコモドの身に張り詰めた緊張の糸が、次の瞬間に弾け飛ぶことになるとは誰が想像したのであろうか。
コモドが通り過ぎたかがり火が、水面に揺れている。その影を割る様にして、緑の眼が二つ光り始めた。銛の先が水面から出現し、こそこそと動くケン……ではなく何とその背後で身を潜めながら歩くコモドに狙いを定める。鋭い痛みが、コモドの右のふくらはぎを襲った。
「うがぁッ!! 何だコレはッ!?」
うずくまるコモド、その視線の先には右のスネから生えた三角形の返しの付いた刃が一本。直後彼の脚が背後に引っ張られ、返しが強く喰い込んだ。
「コモドさん!?」
ケンが気付いて、素早く刀を引き抜き駆け寄った。ズルリと引かれて倒れるコモドの手をとり、その身を起こそうとする。
「コレはあの時の!?」
「カニスを殺ったヤツだな……! ケンちゃん、刀を貸してくれ!!」
コモドはケンから刀を借りるや否や銛に付いた縄に向いて振り下ろす。そして銛を脚から抜くと、真っ赤に染まった縄が見えた。右足を庇いつつ、コモドは立ち上がり叫んだ。
「出て来やがれ、ブラックバアルの一員だな!!」
歩きスマフォ、ダメですよ。




